『五輪エンブレム「原案公表しない」…大会組織委』
(読売新聞 2015/8/27)
以下引用。
「アートディレクターの佐野研二郎氏が手がけた2020年東京五輪の大会エンブレムが、ベルギーの劇場のロゴマークに似ていると指摘されている問題で、佐野氏が応募した当初の原案は、現在の決定デザインとは異なっていたことが26日、わかった。
佐野氏の原案を一部練り直して修正し、制作されたという。ただ、エンブレムを管理する大会組織委員会は、「現段階で当初の案を公表する予定はない」と話している。
審査委員代表を務めた永井一正氏によると、佐野氏の原案には「円を感じさせる(下部の)Lのような部分はついていなかった」という。同委員会は当初、このデザインを使おうと世界中の商標を確認したが、似たようなデザインが見つかったため、佐野氏に修正を求め、7月に発表されたデザインに落ち着いた。」
「佐野氏が応募した当初の原案は、現在の決定デザインとは異なっていたことが26日、わかった。 」
……だから?
「佐野氏の原案には「円を感じさせる(下部の)Lのような部分はついていなかった」という。」
そこがなかったら「ただの7」じゃねえかよ。
修正前から、似ているデザインがあった。
修正したら、また似ているデザインがあった。
つまり、シンプルなデザインだから、似ることもあるっていうことでしょう?
そのことはわかっているんです。
商標登録してあるものに似ているから変更して、商標登録してないから変更しなくていい、そういう理屈もわかります。
でも、すでに発表されているデザインなんですよ?
↑この記事では「リスペクト」について書かれています。
個人的には先発デザインに対する「リスペクト」が示せない鈍感さがどうなのだろう、と思います。
似てしまうことがあるのは、道理なんです。
「似てしまいました」が「ここがオリジナルなんです」と説明しないといけないのでは?
ちなみに『GA info.』というクリエイター向けのウェブマガジンに佐野氏のインタビューが掲載されているが、そのなかで彼はこのように述べている。
〈 そんな時、独立した可士和さんの事務所に遊びに行って、見せてもらったのがSMAPの仕事で、ガーンと衝撃を受けました。レディメイドのものをポンポンと配置しただけなのにとてもメジャーな感じがあって、この方向を目指そうと強く思ったんです。〉(「GA info. クリエイターズファイル」より一部抜粋)
ここで言う「レディメイド」の正確な意味はこのインタビューを読むだけでは正直よく分からないが、ただ少なくともこのような感覚が、佐野氏の作風がバラバラなことや、今回のパクリ騒動につながっているような気がしてならないのだ。
もしかしたら佐野氏は、事ここに至っても自分がなぜここまで批判されているのか理解できていないのかもしれない。サントリーのトートバックで問題になったのは、まさにレディメイドなものをポンポンと配置しただけのような作品なのだが、それがクリエイティブだと思っている人間にとって、「それは盗作だ」と言われても理解は難しいだろう。
しかし、一般的な日本人の感覚では、クリエイティブとはあくまで自分の作風で勝負するものだし、レディメイドではなくオーダーメイドの素材で作品を作るものだ。それがオリジナルというものだと思われている。そして、日本には世界に誇る独自のオリジナリティというものがあると信じられている。
だから、東京五輪のエンブレムという国を代表するデザインにおいても、ジャパン・オリジナルな表現を求められて当然なのだが、そのような「日本人のクリエイティビティに対する感覚」と「佐野氏のクリエイティビティに対する感覚」はどこかで根本的に違っているのだろう。そこが今回の騒動の最大の原因だと思う。
↑の『ダイヤモンド・オンライン』からの引用です(記事内リンクは、本ブログ筆者が削除しました)。
「レディメイドなものをポンポンと配置しただけのような作品」という作風自体がすでに「オーダーメイド」ではない、ということがわかります。
大丈夫でしょうかね、この人。
↑ここでは2chの(的確な)ツッコミが紹介されています。
読売新聞の記事に戻りますが、
「同委員会は当初、このデザインを使おうと世界中の商標を確認したが、似たようなデザインが見つかったため、佐野氏に修正を求め、」
いやいやいや、似ている時点で不採用にすりゃいいじゃねーかよ、ということですね。
日本には世界に誇れるものがたくさんありますが、そうでないものもたくさんあります。
まさか五輪がそうなるとはね……。
(元記事)