べにーのDoc Hack

読んだら博めたり(読博)何かに毒を吐いたり(毒吐)する独白

『悲しみのイレーヌ』ピエール・ルメートル

 

悲しみのイレーヌ (文春文庫 ル 6-3)

悲しみのイレーヌ (文春文庫 ル 6-3)

 

 『このミス』とかをあまり信用していない私ですが、翻訳に関しては情報がないので、そういったところから情報を拾ってくるしかありません。

で、『その女アレックス』というのが面白い、ということで売れに売れているらしい、でもひねくれているのでとりあえずほっといて、その前日談というかシリーズ第1作が出た、ということだったので、購入、まずはこっちから読んでみようと。

 

パリの司法警察警部カミーユ・ヴェルーヴェンは一風変わっている。

人目をひくのはその風貌で、身長が145センチしかない小さな男(母のニコチン中毒のせいで、低栄養状態で生まれてきたのだ)。

薬剤師の父と画家の母を持ち、もっぱら画家の母の才能を受け継いできたが、何故か刑事になっていた(しかも相当有能な)。

彼が遭遇したのは、見るも無残な殺人事件。

被害者は女性で、二人で、それぞれが切り刻まれて放置されている上に、頭部の一つは壁に打ち付けられて、壁には巨大な血文字で《わたしは戻った》と書かれている。

常軌を逸した、という形容では追いつかないなんらかの歪んだ魂の産物。

現場に残された電話機には、ボイスチェンジャーで声を変えた留守番電話の応答メッセージが吹き込まれており、警察に通報してきたのは同じボイスチェンジャーのものと思われる声。

犯人は事件を見つけて欲しがっていた。

カミーユの部下は、大富豪の息子でやはり何故か刑事になったルイ、20年来の知り合いで吝嗇に吝嗇を重ねるが細部に渡り調査を怠らないアルマン、放蕩家で自信家のマルヴァル、上司はカミーユとは大違いの巨漢なル・グエン

とてもテレビニュースには向かない事件だけに、報道関係者にも詳細は知らされなかったが、ビュイッソンという<ル・マタン>紙の記者とのやりとりにカミーユは失敗し、情報が漏れることとなった。

さらに、現場に残されていた証拠から、過去に起きた未解決事件の犯人との共通点が明らかになり、事件は連続殺人となった。

焦りながら事件を追うカミーユは、とある事実に気がつき、まさかと思いながらそのことを確認する。

この事件現場の状況が、ある小説とそっくりに再現されていたことを。

 

と、いうところでやめておきましょうか。

プロットに触れると、いろいろなことが露呈するというやっかいな(よく作り込まれた)小説なので。

フランスのミステリといったら、わたしはポール・アルテくらいしか読んでいないのですが(偏りすぎ)、どうもあちらではノワールというジャンル(サスペンスというのが近いでしょうか)が流行しており、いわゆる本格ミステリは、他の国々と同じようにどこかへ追いやられているようで。

そんな中でも、アルテのような変人(褒め言葉)が出てきちゃったりもするのが面白いところです(アルテはどんな人か……といいますと、黄金時代を、それもカーを彷彿とさせるがっちがちな本格を書く人です)。

本作は警察小説ですが、ジェフリー・ディーヴァーやジャック・カーリーの例を引き合いに出すまでもなく、極めて本格ミステリっぽい部分があります。

それが何かを書いてしまうと、一発でネタがばれるのでやめますが……これに近いもので、日本人でも読んだことがあるというと、印象的なのは○○○○○氏のアレですね、アレ。

そう、アレ……なので、実は変格でもあったりするのです(ややこしい)。

この辺りにしておかないと本当に……。

 

著者は、教職を経てシナリオを書いたりしていたようですが、本作で小説家デビュー(55歳)、いくつもの賞を受賞しています。

この手の仕掛けは、欧米ではどうやって紹介されているのかわかりませんが、日本では結構おなじみで、その点で珍しくはありませんでした。

ちなみに、残虐な描写が多いです(が、概ねそれは、すでに「起こったこと」が書かれているので、ボディーブローのようにあとから効いてくる描写です)。

その辺り、フランスでも浮いているんでしょうか……よくわかりませんが。

それを除けば、読み手を引き込むだけの筆力を持っており、そうですね……<S&M>シリーズの頃の森博嗣氏といえばいいでしょうか……ところどころしつこいと思わせる部分がありますが、それが後半にはいい味になってくるんですね。

作者の年齢を考えても、重厚で老獪ささえ感じる文章力です。

 

で、結末が、なるほどこれが、イギリス人の、ジョンブル流とは異なるフランス人の冷笑なのか、と思いたくなる衝撃でした。

そうか、こっちに振るか、と。

翻訳も極めて読みやすく、結構な分厚さですがぐいぐい読ませる力があります。

第一部から第二部にうつったときの眩暈といったら、わかってはいても一瞬地面を失ったような感覚に陥ります。

技巧的な部分、ネタ的な部分では、日本の本格ミステリを超えているとはいえないかもしれないですが、「こんなことを思いつく人が日本人以外にもいるのか」という不思議な感慨と親近感が読後に浮かんでくることでしょう(……本格ミステリ読みであれば、ですが)。

というわけで、大いに満足したので、いそいそと『その女アレックス』も購入した次第です。

 

 

「ルイは黙っていた。作戦を見極めようとしているのだろう。だがカミーユは急に疲労感を覚え、作戦などどうでもよくなった。なぜなら、なにもかもが予想どおりでばかげているからだ。この仕事では、うんざりすることさえ手続きの一部になってしまっている。そこでさっさと片づけることにし、最短の道を選んだ。」(p63)

 

 

個人的に、ここがこの作品を表しているように思えてなりません。

いえ、決してそうではないんですが……なんというのか、なんとなく……。