べにーのDoc Hack

読んだら博めたり(読博)何かに毒を吐いたり(毒吐)する独白

『殺牛・殺馬の民俗学』筒井功

 

殺牛・殺馬の民俗学

殺牛・殺馬の民俗学

 

 

民俗学は、私の足を踏み入れる領域ではないのですが(何しろ定義が理解できていないもので)、興味だけは昔からあるんですよね。

で、古代史と関連していそうなテーマでときどき読むことがあります。

これもそんな感じで選んだような、そうじゃなかったような……。

章題は、

 

第一章 淵に棲む牛

第二章 そこは雨乞いの祭場であった

第三章 牛淵と馬淵

第四章 雨乞い儀式の種類

第五章 殺牛・殺馬祭りの風景

第六章 牛馬を「落とす」「転ばす」

第七章 雨乞い地名を歩く

第八章 雨乞い師の家筋

第九章 殺牛・殺馬祭りと被差別民

第一〇章 古代から中世にかけての雨乞い

第一一章 諸外国の殺牛・殺馬儀礼

 

といったところ。

日本全国にもあるようですが、とりわけ四国地方、中国地方、紀伊半島の「牛鬼」地名に着目し、それらが殺牛の儀礼の場所だった、またその儀礼とは雨乞いだった、ということを論証しようとする本です(全ての「牛鬼」地名がそうだ、というわけではないです、もちろん)。

「牛鬼」だけでなく、「牛落」「牛縊」「馬落」などという地名もあるそうで(私の近在にはあまり見当たらない……ような気がしますが、きちんと調べたことはないので)。

日本各地には、どうやら牛や馬を殺して生贄にする儀式、というのが近代まで行われていたようです。

正確に言えば、「牛や馬を殺して、聖域を穢すことで、水の神様がお怒りになり、地や臓物を洗い流すために雨を降らせる」という儀式です。

通常、生贄といえば、豊饒を祈願したり感謝したりするものですが、日本独特の「穢れ」の観念によって幾分か屈折したものになってしまったようです。

牛、馬だけでなく、ときには犬も。

これらは、生活していく上で非常に貴重なモノなのですが、その死骸の扱いや解体(皮革もまた貴重なモノです)に関しては、死穢の思想から普通の農民などが触れることかなわず(どこまで守られていたかはわかりません)、次第に被差別民の専従するところとなっていきます。

農業を中心とした国で、しかも死穢思想と仏教の展開により肉食も忌避されるようになったはずの日本で、ごく最近まで牛馬を殺して雨乞いをするような儀式が伝えられていたのか、という驚きが、我々の自覚のなさを物語っているのかもしれません。

もちろん、かなり特殊な事情でなければ、そういった儀式・祭礼は行われなかったようですが、皆無だったわけではない、と。

しかし一方で、長野県の諏訪地方では「鹿食免」といって、肉食を許すような制度(?)があったり、様々な理由をつけて肉食が行われていただろうことは、何となくわかってもいたりします。

何かにつけて「言い換え」ることで、ごまかしてきた宗教界(酒=般若湯とか)。

社会の一部分を見えづらくすることで、何かから逃れようとしてきた地域社会(被差別民に仕事を押し付ける→押し付けておいて、さらに差別する)。

このような在り方は、別段日本特有のものでもないでしょう。

そういった、見えづらい部分を全て見えるようにしてしまったのが、近代社会でしょうか。

合理性には、不合理であることによる合理性も含まれると思いますが、近代はそういったものを否定しがちです。

いえ、多くの人が、昔に比べれば生きやすくなっているのだとは思います(現代は、現代なりの生きづらさがありますが)。

ただ、牛や馬を雨乞いのために神に捧げた真摯さというのが、容易に肉を買い求めることのできる現代人には足りていないのかな……とも思えたりします。

 

他にも本書では、「センゾク」という地名の考証や、「イチ」と呼ばれたらしき巫女のこと(「卑弥呼」や「神大市姫」との繋がり)など、古代史好きにもくすぐられる部分がいくつかあり、なかなか面白いと思います。

あと、「牛鬼」ですね。

私たち世代であれば、水木しげる大先生描くところの妖怪「牛鬼」が浮かんでしまういます。

何せ平安時代からあった概念らしいです、「牛鬼」。

牛で鬼なのに何故か水辺に出る、という不思議さに首を傾げたこともない幼年時代でしたが、雨乞いのため水辺て犠牲にされたモノを、そのように伝えてきた可能性もあるわけで。

そこに、「牛頭天王」が習合しますと(疫病神ですが、やはり何となく水辺と関わりがある)、より一層強力な概念になったことでしょう。

昔、「牛」を象徴とする疫病神の不思議、について妄想したことがあるのですが……牛の伝染病、口蹄疫とかが原因じゃないか……このあたりの概念が整理されず奇形的に束ねられていって、「牛鬼」になったのかもしれないですね。

細かい事例がたくさん掲載されているので、何度か読み直さないと頭に入ってきませんけども……面白かったでございます。

 

「「牛鬼」の語は、平安時代にはすでに存在した。西暦一〇〇〇年ごろに成立した『枕草子』の「名おそろしきもの」にも牛鬼が見えている。もっとも、それがどんな妖怪だったのか具体的にはわからない。とにかく、その言葉はずっと使われつづけ、さまざまなイメージを生んできた。この牛鬼の根底にも牛頭天王があると思われる。」(p20)

 

「……雨乞いの殺牛・殺馬祭りで、穢多が中心的役割をになっていた例は、ほかに何ヶ所か知られている。彼らは一般村落からの強い要請を受けて、いわば雨乞いを主宰していたのである。村人たちは、自分たちにはない一種の呪的能力を被差別民に認めて、相当額の謝礼とともに依頼していた可能性が高い。」(p40)

 

興味深く読んだ割に、後半はあまり印象に残ってない……こりゃ読み直さないとだめですな……。