……やっばい、全然内容を覚えていないし……パラパラと読み返してみたら、ちょっと思い出してきた。
小学校の女性教師が自宅で殺害され、すぐ近くにはアンティーク時計が落ちていた。
事故か、自殺か、とも考えられたが、現場の窓ガラスが切られたような跡があり、さらに睡眠薬が体内から検出されたことから、他殺の線が濃厚となった。
という事件に対して、4章の物語が準備されているのですが、そうです、バークリィ『毒入りチョコレート事件』を彷彿とさせる、と書けばわかってしまうと思いますが、一つの事件に対していくつもの解決を提示する、というアレ形式です。
それぞれの章には語り手が設定されており、教師の関係者(児童、同僚、元恋人、児童の父兄)が自分なりの仮説を構築していきます。
小池啓介氏の巻末解説で書かれていること、がある意味全てを表しているので、私なぞが何か申し上げることもないです。
通常、ミステリは謎を解体して終了することでカタルシスが得られるので、正解が導き出されることが多いです。
そして、短編ならともかく、ある程度の長さの物語であれば、探偵役の解決が一つ、ではサスペンスがないですし、プロットしても甘々でしょうから、いくつも解決(解釈)ができるよう事件を構築するものです。
この、並行的な解釈、でどこまでごねられるか、というパターンの代表といえば、井上真偽氏の『その可能性はすでに考えた』。
こちらは、「正解」にたどり着く(あるいはたどり着かない)ことが目的なので(ちょっと違いますが)、『毒入りチョコレート事件』とは趣はちょっと異なります。
何が言いたいのかといえば、特に何が言いたいわけでもなく、「ちゃんと「不正解にはなるけれども、いい線ついてる解決」を複数考えられる作家のみなさんはすごいなぁ」というだけのことです。
これは、探偵役に与えらえる情報をそれぞれ制限することで可能になるんですけどもね(一時期のノベルゲームみたいに、複数視点での物語進行の面白さ、でもあるでしょうか)。
その塩梅がきっと難しい、と。
章題の付け方が好みです(?)。
貫井さんは『妖奇切断譜』
を最初に読んだので、このシリーズをもっと続けて欲しいなぁ……と密かに思っていましたが、出ませんでしたね(2作でしたっけ)。
そうです、『慟哭』も<症候群>シリーズも読んでないのです。
すみません。
あと、小学五年生がバリバリの推理を組み立てているのにちょっと違和感を感じるのは、私がアホな小学五年生だったからだと思います。
やれやれ。