- 作者: アラン.ジョン.パーシベール・テイラー,吉田輝夫
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/01/13
- メディア: 文庫
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(たぶん)4年くらいかけて読了したので、最初の方の内容は覚えていません。
翻訳小説はそれほど苦になりませんが、お堅い文章(ことに論文)となると、さすがに読みづらいもので。
日本の(比較的)読みやすい論文に馴染んでいる、ということがいけないのでしょうけれども。
本書は、第二次大戦について書かれた本としては、もはや古いのですが、発表当時(1961)には相当な論争を巻き起こしたそうです。
今ではテイラーの説が全面的に受け入れられているわけではありません。
それでも「悪魔のナチスドイツと枢軸国」対「正義の使徒連合国」というデフォルメされた図式(一種の神話)に一石を投じた意味は大きい、と思われています。
現代ほどではないですが、第一次大戦以後の世界情勢というのは複雑怪奇で、何がスイッチを入れて事が始まるのか、それが想定内の結果で終わるのかどうかを予見するのは相当難しかったでしょう。
世界は、あらゆる部分で関連付けられており(その恩恵や弊害から一定期間かろうじて逃れられたのは、イデオロギーのカーテンの向こう側にいたソ連だけなのかもしれません)、一国が単一で国家体制を維持できるような状況ではなかったのだと思います。
現在の世界情勢は、未だ、ぎりぎりですが、その状況下にあると考えられます(ISILは、その状況下に生まれたエアポケットのようなものでしょうか)。
ドイツ(第三帝国)の総統だったヒトラーは、極めて計画的に悪辣な世界支配を進めていこうとして失敗した、と信じたいものです(その方が安心できます)。
しかしテイラーは、ヒトラーはただの機会主義者であり、周辺国(とりわけ当時の大国であったイギリス・フランス)の動きを見ながら、そのときどきで打つべき手をひねり出していたにすぎない、と語っています(大意、です)。
イギリス・フランスの宥和政策も批判の的にしやすいですが、同時代人がそのときどきで行う批判であればともかく、歴史家が歴史的事実を批判したところでたられば論争にしかなりません。
なぜ宥和政策をとったのか、という分析は重要でしょう。
その結果が何をもたらしたのか、という分析も重要です。
しかし、結果自体への批判は、当時声を上げたもの以外には正当性がないように思います(事態を俯瞰できる立場に立てば、なんだって言えるものです)。
歴史家は、歴史の解釈に異を唱えるものであって、歴史的事実には虚心でなければいけない、はずです。
内容はほとんど頭に入っていないので、再度読み直してみないことには理解ができないと思います。
読み直すかどうかはさておいて。
よくわかるのは、外交というやつが一筋縄ではいかない化け物なんだな、ということでしょうか。
「ある一国」が化け物というよりは、外交関係そのものが。
離反、裏切り、約束不履行、なんでもござれなわけです。
その結果得られるものと失うものを、本当に天秤にかけているのかどうかも怪しく、化け物に動かされているような気さえします。
たぶんそれは、現代でも変わらないのでしょう。
日本人は、約束が守られることを前提で行動しやすい民族ですが、そういった価値観は国内だけにとどめておいたほうがいいのではないでしょうか。
どこにだって信じられる人と信じられない人はいますが、こと国と国に関しては「信頼」するというより、「信頼しているほうにコインを賭ける」くらいの覚悟が必要だと思います。
あとは、戦争はやるなら勝つしかない、ということでしょうか。
勝とうが負けようが、真に得るものは少ないのですが。
現在の一瞬において、歴史は価値を失います。
その一瞬が過去になったときに、再び歴史の中に組み込まれて、何か価値があるように振る舞うだけ。
帝国主義列強が植民地支配をまともに謝罪した例なんてほとんどありません。
日本だけが苛烈だったのではないのです(日本が苛烈でなかった、とも言いませんが)。
「第二次大戦の起源論は、すでに第三次大戦の起源が研究されている段階では、あまり魅力はなかった。疑問や問題が山積していたならば、この起源論にまだスリルを感じたかもしれない。だが誰をも満足させ、あらゆる論点を氷解するかにみえる一つの説明があった。それはヒトラーである」(p48)
「この理想主義的な綱領はむしろ、かかる規模でまたかかる犠牲を払って戦われた戦争は偉大な気高い結果をともなうべきであるとの信念から生じたのだ。理想は、のちの事態に影響しなくもなかったが、副産物であり、基本的な争いをごまかすものであった。本質的には勝利が依然として戦争目的であった。」(p61)
「賠償の唯一の経済的効果は非常に多くの帳簿係に仕事を与えたことであった。だが賠償に関する経済的事実はさして重要ではなかった。賠償はシンボルとみなされたのである。賠償は、憤懣、猜疑、国際対立をもたらした。そして何よりも第二次大戦への道を清めたのである」(p100)
「彼らは何年もの間あらゆる災難はヴェルサイユ条約のせいであると説かれてきたし、苦しんでいる現在としてはこれまでいわれてきたことを信ずる以外になかった。しかも大恐慌は最も強力な拱手傍観論の基盤、すなわち繁栄をとり除いていた。人間は裕福なときは自分たち自身の不満を忘れるが、逆境にあってはただそれだけを考えるものである。」(p126)
「ヒトラーの特異な性質はありふれた思想を行動に移す才能にあった。」(p137)
「戦争とはむしろ交通事故のようなものである。交通事故には一般的原因と特殊的原因が同時に存在している。あらゆる交通事故の原因は、究極には内燃機関の発明と人間の場所を移したいという要求にある。この意味では交通事故を「なくす方法」は自動車を禁止することだ。だが危険な運転を告発された運転者が、唯一の弁明として自動車の存在を挙げるとすれば、分別のないことだろう。警察や法廷は根本原因を考えない。それぞれの事故の特殊的原因ーー運転者の側での誤り、速度違反、飲酒運転、ブレーキのかけ損じ、悪い路面ーーを捜し求めるものである。」(p186)
「民族自決の原則ーーチェコスロヴァキアの存在はこの原則によるものだがーーはまやかしとして片づけられた。唯一の道義的議論としては、現在の国境は神聖不可侵であって、諸国家は自己の領域内では欲するままに振る舞ってもよいとしたことであった。これは正統主義の議論であって、メッテルニヒおよびウィーン会議の議論であった。これを容認すれば、ハプスブルク帝国の解体だけでなく、アメリカにおけるイギリス植民地の独立でさえも許されないことになろう。」(p321)
「他の問題同様、この問題については歴史家は、メイトランドの名言を念頭におけば適切に処理できよう。「いまではずっと過去の事件が、その時には将来に起こっていたことを思い出すのは非常に難しい」」(p384)