べにーのDoc Hack

読んだら博めたり(読博)何かに毒を吐いたり(毒吐)する独白

周回遅れ(8年くらい)で手遅れの今さら『うみねこのなく頃に』(※未プレイ、漫画版は読んだ)

 (※この記事には『うみねこのなく頃に』『ひぐらしのなく頃に』、あとついでに『虚無への供物』の真相にそこはかとなく露骨に触れている部分がありますので、注意してください)

 

うみねこのなく頃に ~魔女と推理の輪舞曲~

うみねこのなく頃に ~魔女と推理の輪舞曲~

 

 

うみねこのなく頃に散 〜真実と幻想の夜想曲〜(通常版)

うみねこのなく頃に散 〜真実と幻想の夜想曲〜(通常版)

 

 

人のふんどしで揚げ足をとる、それもまた人生。

 

うみねこのなく頃に』には、「赤き真実」というシステムがあるらしく(プレイしていないのでわからない)、「赤い文字で書かれた内容は真実」であるらしく。

それに対して「青き真実」というシステムがあるらしく……「青き真実」のことはよく知りません。

なにやら、ルーラー(作者)によって保証されたルールのように思えますが、多分そうじゃないでしょう。

 

○こちら===>>>

「うみねこのなく頃に」作品紹介

 

↑にはそんなこと書いてませんし。

ここに書かれているから何か保証されるのか、という疑問ももちろんありますが、少なくとも作品中で示されるものよりはまだましでしょう。

「なぜ「赤き真実」とやらが必要なのか」、は知りません。

ただ、個人的に私は、「余計なものだろうな」と思っています。

「赤き真実」「青き真実」を使って、何やら論理バトルみたいなものが展開されます(漫画版で見ました)。

仮説の証明をめぐる言論闘争で、それが作中のバトル空間(?)で繰り広げられており、切ったり刺したりできるみたいです(すいません、私の理解です)。

そんなものなくても、成立するのではないでしょうか。

それでも作者が組み込んだのですから、私には想起できない理由があるのだと思います。

私が残念な話だ、と思うのはもっと単純で、「不可思議な現象を、”人間とトリック”で解明できる、という立場で推理し、仮説を構築し、披露する」のはプレイヤーの役割で、プレイヤーキャラクターではない、と考えていたからです。

それなのに、ノンプレイヤーキャラクターとノンプレイヤーキャラクターが、作中で論理バトルを繰り広げられてもなぁ……と。

そんなのただの「推理小説」じゃないですか(あ、じゃあいいのか……あれ?)。

 

例えば、『逆転裁判』ってありますよね。

私、あのゲームは、かなりガチガチの本格ミステリ空間で展開されている、と考えています(とはいえ、ほとんどのゲームは、そのゲーム世界内のルールに従っているので、当たり前といえば当たり前なんですが)。

プレイヤーは、テーブルトークRPGのプレイヤーと同様に、プレイヤーキャラクターを操って話を進めていくのですが、その限りにおいてゲーム世界内のルールからはみ出すことはできません。

被告を追い詰めていくときに、主人公の弁護士が、「どうすれば矛盾を突きつけられるんだ……」と考えて、いくつかの選択肢が提示されます。

なぜその選択肢に至ったのか、についてある程度ロジカルに考えないといけないように作られているんですが、「そんな選択肢じゃなくて、もっと決定的な矛盾があるじゃないかよ!あれだよ、あれ!」といくら思いついたとしても、ゲーム世界内のルールでそれを実行することはかないません。

イライラします。

いや、そういうゲームだから仕方ないんです。

 

ひぐらしのなく頃に』、はそうではなかったんですよね。

何を考えてもよかったわけです。

私(達)は、作中の「監督」を「映画監督」だと妄想して、「真相:映画説」を考えましたけれど、それでもよかったのです。

ルーラーの提示した正解ではなくても、筋さえ通っていればあり得る話だ、と思えたら、「勝負に負けて、推理で勝った」みたいな状態も可能だった。

この手のゲームが面白いのはその部分で、それは「ルーラーの提示した正解」を貶めるものではないはずです。

ひぐらしのなく頃に』は、本格ミステリ空間でないからこそ、現実世界に拡張して妄想し(例えば、「綿を流す祭り」が出てきますが、「そもそも綿というのはある時期までは非常に貴重品だったのにそれを流すなんて、比較的新しい祭りのはずだ!」とかいう、プレイヤーの知識を導入して妄想することができます)、それが面白かったのではないか、と。

だからオチを聞いて「なんじゃそりゃ……」と思いつつも、「まあ、その解釈にたどり着かなかったこっちの妄想力の負けだよね」、と思えました(あ、作品のテーマとか、知りませんから)。

何度かテレビで放送された、バカリズムさん進行の『リアル脱出TV』、あれなんてまさにそんな感じですよね。

ああいうのが、『ひぐらしのなく頃に』の目指していたところなんじゃないのかなぁ……とぼんやり思うのです(まあ、ただのクイズだと言われればそうなんですけどね……)。

『リアル脱出ゲーム』に参加したことのある方は、「仮想空間を現実世界に拡張して、プレイヤー=プレイヤーキャラクターになれる(プレイヤーの知識、経験、能力を、プレイヤーキャラクターとして発揮してもいい)」ことを体験できます。

あれを、ノベルゲームでやれたのが『ひぐらしのなく頃に』だったのではないか、と(あくまでプレイヤーはプレイヤーでしかなかったんですけどね、返答がないだけで妄想と突っ込みはし放題なわけですから)。

ですので、『うみねこのなく頃に』で、「赤き真実」とやらで「これが真実!」「これは嘘!」みたいなバトルをやられても、それは「プレイヤーが知りたい情報ではなくて、キャラクターが知りたい情報でしかない」、『逆転裁判』と同じように、「こっちが聞きたいのはそんなことじゃないんだよ!」と思ってしまって……。

これがテーブルトークRPGなら、ゲームマスターが即座に反応してくれて成立するんですけれど、『うみねこのなく頃に』はテーブルトークRPGではないですからね。

例えば、プレイヤーキャラクター同士がしゃべっているはずなのに、プレイヤー同士がしゃべっている、というメタな状況も頻繁に現れますが、そもそもテーブルトークRPGは「役割を演じる」ことが基本条件ですので、「あ、今のはプレイヤーの発言で、PCの発言じゃないから」と否定すればいいわけです。

うみねこのなく頃に』には、「プレイヤーは、プレイヤーキャラクターとしてゲームに参加しなければいけない」というルールは提示されていませんから、プレイヤーはメタな存在としてゲームに関わらざるを得ない。

一方で、プレイヤーキャラクターから自由であることで、妄想し放題。

つまり、真実かどうか、なんてことはプレイヤーには大して重要ではなく、「それが真実かどうか、を妄想する」ことができる、というのがいいんだと思います。

 

 

 

「だったら、「赤き真実」やら「青き真実」やらに惑わされずに妄想すればいいんじゃないのか?」という反論が待っていると思います。

その通り。

その通りなんですが、読みづらい。

いっそ、「赤字」「青字」のシステムのない、単なる言論バトルで終始するバージョンがあったらよかったのにな、と思ったりします。

「赤き真実」「青き真実」が、『逆転裁判』みたいなゲームに組み込まれていたら、面白かったかもしれないな、プレイしたかもしれないな、とも考えたり。

ノンプレイヤーキャラクターがメタの立場に立って、言論バトルされてもなぁ……普通に、その世界の中で言論バトルやってもらったほうがよかったんじゃないかなぁ……。

 

 

 

 

とはいっても、何しろエピソードのほとんどが「作中作の小説」という設定なので、そんなこともうどうでもいいですけどね。

ひぐらしの〜』で使ったループ物が使えない以上(どうやら、2作連続でそれはできなかったようです、作者の良心なのかプライドなのか)、同じ手を考えるなら、私(達)が「真相:映画説」を思いついたように、「フィクション」を持ってくるのが常套手段。

これなら、同じ時間軸を繰り返していても、現実世界のロジックで説明することができます。

まあ、その現実世界は、「私たちの生きている現実世界」ではなくて、「ノンプレイヤーキャラクターの生きている現実世界」でしかないので、魔法があろうがなかろうがルーラーの決めることなのですが。

ひぐらしの〜』の頃に不満だったのは、「どうして違う事件が起こるのか……」なんですよね。

それは、時間をループしていて、その度に少しずつ可能性が違う世界なのだから、違った事件が起こるのだ、と言われれば「ああ、そうですか」と(不満だけど)納得できました(「じゃあ第一話は、一体何回めの世界なんだよ」、と思いましたが、詮無いことなので……圭一くんはいつから転校してくるようになったんでしょうかねぇ……)。

うみねこのなく頃に』は、「NPCのいる現実世界」で起こった事件についての情報がないので、「事件をモデルに、好き勝手に小説を書いている連中がいる」、つまりその連中が「一から十まで妄想して事件をでっち上げているから、毎回事件の内容が違うのだ」……ってことだと思っていたんですが、どうもそうでもないらしい(そういう設定ではあるのですが、プレイヤーが読まされるものはそうではないらしい、ということだそうで)。

「毎回違った事件が書かれていて、しかもフィクションなのでその真相はどうでもいい」、プレイヤーはもっと違うことを「推理」しなければいけない(らしい)のです。

ますます「赤き真実」とか「青き真実」とかどうでもいいですね。

プレイヤーの自由度が著しく狭められていて、多様性を拒否するような作りだなぁ……と感じた次第。

ひぐらしの〜』でいろいろと言われたことから、そういう作りにしたのだと思いますけれど、逆にそのことが面白さを損なっているように思います。

ゲーム終了条件は「事件を”人間とトリック”で説明できるかどうか」と「魔女の存在を信じるかどうか」ですから、行き着くパターンは4つありません。

そういう意味で、プレイヤーは作者の用意したパターンに近づいていくしかありませんから、『ひぐらしの〜』よりはわかりやすいし、当たりやすいと思います。

ああ、その4パターンしかないから、正解を公開するのをやめたんでしょうか……。

ま、とにかく、世間で酷評されているほどではない、と私は思っています(好きか嫌いか、でいえば嫌いですが)。

 

sai-zen-sen.jp

 

では、もう少し↑インタビューを引用してみたいと思います。

 

「ーー「ライトな読者が増えたところで、ライトな人には全く合わない作品を出してしまった」ということです。逆ならわかるんですよ。『うみねこ』が最初の話でその後に『ひぐらし』という。

竜 より大衆向けにしていく、という方向性。

ーーそれならばすごく良くわかるんですよ。最初はとてもコアなものを書いておいてから、「最近はカジュアルなファンも増えてきたから、ここで一発ドカンと当たるものを書こう」という、ね。これをあえて逆にした、というところが竜騎士さんらしい非凡さなんです。」

 

……そういうものなんですかねぇ……非凡というより、やりたいようにやっただけ、じゃないんですかね。

 

「ーー歴史の評価というのは必ずきちんと定まるので、たぶん今、この場で僕が話しているようなことが皆のコンセンサスになっていく気がしますけどね。

竜 そうだと良いんですけどね。わからないですね。今はコンテンツが飽和している時代なので、次々とおもしろいコンテンツが現れますからね。

ーー僕にとっては「クリエイターの身の振り方」とう問題において、こういうふうに身を振れる人がいたんだということがとても新鮮だったんですね。僕が好きなのは「自分の秤を壊してくれる人」。編集者っていやなもので、付き合っている作家さんや読んでいる作品に対して「きっとこのくらいでしょう」という目分量を付けて付き合って読んだりしてしまうんです(苦笑)。で、僭越ですが、その読みは大概は正しいんですよ。ところが『うみねこ』は最後の最後のところで、まさに秤がひっくり返っちゃったんです。それはまさに僕の人生に確実に残る衝撃だった。

竜 ありがとうございます。そこまで読んでもらえたならば、何も言うことはございません。

 

だんだんと、インタビュアーがわざと作者を嵌めているようにしか見えなくなってきました。

明らかに竜騎士07氏は冷静に話しているのに、インタビュアーが燃料投下してますよね、これ。

 

「竜 CLAMPの大川先生に聞かせてもらった「前の作品の読者は、別れてしまった恋人だと思え、思い出は大事だけれど、新しい彼女、つまり新しい作品のファンに全力を尽くせ」という話……ファンを大事にしつつも、ファンを大事にしすぎるあまり、新しい作品への冒険心が削がれてはならないんです。

ーー超一流である人って皆同じことを言うんです。僕はマイルス・デイヴィスが好きなのですが、彼も同じことを言っています、「オレはいつまでも『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』を演っているわけにはいかない」と。「皆が昔みたいにバラードを吹いてくれ、というけれど、もう自分はそこにはいない。バラードを期待するやつらが自分が今いるところまで来るのを待っていたら、オレの一生があっというまに終わってしまう」、と。編集者だってそうなんですよ。太田の活動で「〜が好き」「こういうときの太田は良かった」という声は読者の側にやっぱりあるし、「ずっとそれをやってくれれば良いのに」という声も、もちろんある。

竜 ハハハ。熱心なファンはどうしてもそういうふうになってしまうんですよ。自分のファンを大事にするということはモチベーションを維持するのに役立つことなのですが、今あるファンを大事にするあまりに未来のファンに立ち向かう冒険心を失ってしまうというのも、クリエイターとしてはもったいないな、と思います。」

 

ええと、クリエイターってそう思っているものだと思いますが、一方で「超絶なマンネリを芸にまで高められる人」もいます。

どちらが是か非か、ではなく、クリエイターとしての姿勢なだけだと思いますが。

で、私、編集者の活動にどうこう思ったことはないですけどねぇ……世の中の小説ファンは、そんなことも思うんでしょうか。

さらっと自分をマイルスになぞらえている辺りに、インタビュアーの自信と傲慢さを感じますね(棒)。

 

「ーーネット時代にはネットリテラシーが書き手側にも必要になってくるということですね。

竜 その通りです。だからネット時代の連載推理というのは、本当に愉しいし、難しい。紙の世界の推理小説だって、携帯電話の登場で大きくトリックを変えたと思うんですよ。

ーー密室に閉じ込められてどうしよう、となったときには、今ならば脱出方法をググれてしまいます。なんなら、発言小町で質問したっていい(笑)。

竜 そうなんですよね。2ちゃんねるなら、「ちょ、オマエら部屋から出られなくなったわけだが……」とスレを立ててしまったりね(笑)。」

 

……最先端の技術をフィクションが取り込んで、いかに消化して、あるいは換骨奪胎していくのか、というのは当たり前のことだと思っていたんですが……特にミステリなんて、まさにそういうフィクションです。

携帯電話やスマートフォンが、ミステリのトリックを大きく変えたのは間違いないですが、同時にそれに付随するものをいかにしてミステリの中に取り込むか……ということをみなさん瞬時に考えるわけです。

2ちゃんねるを使ったトリックだって書かれていると思います(私は読んだことないですが……それをミステリに使いたくなってしまうのが、ミステリ作家の性というやつでしょう)。

 

「竜 新しい時代の読者かどうかはわかりませんが、「皆で議論してみて。自分にない意見を人が持っているかもしれないから議論してごらん、あなたの意見も恥ずかしがらずに言ってごらん、思わぬ着想があってみんなから褒められるかもしれないよ」という読者を『ひぐらし』と『うみねこ』二作で八年かけて育ててきたとは言えると思います。」

 

功罪、ということで考えると、確かに育ててこられたのは間違いないですが、そういった人は昔からいたような気もしますけどね……同人の世界なんてまさにそうだと思うのですが(シャーロキアンとか……またちょっと毛色が違いますか……)。

一方の罪は、「この読み方は、結果失望するだけ」という人も増やしたところでしょうか。

 

「竜 EP8に来るまでの四年間についてこれている読者は確かにいた。その人たちは納得してもらえる点に来たと。私は読者の「咀嚼力」、「顎の力」を信じなければ、あれだけ歯応えのある作品は作れなかったですね。もしも読者を見下していたら、ぐちゃぐちゃに崩しておかゆにしていたでしょうね。

ーーそこで竜騎士さんは読者を裏切らなかったんですよね。一部の読者も竜騎士さんを裏切らなかった。

竜 私は、『うみねこ』という作品の歯応えを理解している読者を理解できたんです。私の読者に対する信頼こそがあの終わり方なんですよね。もしも私が「答えはこれです」と明白に書いていたら、私が読者を信頼していなかった証なんですよ。「どうせ答えに至れなかったでしょ? だから答えを書いたよ」と言っているのも同然です。多くの方が、答えを明かさないミステリーはミステリーではない、という考え方をしているようですが、私からしてみればそれは逆なのです。読者の方は必ず理解できたはずだ、と。私が「私の読者は手強い読者だ」と信頼しているからこそ、この歯応えでいけるのですよ。」

 

「私が「私の読者は手強い読者だ」と信頼している」……はあ、無謬の信頼ですか。

私が信者になっている方が何人かいらっしゃいますが、信者であればそれでいいと思います。

ただ、結果として、提示された形態は、その信者さんにしか受け入れられなかった、というだけですから。

 

「多くの方が、答えを明かさないミステリーはミステリーではない、という考え方をしているようですが、私からしてみればそれは逆なのです。」

 

同じ言葉を使っていても、示しているものが違うのでは、永遠に平行線です。

だからまあ、もう、ミステリーって言わないほうがいいと思いますよ。

「答えを明かさないミステリーはミステリーではない」なんてのは、ミステリファンとしてもさすがに「狭量だ」と思いますが、基本的にミステリは「謎をいかに解体するのか」までを含んでいると考えていますので、賛同しかねます。

うみねこ〜』では、謎はある程度解体されていたので、それでも別に構わないと思います。

ただ、クリエイターとして、「箱の中身はなんですか?」ゲームで言えば、「答えは多分あれだから、まあいいや」っていう程度のものですよ、っていうメッセージが伝わると思うんですよ、意に反して。

作者がそう思っているんだから、「もういいや」、っていうのが大部分のプレイヤーの反応なんでしょうねきっと。

 

「竜 作品を見ているだけでなくて、見ながら一緒に考える作品、デスゲーム系の作品なんかでも、登場人物達の知恵に感嘆しつつも、「でも、最初からこうしていれば、誰も死ななかったのではないか?」ということなどを同時に考えているのもおもしろいですよね。」

 

今やそんな漫画ばっかですよ、竜騎士07氏。

正直うんざりです。

 

「竜 (略)本当はコンテンツというものは皆おもしろいものなんですよ。おもしろいかつまらないかは送り手の問題ではなく、受け手の問題なんです。私は常にそう思っています。ただ、クリエイターの立場でそれを言ってしまうと、なぜかフルボッコにされるという不思議な習慣が日本にはありまして……。」

 

そんな不思議な習慣がありますか……日本の受け手はそこまで無責任ではないと思いますよ。

それが作り手の傲慢だ、とは思いませんが、ハードルは上がりますよね、どうしても。

で、「つまらない作品は、作者含めてフルボッコ」ですけど。

 

「ーー京極(夏彦)さんも竜騎士さんと同じことを仰っていますよ。「おもしろくない小説などない」と。僕も、それが作品として描かれている以上、少なくとも書いている本人はおもしろいと思っているから書いているわけでしょう。だから「世の中にはつまらない小説は、実は一本もないんだ」と思っていますね。」

 

「誰にとって、おもしろいのか」という視点が抜けてますよ……「おもしろいかつまらないか、は受け手の問題」と作者が言っているのに、「少なくとも送り手はおもしろいと思っているから、つまらないものはない」って……大丈夫ですか?

 

「竜 そう、『うみねこ』は恋ではなくて愛の話なんです。

ーーなんでそうなったんですか?

竜 「動機をテーマに犯人の心を探って欲しかった、犯人の心を考えて欲しかった」というテーマを描くにあたって、その心の中の一つの形態として愛があって、「心を理解しないと動機を察することができない」という作品に『うみねこ』をしたかったんですよ。だから読者の方が今までどれだけ真剣に恋愛のことを考えてきたか、ということがそのまま犯人の心境・心情を理解できるか否かに直結してしまうと思います。だから有り体に言ってしまうと、この作品は圧倒的に女性の方が真相に辿り着いた確率が高いですね。ほとんどが女性じゃないかな。男性で辿り着いた人はKEIYAさんを含めて非常に稀ですね。いや、KEIYAさんの場合は「理詰めで愛を分解した」に近いかな。

ーーハハハ。

竜 「KEIYAさんが愛を知らない」って言っているわけではないですよ(笑)。KEIYAさんは考察に考察を重ねて新たに愛を理解した、みたいな深いレベルですね。

ーーKEIYAさんの場合はこれだけ理解不能なものはもう愛と名付けるしかない、と理解するみたいな感じですかね。

竜 愛についてどれだけ深く考えているか、いないか。憧れでもいいんです。どれだけ正面から受け止めてきたか、それが問題なんです。

ーーこんな愛をしたいな、というような想いでもいいんですか?

竜 そう。だから謎を推理するにあたって愛という考えがなくて、単なる理詰めで、単純に勧善懲悪、損得関係だけでものを考えたらとても『うみねこ』は理解できないと思います。

ーー 竜霧さんが「『ひぐらし』『うみねこ』というのは、推理をした文字数のぶんだけ楽しめる」と仰っていましたが、愛について考えた時間の数だけ真相がわかる作品になっているような気がしますね。

竜 そうなんですよ! 人を恋するという気持ちはいつも一方通行なんですよ。逆に人を愛する気持ちというのは、自分がそうだから相手もそうであって欲しいという……恋が片道の矢印「→」だとすると、愛というのは双方に向いている矢印「⇄」なんです。その人と一緒にいたい、添い遂げたい、という気持ち……ごめんなさい、私もうまく言葉には表せないので今の発言は無しにしてくれてもいいです。とにかく愛についてどれだけしっかり考えたかを大事にしたかった。うーん、恥ずかしいな(笑)。」

 

ああ、なるほど……この辺りがですね、私が作者のインタビューなんかを読んで「気恥ずかしい」と思う部分ですね。

 

「竜 犯人の動機さえ理解できれば、犯人がどういう考えに基づいて何をしたのか、ということが解るので、あとは芋づる式にトリックだの何だの、というところは想像がついてくる。逆に犯人が特定できない人はトリックも全く想像できないでしょうし。トリックなんて私は大して難しいことしてないですからね。

ーー 過去の作品から出てくるものの掛け合わせ、と。

竜 そう、超有名作品に出てくる、もう古典も古典、何十年も前のレベルのトリックを掛け合わせてやっているだけなので。斬新なトリックは全く出てきません。ただ、犯人の動機についてだけはしっかりと考えないと駄目ですね。動機さえ解れば、犯人が特定できる。(略)」

 

探偵は良き心理学者でもあれ、とは思います。

一番犯人に近い人が、探偵なわけなので。

そういう意味では、動機から謎を解くことも、間違いではないでしょう。

 

「竜 女性は文字では説明できない、抽象的な感覚、男に無い感覚で理解するんです。そういう人にとってはこの物語はふわっと理解できるんけど言葉で説明できない、でも私はわかっているよ、という考えになるんでしょう。男は五感しかないけれど、女は六感があるんじゃないかな。

ーー ベアトリーチェが最後で海の中に沈むことを選ぶではないですか。あれも女性のほうがよくわかるわけですか?

竜 私が今まで見てきた感想からは、明らかに、真相に至ったなと私が思った感想文のほとんどは女性ですね。女性にだけわかるように書いたつもりはないのですが、こうして物語を終えて、考えてみたら「女性のほうが愛というものに対して深く考えているんだな」と感じました。

ーー 僕はどうしても男の目線で読んでしまうから、あそこはちょっとだけ納得いかなかったんですよね。すごく綺麗なラストシーンだけれど「何で一緒についてきてくれないの?」と。

竜 どうしても男は損得関係になってしまいますからね(笑)。

ーー 僕としてはベアトリーチェにはついてきて欲しい。ついてきてくれるはずではないですか。あそこまで戦人が筋を通しているのだから。ベアトリーチェのほうからすると、自分の罪を許せる相手は許せない、というところがあったんですかね?

竜 うーん。答えになってしまうのであまり言いたくないのだけれど、ベアトリーチェと戦人が添い遂げられてしまう」というのは「紗音と譲治、朱志香と嘉音が添い遂げられない」ということを確定させることでもあるんですよね。三組の恋がそれぞれ成就されるためには、実は誰も成就してはいけないんですよね。

ーー なるほど!」

 

何か、偏った女性観が見えていますけど、まあ個人の考え方なので。

 

「「ベアトリーチェと戦人が添い遂げられてしまう」というのは「紗音と譲治、朱志香と嘉音が添い遂げられない」ということを確定させることでもあるんですよね。三組の恋がそれぞれ成就されるためには、実は誰も成就してはいけないんですよね。」

 

ベアトリーチェ」と「紗音」と「嘉音」というのは、一つの体に宿る三つの人格のこと、らしいです。

それぞれが恋をしている、らしいです。

その上で、

 

「三組の恋がそれぞれ成就されるためには、実は誰も成就してはいけないんですよね。」

 

↑の意味が全くわかりません。

それが可能になるのは「魔法」がなければならない、らしいです。

 

「竜 だからベアトリーチェは戦人が「島を出ようぜ」と連れ出してくれた時点で彼女の戦人に対する想いは、一つ成就を迎えたのですよ。魂の絆を迎えたわけですよ。ただ、男はそのときに「死ぬまで一緒にいようね」と求めてしまう。

ーー わかります。

竜 でも女性的な立場から言うと「一緒にいようね」という約束をもらえただけで彼女の魂はゴールを迎えたわけですよ。

ーー 悲しいなあ。それ以上やってしまうと……ということですよね。

竜 実際に島から出ていって「添い遂げられました」という事実が確定するとベアトリーチェの中では残り二組の恋愛を否定することにつながってしまう。残り二組も幸せでいるためにはベアトという猫箱は伏せたまま、閉められたままでなければならないんですよ。でもそのまま戦人に島から連れ出されたら猫箱が開いてしまう……うーん、ここはお茶を濁したいな。

ーー ゲラで治してください(笑)。

竜 太田さんと二人で話しているただの雑談であったら話せるんですけど、こういうことを本当は活字に残したくないんですよね。

 

「太田さんと二人で話しているただの雑談であったら話せるんですけど、こういうことを本当は活字に残したくないんですよね。」……じゃあカットしてください(話者も校正入れているんでしょ?)

 

「ーー (略)島からは絶対に出れないんですよね、彼女の想いが、愛がある以上は。

竜 戦人が「島から出ようぜ」と船に連れ出してくれた時点で、ベアトの中ではもうゴールしているのですよ。

ーーベアトリーチェというのはやはり六軒島だけで生きられる魔女なんですね……。他では魔力が発現できない。最後のキスシーンが彼女の最後の魔法だったのですね。

竜 そう、やはりそういうことなんですよね。あの時点で愛はもう完成されたのですよ。だからベアトリーチェは「ああ、ベアトリーチェという人は戦人と添い遂げることができた」と覚醒できた。だからそこでもう充分。そしてそれ以上先は開けてはいけない猫箱を開いてしまうことになりかねないので、美しい思い出のまま、フェードアウトしたほうがよかったんですよ。

ーーあのシーンは竜騎士さんが今まで書いてきたあらゆるシーンの中でも最も美しいシーンの一つだったと思っています。

竜 そこで「ベアトリーチェがどうして海に飛び込んだのか」というのがわかるかわからないかで、あのシーンに感じる印象は全く変わってきます。そういう意味ではあのシーンの意味がわからない方は、きっと『うみねこ』という物語がわからなかったと思います。

ーー 僕は男だからあそこはやはりわかりたくないんですよ。彼女の気持ちがわかるがゆえにわかりたくない。その想いもまとめて飲み込んで黙って俺についてきてほしかった。

竜 男はどうしても気質的なんですよね。男は「魂が結ばれたんだから身体はいらない」と納得できないのですよ。

ーー 納得できないですね(笑)。

竜 男は子孫を残すために生きるので、女性の身体・肉体がないと困る。だけど女性にとっては肉体は魂の付属物でしかないんで、魂が結ばれれば、究極的には肉体が離れ離れになっても、お互いが結ばれたのだから良いではないか、と思っています。それはただ私が女性を神格化しすぎているのかもしれないけど、あの世界の価値観ではそうなっている。戦人にそれが理解できたかできなかったかはわからない。その結果、戦人は海に飛び込んだ。数年後、海から引き上げられたら彼は記憶を失って八城十八になった。彼の身体は戦人だったけど心は抜けていた、というあたりにいかにベアトリーチェが魂の結びつきを大事にしたか、ということが物語られているのかもしれない。彼が自身のことを戦人と認めないことが、ベアトリーチェに向けた手向けなのかもしれないですし……。そこは読者に考察して欲しいところなのですよ、私が言うところではないし、私が言ったことがファイナルアンサーだとも思って欲しくない。

ーー 答えは「生き方」が問われるんですね。読み手の。

竜 そうなんです。

ーー となると、どれも正解だと思うんです。それこそこういう人が居ても良いと思いますね。「あそこでついてこないベアトリーチェって、本当にひどい」と(笑)。

竜 ハハハ。ベアトリーチェという奇特な考え方をする人の考えがどれだけ四年間の連載の過程で理解できたかが、最後のシーンで泣けたか泣けないかの差になってくるのではと思います。」

 

前回の記事でも書きましたが、私は、作者が作品の中で全てを語れ、とまで思わない性質です。

でも、ここまで言う必要もないと思います。

プレイヤーをバカにしているのかな……「そこは読者に考察して欲しいところなのですよ、私が言うところではないし、私が言ったことがファイナルアンサーだとも思って欲しくない。」……この辺りとか、明らかにプレイヤーをバカにしていると思います。

書かれていないことを補いながら読みますよ、普通。

あと途中の偏った女性観は、どうやらあの世界のものらしいですが、他の女性キャラもそうだったんでしょうか?

あっという間に人類滅びますな。

 

「竜 子供も作りたいと思うし、遊びに行きたいとも思うし、私個人はベアトリーチェの恋愛観とは相容れないけれども、ただ、そんな彼女の恋愛観を理解するのはおもしろいですよね、と。だって自分と違う思想を楽しむことが読み物の醍醐味ではないですか。そんな中で、ミステリーの中に恋愛についてのテーマ、エッセンスが入ったらおもしろいな、と。それで見てみたらヴァン・ダインの二十則の中には「恋愛を禁ずる」なんか書いてあったりして、これはおもしろいなと。(笑)」

 

「そんな中で、ミステリーの中に恋愛についてのテーマ、エッセンスが入ったらおもしろいな、と。」……ええと、だからミステリーを読んでいない、って言われるんですよねきっと……。

 

「竜 そうですね。『ひぐらし』の頃からノックスの十戒の話は伺っていたので調べてみたらヴァン・ダインの二十則みたいなものもあって、とてもおもしろな、と。「えーっ、古今東西、恋愛でどれだけ殺人が起こっていると思っているんだ!」と、「恋愛禁止」というルールを知ったときに思いましたね。その頃からミステリーと恋愛というミステリー上ではあり得ない組み合わせを考え始めたんです。水と油をうまく混ぜ合わせることはできないかな、と。」

 

……誰かちゃんと「ヴァン・ダインの二十則」のことを教えてあげないから、こんなこと言っちゃうんですよ……。

 

「ーー ヴァン・ダインの二十則にすべて反しても、きちんと物語が本格ミステリーとして成立する、ということを今回竜騎士さんが律儀に証明したのだな、という気がします。

竜 そんなふうに言われると、恥ずかしくなってしまいますね(笑)。ミステリーなんて所詮、エンターテインメントの一部なのですよ。だから、これはミステリーだ、これはミステリーではない、みたいな、歌舞伎の審査みたいな堅苦しいものではないはずです。楽しんでもらえればいいんです。

ーー それでわかった! 竜騎士さんは今回の『うみねこ』でノックスの十戒ヴァン・ダインの二十則が出てくる以前のミステリーが書きたかったわけですね?

竜 そうなんです。ノックスの十戒とかが出てきてから、ミステリーが「あらねばならぬ、あらねばならぬ」という堅苦しいものになっていったのではないか。日本人って規則が大好きじゃないですか。それに沿う沿わないということを、規則を重視するあまり、必要以上に気にするようになってしまったんじゃないかな。」

 

ヴァン・ダインの二十則にすべて反しても、きちんと物語が本格ミステリーとして成立する、ということを今回竜騎士さんが律儀に証明したのだな、という気がします。」……え、『うみねこ』って本格だったの?

 

「だから、これはミステリーだ、これはミステリーではない、みたいな、歌舞伎の審査みたいな堅苦しいものではないはずです。」……え、『うみねこ』ってそういうゲームでしたよね?

 

竜騎士さんは今回の『うみねこ』でノックスの十戒ヴァン・ダインの二十則が出てくる以前のミステリーが書きたかったわけですね?」

ノックスの十戒とかが出てきてから、ミステリーが「あらねばならぬ、あらねばならぬ」という堅苦しいものになっていったのではないか。」

……だから、誰かちゃんとノックスの十戒とかヴァン・ダインの二十則とか、説明してあげないと。

その上で、「そんなもの知るか」と書かれてきた無数のミステリがあることも。

ミステリの「型」というのは、十戒や二十則で規定されているわけではないんです。

作者と読者の間で、作品ごとに作られるルールがあるだけです。

どうしてこんな理解になるのかがよくわかりません。

 

「ーー 僕は今回の『うみねこ』は『虚無への供物』のテーマを一歩先に進めたところがあると思っているんですね。あの作品はミステリーの登場人物が現実世界に対して「あなたたちのそんな気持ちこそがミステリーにおける犯人そのものなのですよ」と突きつける話ではないですか。ところが『うみねこ』は、ミステリーの登場人物から「どうか僕たちをそっとしておいてほしい」とお願いされてしまう……。これは明らかに『虚無への供物』より一歩先にあるシチュエーションなんですよね。

竜 作中にもウィッチハンターと呼ばれている迷惑な人たちが出てきて勝手な考察をしていますしね(笑)。

ーー(略)そして、ああいったふうに『うみねこ』のルールに乗っ取った発言で現実の世界の自分が揺らぐような感動を感じてしまった以上、EP8のラストで、そのキャラクターたちから心からお願いをされたときに、それを真摯に聞いてあげる気に僕はなったんですよね。こういう不思議な感じを味わったのは『虚無への供物』以来でした。

竜 珍しいジャンルの話を書いてしまった、と思いますね。」

 

「僕たちの気持ちを考えて、真相は暴かないでそっとしておいて」……って、どういうことでしょうか?

考察するなってこと?

考察してもいいけど、発表するなってこと?

その登場人物達は、誰に向かって言ってるんでしょう。

プレイヤー?

それとも、『うみねこ』の世界の読者?

究極的には、プレイするな、ってことなの?

いや、別に登場人物がプレイヤーに向かって何を言っても別にいいんですけど……ああだから、私は登場人物がプレイヤーを罵倒しているようなセリフがあったところで(不愉快ではあるにしろ)かまわないと思います。

でも、プレイヤーって、登場人物に何かしましたっけ。

したのって、全部登場人物同士でしょ?

「赤き真実」も「青き真実」も、プレイヤーのあずかり知らぬところで加えられたルールですし。

自発的に行ったことが、ゲームを購入したことだけ、というのなら、罪はそこにあるというわけですね。

うーん、まあじゃあ、罪人でいいんじゃないですか?

 

あと、インタビュアーの読書体験が、私とはかなり違っていて、私から言わせれば残念なんだな、ということがわかりました。

フィクションの登場人物の言葉が現実に干渉してきたことがあまりないんですね……私は結構影響受けるほうなんで。

 

「ーー 愛に対する渇望と、恐れ。両方が『うみねこ』にはある。KEIYAさんが考察していた「左の薬指の傷」に象徴されるように、愛を求めているにもかかわらず、不信感があるんですよね、竜騎士さんには。

竜 怯えですね。生活が大きく激変してしまうのではないか、という怯えと期待。

 

……あ、笑うところですか?

普通のことを、普通じゃないことのように言うのが流行っていたんですかね。

 

あと途中で「重い選択肢」という言葉が出てきましたが、「選択肢のないゲーム」のはずなのに選択肢を出す時点で、私の中では「無し」です。

 

 

 

この2週間ほどのもやもやを、ある程度吐き出したような気がします。

もういいや。

何度も書きますが、竜騎士07氏のことは尊敬しています。

作風、文体は嫌いですが。

そして、私の『うみねこ』の解答は、「みんなが推理し続けてくれる限り、魔女は存在し続ける」、ですから、私の中の魔女は本日で消滅しました。

でも、ネットのどこかでは存在し続けていますよ、魔女。

 

 

 

ま、未プレイなんですけどね(漫画は読みました)。