べにーのDoc Hack

読んだら博めたり(読博)何かに毒を吐いたり(毒吐)する独白

『ヌメロ・ゼロ』ウンベルト・エーコ

 

ヌメロ・ゼロ (河出文庫 エ 3-1)

ヌメロ・ゼロ (河出文庫 エ 3-1)

 

 

文庫……ハードカバーで買ったよ……。

というわけで、追悼・エーコの二つ目として読みました。

エーコの小説としては……4作目かな(『薔薇の名前』と『フーコーの振り子』はだいぶ前に読んだ……)。

あまり長くなく、詰め込まれている情報もそれほど多くはないので、読みやすいのではないかと思います(ほんとか?)。

四年くらい前に読んだので、細部ははっきり覚えていませんが……ああ、ちょっと読み返したら、情報量が全然多かった……ちょっと『フーコーの振り子』に似た構造ですね、情報を取り扱ううちに、世界の認識が歪んで行くというのか……。

そう、新聞を作る男たちの話です(ざっくり)。

どんな新聞なのか、というのは、ちょっと引用してみようかと思いますが、まあ、なんでしょう……あるある、って感じ。

そんな中で、一人の記者が、ムッソリーニに関するある仮説を真実と思い込んで調査を開始するのですが……結末の皮肉さは、さすがエーコ、というところでしょうか、普通エンタメでこっち方向に話を持ってきたら、こうはならないと思います。

エーコの現代小説は、ミステリ(というかサスペンス)の皮を被って、情報というものの奇妙さ、恐ろしさ、面白さを扱っていると思います。

ネットがここまで拡大した中では、それがもう劇的な意味を持つこともなく、ありふれたものになってしまっている……エーコは警鐘を鳴らしていましたか?(すいません、そこまではよく知りません)。

またじっくり読んでみようと思います……あとは『前日島』だな……。

 

「今日、日刊紙の宿命は、限りなく週刊誌に近づくことだ。我々は明日起こるかもしれないことについて書くことになる。四時に爆弾が爆発したとすると、翌日にはもうみながそれを知っている。つまり我々は、四時から印刷に入る夜中の十二時までに、犯人と思われる人物について、警察もまだ知らない、何か未発表のことを語れる人物を見つけている必要があるし、その爆発事件の結果としてその後どんなことが起こり得るか、予測される展開を示さなければならない……」(p31)

 

「……要するに、もしも『ドマーニ』が昨日出ていたとしたら、どんな紙面になっていたかということを、依頼主にわからせるということだ。」(p32)

 

「……たとえば、火事であるとか、交通事故などを語るのであれば、それについてどう思うかなどは書けない。だから、カギかっこをつけて、目撃者の証言、道行く人、あるいは世論の代表者の言葉を挿入する。カギかっこさえつければ、こういう言葉も事実になる。……ふたつの相対する主張を載せて、ひとつの出来事について異なる意見があることを示し、新聞は反駁の余地のない事実として報道するわけです。」(p51)

 

「……そのうち、携帯など使うのは凡人、貧乏人の類いだけだと気がつくでしょう。」(p89)

 

「すでにでき上がっている有名人の死亡記事と同じですよ。夜の十時に重要人物が死ぬ、三十分で正しい情報の死亡記事を書ける人間などいない。といって、日刊紙が泡を食っている場合ではない。だから、何十もの準備稿を前もって用意する。」(p120)

 

「注意してみれば、テレビもやっていることだ。十歳の息子を酸の中に投げ込まれて殺された母親の家に行ってベルを鳴らす。『奥さん、お子さんの死を知ったときは、どのようなお気持ちでしたか』人々は目を潤ませ、それでみんな満足する。ドイツ語にいい言葉がある。シャーデンフロイデ、他者の不幸を見て得られる喜び。」(p137)

 

「私たちはいつだって懐刀と毒の民だった。」(p195)