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読んだら博めたり(読博)何かに毒を吐いたり(毒吐)する独白

『日本妖怪異聞録』小松和彦

 

日本妖怪異聞録 (講談社学術文庫)

日本妖怪異聞録 (講談社学術文庫)

  • 作者:小松 和彦
  • 発売日: 2007/08/10
  • メディア: 文庫
 

 

日本で妖怪、といえば、水木しげる大先生、荒俣御大、京極夏彦さん、という感じでしょうか……それ以前には、鳥山石燕井上円了……なのですが、京極夏彦さんブームが到来するちょっと前、『姑獲鳥の夏』を読む前に読んだのが、小松和彦さんの『憑霊信仰論』でした。

 

憑霊信仰論 妖怪研究への試み (講談社学術文庫)

憑霊信仰論 妖怪研究への試み (講談社学術文庫)

  • 作者:小松 和彦
  • 発売日: 1994/03/04
  • メディア: 文庫
 

 

これを読んでから『姑獲鳥の夏』を読んだので、そのシンクロ具合に自分でもびっくり……。

ま、それはともかく、以来小松和彦さんの論を信頼していて、ときどき楽しみに読んでいます(今では、文化センター教授、も退いていらっしゃるのでしたっけ……)。

本書では、有名どころの妖怪さんたちを扱っておられるのですが、ちょっと違う視点でも語られていることが面白いです。

大江山酒呑童子」「妖狐 玉藻前」「是害坊天狗」「日本の大魔王 崇徳上皇」「鬼女 紅葉」「つくも神」「鈴鹿山の大嶽丸」「宇治の橋姫」。

それほど長くもなく、厚くもない本ですので、妖怪に興味のあるかたは、読んでみてはいかがでしょう。

個人的には『憑霊信仰論』を読んでいただきたいですね……妖怪民俗学の最初としては、あれはいいです。

 

「以上の物語からわかることは、酒呑童子は、比叡山伝教大師によって天台宗の総本山として開かれる前の先住の神であった、ということである。にもかかわらず、里からやってきた伝教大師はこれを追い払い、制圧しようとしたのである。」(p31)

 

酒呑童子伊吹山の山の神=伊吹大明神の子である。伊吹大明神はもと出雲国に棲み、ヤマタノオロチと呼ばれていたが、スサノオに追われて、伊吹山に逃げてきて、その山の神として祀られていた。」(p37)

 

「院の気持ちもよくわかる。才色兼備の若い女が優しい言葉を毎日かけてくれているのだ。どうして、その女が妖怪だと信じられようか。彼女の美貌が、その才覚が、そして身体から放った光が、悪霊のしるしだったのだが、それに惑わされている院には、目の前にいる玉藻前が妖怪であるとはとうてい信じられなかったであろう。」(p53)

 

「東寺を中心とする真言僧徒は、狐を辰狐王菩薩と称して神仏化し、天照大神に比定した。ここから、奇怪なことに、天照大神が天岩戸に隠れたとき、狐の形になって入ったとの説も生まれることになった。玉藻前の身体から光が放たれたのは、天照大神の光とも通じるところがあるわけである。」(p61)

 

安倍晴明や安倍泰成といった陰陽師たちがその呪力で、あるいは源頼光源頼政といった武将がその武力でもって、妖狐や鬼などを退治して名声を獲得したのと同様のことを、僧たちは天狗を相手に演じていたのである。」(p75)

 

「「本堂の後」とは、「後戸(仏殿の須弥壇の後方にある戸)の空間」などともいわれ、「表」に対して「裏」、「光」に対して「闇」に対応する、「摩多羅神天台宗で崇める常行三昧堂の守護神)」などの恐ろしい邪神や荒ぶる神、祟り神のたぐいが祀られる空間であった。」(p112)

 

「「上座の金の鳶の姿をしたお方こそ崇徳院であらせられる。そのそばの大男こそ源為義入道の八男八郎為朝である。左の座には代々の帝王、淡路の廃帝、井上皇后後鳥羽院、後醍醐院、いずれも帝位につきながらも悲運の前世を送らざるをえなかったために、悪魔王の棟梁となられた賢い帝たちであらせられる。次の座の高僧たちは、玄昉、真済、寛朝、慈慧、頼豪、仁海、尊雲たちで、やはり同じように大魔王となられて、ここにお集まりになり、天下の大乱に導くための評定をしておられるのである」」(p113)

 

崇徳上皇は白峰陵で、じっと自らの出番を待っている、と考えられていたのだ。「皇を取つて民となし、民を皇となさん」と、時の来るのを、天皇が再び政治の表舞台に登場してくるときを待っている、と。皇族が天下を治めていないかぎりは、その霊力を発現させるには至らない。というのは、崇徳上皇の敵は、朝廷であったからである。後醍醐天皇による王政復古のとき、彼の怨霊は金色の鳶の姿をした大天狗たちの首領として出現した。

孝明、明治の両天皇は、王政復古のときがやってきて、まず思い浮かべて恐怖したのは、この崇徳上皇の怨霊の発現であり、その政道への妨害であった。

それを封じるために、崇徳上皇の霊を京に招いて、神に祀りあげようとしたわけである。そのために、「白峰神宮」が新たに創建されることになったのである。」(p127)

 

大江山酒呑童子があまりに有名なために、その陰に隠れて、今日ではその名を知る人が少ないが、かつての京の都人の間では、「大嶽丸」という鬼は、酒呑童子と並び称されるほどの妖怪・鬼神であった。

中世は日本妖怪史においてもっとも重要な時代であった。幾多の妖怪変化のたぐいが発生し、そして退治されたからだ。そうした妖怪群のなかで、もっとも恐ろしい妖怪はどれかを、もし中世の人びと、それも都人にたずねたら、次の三つの妖怪の名があがるだろう。酒呑童子玉藻前、そして大嶽丸。そう、大嶽丸は中世の三大妖怪のひとつなのである。

どうして、これらの三大妖怪が傑出した妖怪とみなされたのだろうか。その事情はくわしくはわからないが、これらの妖怪に対して、特別の扱いをしていたことはわかっている。すなわち、いまのところこの三妖怪だけが、退治されたあと、支配者、つまり京の天皇を中心とする人びとの「宝物」として、その遺骸もしくは遺骸の一部が、支配者の権力を象徴する「宝物倉」に納められた、とされているからである。」(p185)

 

「大嶽丸」のことは、本書で初めて知りました。

鈴鹿……そうなんですよね、京都から近いんですよね実は……往時の地理的条件に没入できず、これが高田崇史さんの小説であれば「現在の都会や田舎という概念にとらわれてしまっている」と論破される登場人物にしかなれないだろうなぁ……。

そんな高田さんの小説をまた読んでいて、やっぱり「崇徳院」だなぁ、と思った次第。