べにーのDoc Hack

読んだら博めたり(読博)何かに毒を吐いたり(毒吐)する独白

『ミースという神話 ユニヴァーサル・スペースの起源』八束はじめ

 

ミースという神話―ユニヴァーサル・スペースの起源

ミースという神話―ユニヴァーサル・スペースの起源

 

ミース・ファン・デル・ローエ、という人のことが知りたかったので、とりあえず買って、しばらくほったらかしにしてあって、読んでみたら内容が専門的すぎてまったくわからない、という結果になりました(残念)。

まあ、そもそもが建築や美術の専門雑誌に連載されていた文章がまとめられたものですので、門外漢に理解できるはずがないのですが。

入門編の伝記とかを読めばよかった、と後悔しています。

 

ミース・ファン・デル・ローエ(というオランダ風の名前はいわばペンネームで、ドイツ人です)は、「神は細部に宿る」という伝説を残した(らしい)建築家です。

で、その「細部」がなんなのか、ということは、本書を読んでも私には理解できませんでした。

何しろ、美術や芸術の基本的な理論を知りませんので、字面を追っていくのが精一杯。

柱と壁、窓、そういったものが、構造を支える以外でどのような意図を持って(哲学を持って)存在しているのか、ということなんて、図面を引けない人間にわかるわけがありません。

勉強もしていないし。

むしろ、そういう部分のセンスが私にはないのだと思います。

 

ミースの代表作「レイク・ショア・ドライブ・アパートメント」はシカゴにあります。

 

○こちら===>>>

レイク・ショア・ドライブ・アパートメント | ミース・ファン・デル・ローエとシカゴの建築を訪ねて(アメリカ・シカゴ)No.18 | Tabi/世界の建築 | お知らせ | デザイナーズマンション,株式会社リネア建築企画

 

↑こんな建物です。

他にも検索すると、内部を見られるブログなんかがあります。

私が生まれる前に建てられたもので、そのせいか、いわゆる「高層ビル」としか思えないのが残念です。

当時(1951年)にこれを見たら、そうですね、日本人なら浅草凌雲閣を初めてみたような衝撃を受けたでしょうか(古いな)。

何がすごいのか、を書くことができません(知らないので)。

本書を読んでも、まったく書けません。

私のような凡人は、ミース・ファン・デル・ローエ、という巨人が設計したものだ、というだけで、ハイロゥ効果を真っ向から食らって、「すごい……」としか思えないです。

現代建築(ことに高層建築)に与えたインパクトが大きかっただろうことは、同じようなビルがそこらじゅうで見られるからわかります。

 

他にも有名なものとして、「バルセロナ・パヴィリオン」や「ファーンズワース邸」などがあり、特に「ファーンズワース邸」は「すごい」です。

 

○こちら===>>>

Tokyoデザイナーズマンション - NIKKEI 住宅サーチ

 

↑趣味が合うかどうかはさておき、ですが。

 

というわけで、ミース・ファン・デル・ローエのことを知りたいと思って手に取った本で、門外漢が知ったかぶりをして何か語ろうとすることがいかに愚かしいかを知った次第です。

すごいですよね、普通なら何かしらでっち上げられるだけの言葉が浮かんでくるものなんですが、久々に言語化できないもどかしさを感じています。

あ、一つだけ。

ミースの建築に「哲学」があったかどうかはわかりませんが、おそらく「稚気」はなかったのだろうな、と思いました。

つまり、これらはミースの「仕事」だったのでしょう。

 

美術にしろ建築にしろ何にしろ、形のあるもの、デザインに対して、そこから何かを汲み取って、機能上の、だけでなく思想上の言語化ができる人たちは、本当にすごいと思います。

そういう「作る」に対するイマジネーションがまったくないからな……。

身近に設計士がいるもので、多少は建築のことも知っておかなければ、ということをときどき思いまして、本を読むことがあります。

バックミンスター・フラーミース・ファン・デル・ローエ、ル・コルヴュジエ、といった大物のことは名前だけでなく、もうちょっと知っていたいなぁと。

 

 

「これに対して、レイクショア・ドライブ八六〇/八八〇アパート以来の彼のスキームは、もっとも「正しい」状態を見せる段階にまで達している。ここでもっとも正しいという言葉はもっとも美しいといっても同じだが、正しいというほうがいっそうミース的である。しかし、それには留保が必要なのだ。つまり、正しいというのは、この場合も、一般的に正しいというよりは、ミース自身がーー神に代わってーーそう判断したがゆえに正しいのである。そして、神は細部に宿る。その見極めは俗人には必ずしも容易なことではない。

建築はそのたびごとの条件に対応するから真実は一つではない。アメリカに行ってからのミースには、同じものをつくりつづけたような印象があるがそうではない。「もっとも正しいもの」にもヴァリエーションはある。「言葉」は一つではなく、無限にアプリケーションがあり得る。」(p259)