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野次馬

古市憲寿氏、オリビエ・ドビ氏を「弱小の人」と批判する一幕』

ライブドアニュース 2015/8/6)

 

以下一部引用。

 

「6日放送の「とくダネ!」(フジテレビ系)で社会学者の古市憲寿氏が、オリビエ・ドビ氏を「弱小の人」と批判する一幕があった。

 

(略)

すると古市氏は、佐野氏を1人で会見に臨ませたことについて不満を露わにし「これはコンペで選ばれたわけで、選んだ審査員もいたし、東京都の担当者もいた」と、昨日の会見が、佐野氏に責任を押し付けていることに苦言を呈した。

さらに古市氏は「あと、オリビエ・ドビさんて、そんなに世界的に有名なデザイナーではないですよね?」と、失笑しながら批判を展開し始めた。

古市氏はドビ氏に対して「Twitterもフォロワー数が300人しかいないような『弱小の人』なんですよ。だから、本当に言いがかりだなって思っちゃうんですけどねえ」と、Twitterのフォロワー数を絡めて“言いがかり”と切り捨てた。」

 

ベルギーのデザイナーさん、どうやら提訴に踏み切ったようで。

お金がほしいのか、名声がほしいのか、単なる義憤なのかはもはやわかりませんが、日本で名前が知られるようになったことは間違いないですね。

その意味では、仮に言いがかりだったとしても、この人の勝ちです。

 

ところで、何らかの創作者としては、自分が発表していたものと似たものが後から発表されれば、疑問を呈するのは当然ではないでしょうか。

特に、後発のものが世界的なイベントで取り上げられているのであれば、「まさか……」とは思いつつも、「似ている」と言うのではないかと思います。

結果、何を得るのか(失うか)はともかく、それは「先に発表している創作者」としての責任でもあると思います。

下手したら、こっちが盗用扱いされかねません(ま、相手にされないでしょうが)。

スケッチブックの中にしかないとか、頭の中にしかないとか、内輪でしか出回っていない、というならともかく、公式に発表されているデザインです。

「偶然似ていただけだ」というならそれでもいいですが、「自分が先に発表している」ことは表明しておかないといけない、というのは創作者の責任ではないかと。

それが、たとえ300部しか刷られなかった同人誌だったとしても、300人しか購入しなかったCDだとしても、300人の人口しかいない村で作ったデザインの看板だったとしても、そこに自分のオリジナリティがこもっていると考えれば、後発の人間に問いただしたくなるのは人情ですし、創作者の矜持でしょう。

この人は、その程度の「弱小な人」の作品であれば、世界的な創作者の後発の作品と類似が見られても、口を噤んでいろ、と言いたいわけですね。

 

 

創作者なめんなよ。

 

 

なんでツイッターのフォロワーが300人だと「弱小な人」なんだよ、俺なんかゼロだぞ(ツイッター、やってないからね)。

なんだよその論点ずらし。

 

 

何度も言いますが、デザインの優劣は私にはわかりません。

しかし、似ていると思います。

その事実を、コンセプトやらデザインの文脈で語るのは、言い逃れにしか聞こえません。

「偶然似てしまう」ことはあるのですから、「偶然だ」と言えばいいし、先発のデザインにはあくまで敬意を払えばいい。

しょうがないじゃないですか、人間の考えることです、似てしまっても。

 

 

 

(元記事)

news.livedoor.com