べにーのDoc Hack

読んだら博めたり(読博)何かに毒を吐いたり(毒吐)する独白

『論理爆弾』有栖川有栖

 

論理爆弾 (講談社文庫)

論理爆弾 (講談社文庫)

 

 

どうやら、<火村英生>シリーズのドラマ化が決定したらしい有栖川先生の<探偵ソラ>シリーズ第三弾。

文庫版は、つい先日発売されたばかりですが、純の活躍が読みたくて先走って買ってしまいました。

 

すべての探偵行為が禁止された、パラレルワールドの日本。

姿を消した母(探偵)の足跡を追って、空閑純は九州の山奥を訪れた。到着早々、拝み屋の老婆に詰め寄られるハプニングに遭遇するが、木地師も営む民宿に拠点を据える。その村の旧家を、母が訪れていることがわかったからだ。その家の長男は、かつて国鉄リニアモーターカーの研究をしていたが、ある日心を病み実家に戻り、そして自ら命を絶った。母に依頼したものは、その自殺した青年がなんらかの秘密を抱えていたと考えたようだった。

その村から山一つ隔てた場所に、かつて日ノ本共和国から脱走してきた老人が住んでいた。<北>(日ノ本共和国)の要職にあったその老人は日本に脱走すると、<北>の内部事情を暴露し怒りを買うことになった。彼の暗殺が企てられてることを知り、中央警察の明神警視もまた、九州を訪れているところだった。潜り込んだ<北>の工作兵は数名。夜間に索敵していた県警のヘリはしかし、敵の銃撃に合って墜落した。その影響で隣村とのトンネルが封鎖されーーつまり、空閑純は、孤立した集落に取り残されたのだった。

純は母につながる手がかりを求めようと村を探るが、そこで奇しくもというべきか、やはりというべきか、連続殺人事件が発生する。

 

 

なかなかスリリングな<クローズド・サークル>もので、エラリー・クィーンの『シャム双子の秘密』にひけを取らないのではないでしょうか(あちらはあちらで、かなり倒錯した<クローズド・サークル>でしたが)。

前2作に比べると、純の生活圏外で起こった事件でもあるためか、分量も分厚く情報も多く、そして謎のひねり具合がお見事です。

この手の話は、実はこうしたパラレルワールドでこそ真価を発揮するのかもしれません。

犯人にいたるまでの道筋はかなり混沌としていて、なかなか姿を現しませんし、一方には潜入した工作員が近くをうろついているかもしれないという状況があり、読者を錯綜と焦眉の思いに駆り立てます。

その道具立てがとてもお見事で、普通の<クローズド・サークル>の緊張感とはまた別の、牧歌的でありながら極限的でもあるヒリヒリした感じがたまりませんでした。

犯人には最後まで気づけませんでしたし、その探偵小説らしい展開と、探偵小説らしからぬ結末に、「ああ、なるほど、こういう舞台ではこうなることが許されるのか」と一種のカタルシスを感じ得ました。

ああ、そういえば『月光ゲーム』は、『シャム双子の謎』に擬された<クローズド・サークル>でしたっけ……実は有栖川先生が得意なのは、密室やロジックよりも、この舞台設定なのかもしれないですね。

舞台を作れば、そこで本格ミステリの世界を構築できる。

あまり書くとネタバレしますので書けませんが……タイトルもいいですよね、「論理爆弾」。

英語だと「ロジック・ボム」なんですね……「ロジカル・ボム」じゃないのは何故なんでしょう(あんまり意味はないと思います)。

この世界観と、純の無力さ加減がだんだん愛おしくなってきましたが、つづきはいつになりますか、有栖川先生?

 

 

「ーー本人が更生できるように触法少年の氏名は非公開になってるけど、政府は成人の犯罪者の氏名も非公開にしたがってるんや。『やはり更生の妨げになり、人道的ではない。国民には起きた事件の概要を知る権利はあるが、犯罪者の氏名や顔まで知る利益は乏しい』とか言うてな。けど、それは耳触りのええ方便や。ほんまのところは、『警察が誰を逮捕したのかなど、おまえらは知らなくてもいい』と思うてるから、犯罪者の身元を隠したがってるんや。」(p17)

 

 

「押しまくられたとき、対抗する術が見つからなければ、日本人は一致団結して粘り強くこれに耐える。耐えることが自己目的化するまで耐えたりもするが、もとより草食動物のように温和なだけの民族でもないし、あまり息が長くもない。忍耐が限界に達すると一転して猛々しくなり、これまでの鬱憤を晴らすため過度に攻撃的になる。おとなしいぼくを怒らせたおまえは極悪非道だ、とばかりに。

だから日本人に対しては、まず嵐のごとく攻めればよい。そして、さんざん耐えさせてから頃合いを見計らっていったん矛を収め、凪の状態をつくるのだ。緊張を緩和すれば、日本人は凪のありがたさを痛感して脱力状態に陥り、武力攻撃が慣れ親しんだ自然災害と同じようなものと錯覚しだす。そこで政治的な交渉を有利に運ぶことが期待できるし、政治がうまくいかなければあらためて武力に訴えればよい。再びよく耐え忍ぶだろう。」(p116)