べにーのDoc Hack

読んだら博めたり(読博)何かに毒を吐いたり(毒吐)する独白

『中国の大盗賊・完全版』高島俊男

 

中国の大盗賊・完全版 (講談社現代新書)

中国の大盗賊・完全版 (講談社現代新書)

 

 

理系から一気に歴史に脳みそを振ってみました。

学生時代は西洋史をもっぱら学んでいましたので(血にも骨にも肉にもなっていませんが)、東洋史のことはさっぱり。

しかし、日本の古代史のことをうじうじと考えていると、大陸の歴史とは無縁とはいかず、ちょいちょい読んでみないとなと思ったりしています。

で、こちら。

単純に面白いです。

大陸の盗賊というものを、

 

「一、官以外の、

二、武装した、

三、実力で要求を通そうとする、

四、集団」(p21)

 

と定義して、陳勝(「陳勝呉広の乱」の陳勝)、劉邦(言わずと知れた漢の初代皇帝)、朱元璋、李自成(明を打倒しながら清にあっさり滅ぼされた)、洪秀全太平天国)、そして毛沢東を、盗賊王朝の創始者だとしてばっさばっさと斬っていくのです。

盗賊王朝は、王朝を建てると、

 

「一、首領が王位もしくは皇位につき、

二、国号(国家の名称)をつけ、

三、元号(年号)を建て、

四、独自の暦(「正朔」という)を作り、

五、文武百官を任命して政府を組織する。」(p47)

 

 

というのです。

いや面白い。

もちろん大陸のほうではそんな用語(盗賊王朝)なんて使われていません。

しかし、こうした存在は、卑賤(この場合、官とか貴族とかではない、というくらいの意味)の身分から身を起こして国を建てた、共産党の大好きな階級闘争の結果革命を起こしたてなもので、持ち上げたりされているらしいです(何しろ毛沢東が盗賊王朝の創始者の一人ですから)。

日本というのは、なんだかんだで小さな島国の中で覇権を争っていたんだなぁ……と思うと、国が大きければいいというわけではないのですね。

洋の東西を問わずそうでしょうが、身分が低いところから出世すると、「起源を偽る(詐称する)」「養子縁組で有名な家系に入り込む」「高い位を欲しがる」ということは普通に行われるでしょう。

日本の場合、本当かどうかはともかく、織田信長は平家を名乗りましたし、徳川家は源家の後裔を自認していました(これは、平家と源家が交代で天下を獲る、という説があったからでもありますが)。

間に挟まれた豊臣秀吉は、まさしく身分の低いところから出ていましたから、征夷大将軍にはなれず、関白の位を得ました(あ、漫画「にほんのれきし」的な知識で書いていますから、ツッコミは不要です)。

というのも、日本の場合、王朝としては、少なくとも天武天皇以降「天皇王朝」が続いていたからで、天皇家以外の氏族は血統を誇ることができないんですね(せいぜい、南北朝の後に南朝のご落胤を騙るくらい)。

万世一系だったはずもないのですが、天皇家の場合かなりはっきりと系譜が継がれていますので、それを否定することが難しい。

とすると、せいぜい臣籍降下して平家、源家などを名乗った血筋を利用するしかない。

血統を権威として利用する以上、天皇家より「上位」というのは存在しない、という稀有な国家が現在も続いているのです(天皇が存在する限り、共産主義者が考える理論上の「革命」は起こり得ないので、おおむね共産主義者は天皇制打倒を唱えるわけです)。

他の多くの地域では、王朝そのものが交代しています(ヨーロッパのほうでは、各王朝の家系図が嫁入り婿入りでわけがわからないほど入り組んでいますので、どこぞの後継がいないから、別の国から血筋を頼りに誰それを引っ張ってくる、という荒技が成立したりします)。

政権交代はつまり、王朝の交代を意味することが多かったのですね。

だから、大陸のように、始皇帝以降は盗賊王朝だったり異民族王朝だったりが成立するのです。

いや面白い。

太平天国の内情がまた面白い(なんか、厨二病っぽくて)。

別に大陸をバカにしているわけではないのです、日本だって多かれ少なかれそういったことがあったでしょうから。

ただ、我々が日本人であるがゆえになかなか実感できないものが書かれているので、面白いのです。

 

「というのが、盗賊には正規の名称などないのがふつうである。「太平天国」とか「山東人民開放団」とかいうカッコいい名前をつけたのは例外である。しかし何か呼びかたがないと不便だから、頭目の名前で呼ぶのである。

中国共産党の軍隊などは、「工農紅軍」(労働者と農民の赤い軍隊)という立派な名前を自分では名乗っていたが、一般の人々はやはり、「毛沢東」とか「朱毛」とか、頭目の名前で呼んでいた。」(p45)

 

「たとえば、中国共産党の軍隊は、毛沢東の戦略方針にもとづいて、省境地帯の山の中や農村地区に根城を作り、官軍に追っかけられると各地を流動しながら作戦し、十分に勢力をたくわえた上で最後に都市を襲撃して奪取するという方式をとっている。これは歴史上の盗賊がとったやりかたなのである。プロレタリアートの革命ならば、プロレタリアートというのは都市に大量に発生するものだから、まず都市ーーすなわち国家の心臓部ーーで蜂起せねばならぬはずである。しかし、だいたい中国には、プロレタリアートの革命が起るような条件は全然なかったのだ。

だから、一九二七年に毛沢東が作った中国共産党の軍隊は、中国歴史上の、盗賊の流れの上に位置づけられるべきものなのである。それは、マルクス主義を信仰し、不平知識人が指導し、貧しい農民の味方を標榜する、一大盗賊集団であった。」(p51)

 

陳勝にかぎらず、下層の人間が極端にえらくなると、昔の仲間の処置に困るものなのである。ルネ・クレールの映画『自由を我等に』は、もと囚人が大会社の社長になり、そこへ昔の刑務所仲間がたずねてきて往生し、とうとう社長の椅子をほうり出して浮浪者にもどる話であった。しかし実際には、せっかく獲得した高位をそう簡単に棒に振るわけにはゆかない。毛沢東夫人江青ーー二十世紀中国の皇后が、下っ端女優だったころの知人を投獄したり自殺に追いこんだりしたのはよく知られている。

あとで出てくるが、漢代に儒学が国家の学として採用されたというのも、もとをただせば、高祖劉邦の、やくざ時代の仲間対策がきっかけなのであった。」(p70)