『低所得よりも怖いのは”精神的な貧困”』
(日刊SPA! 2015/8/8)
以下一部引用。
「「未婚化が進む日本では、高齢男性の“おひとりさま”世帯はより増えていきます。経済的な貧困の解決は政治の問題ですが、“精神的な貧困”に陥らない方策を提示することが社会学的な課題です」
そう語るのは社会学者の阿部真大氏。精神的な貧困の代表である孤立化は未婚化が進む現代人にも悩みの種だ。
(略)
「老人ホームの調査をする際、たむろしておしゃべりしている女性に対して、男性は独りぽつねんとしている姿を目にします。別に『男もおしゃべりのスキルを』と言っているわけではなく、“独りでいても孤独を感じない”ということが重要です。これは“他人志向型”――つまり他者からの評価を価値基準とする出世競争に邁進してきた人ほど陥りやすい。精神的貧困を避けるためには、自分だけが楽しめる価値観を持った、“内部志向型”の人間を目指すべきです」
(略)
カネがすべての価値観が閉塞感を生み格差を感じる。ボロを着てても心は錦の精神が重要だ。」
これを要約するとですね、「獲物をとれなくなったオスは死んでもしょうがない」ということです。
野生動物の世界ならそれでもいいんですけれど(いえ、そういう動物ばかりだという意味ではないです)、人間社会ではなかなかそうもいきません。
高齢者を厚遇する、というのは自分の未来への投資みたいなものなんですが、行き過ぎると自分たちの現在〜子どもたちの未来まで食いつぶす可能性がありますので、バランスが重要ですね。
「“独りでいても孤独を感じない”」……これまた難しい話ですね。
特に、日本の一番いい時期に壮年期を過ごしたみなさんには(それより前であれば、大家族もまだあり得ましたし、それより後であれば、核家族・少子化で孤独の紛らわし方がわかっています)。
現代のオタクのみなさんは、ある程度そういった耐性がありますから、孤立したって大丈夫でしょうし、今のようにネットが発達していれば、デバイスさえあれば「純粋な孤独」からは遠ざかりますから、このような症状に陥る可能性は少ないでしょう(ただ、別の問題は必ず起こっていると思います……それが何かはまだわかりません)。
時代劇に出てくる「隠居のじいさん」って、みんな博学だったり、多趣味だったりしますよね(あと、金もあります)。
あれが「隠居」のイメージで、多分昔からあるんです。
それを忘れていたんでしょうね……そもそも、豪農でない限り農民なんて隠居できませんでしたから(動けるうちは働くのが当たり前)、どうやって「隠居」すればいいのかわからないんでしょう。
「孤独」は自分の意思で選択できますが、「孤立」はいつの間にかそうなってしまっている、というものだと思います。
「孤立」の原因が、本人にない、という話ではないですよ。
原因はともかく、好きでそうなったわけではないのになってしまうのが「孤立」だとすると、支援者としては環境の調整が重要だと考えます。
薄い関係性でもいいので、何か残しておくだけで「孤立」は避けられるかもしれません。
そういえば、「孤独死」ってあんまり聞かなくなりましたね。
個人的には、別に「孤独死」だっていいじゃないか、と思うのですよね。
「孤独」が自分で選択したものであれば。
ただ、コミュニティの機能を考えると、「孤立死」というのは避けなければいけないのかな、と。
どちらにしろ、今後はもっと増えるでしょう。
まぁ、我々(昭和40〜50年代生まれ)が、今の高齢者世代のように、老人ホームを潤沢に準備してもらえるなんて思わないほうがいいですよ(足りていませんが、それでもたくさんあります)。
おそらく、厳しい未来が待っていますから、覚悟だけはしておきましょう。
金さえあれば、すぐにでも隠居するんだけどな……。
(元記事)