イギリスの誇るミステリの女王といえばアガサ・クリスティですが、それと同じくらい偉大ながら、今ひとつ日本では人気のない(?)、クリスチアナ・ブランドの長編。
ブランドといえば、「ジェミニー・クリケット事件」が超有名です。
様々な人が絶賛しながら、なかなか読むことができなかった「ジェミニー・クリケット事件」も、今では『招かれざる客たちのビュッフェ』やアンソロジーで読むことができます。
『招かれざる客たちのビュッフェ』を読んで、ブランドの短編の切れ味を再確認した私。
『疑惑の霧』を読んだ頃は、「これは、何がどうなっているのだろう?」と、プロットを全く把握できませんでした(今でもできていませんが、多分ちゃんと読んでいないからだと)。
本作は、イギリスで著名になった(容姿が優れているだけの)女優に降りかかる災難を描いています。
彼女には、体に障害を持った娘がいるのですが、その娘のことを”スウィートハート”と呼んでいます。
娘が書いた愛情いっぱいの手紙が、毎週のように新聞に掲載され、その穢れなきさまが読者の同情と感傷を呼び起こし、一大ムーブメントを起こしているのです。
”スウィートハート”の服や帽子、果ては人形までが発売されています。
女優エステラ・ドゥヴィーニュの人気は、この娘の手紙が支えているといっても過言ではありません。
そんな”スウィートハート”の父親は、なんとシカゴのギャング。
若くしてアメリカに家出したエステラは、若気の至りからギャングと関係を持ち、障害のある子供を身籠もります。
彼は、自分がエステラに加えたDVが、娘の障害の原因だと刑務所の中で知り、様々な手段でエステラ(と娘)に援助します。
そして、心臓を弱くした彼は出所し、生きている間の最後の望みとして、娘に会いにイギリスまでやってきます。
前半は事件らしい事件は起こらず、エステラの周辺情報が叙述されます。
事件は、娘がかくまわれているウェールズの山深い牧場地帯で起こります。
ギャングの父親と、彼の子分が、エステラの娘が預けられている家で死んでしまうのです。
父親は、もともと心臓が弱っていたので病死と考えられますが、子分のほうはいけません。
明らかに、拳銃で殺害されているからです。
しかし、関係者の証言などを突き詰めると、その死に様には疑義が起こります。
事件を担当することになったチャッキー警部は、その夜から姿を消している娘を探しながらも、エステラの関係者が犯人ではないかと疑うのですが、なかなか尻尾がつかめず……。
あまり書くとあっさりネタバレしてしまうのでやめておきます。
細かい、不可思議な事件がいろいろと起こるのですが、当時の最新技術を用いたトリックがあったりするので、今ひとつ全容が掴みきれません(しかし、丁寧に訳されているので、時代を感じることはあっても、全く理解できないことはないです)。
ブランドが提示した謎と、それにまつわるトリックは、非常にシンプルです。
そこに思い至らないのは、ブランドのミスリードが巧妙だからです。
もちろん我々は、チャッキー警部に思考を重ね合わせますので、警部と同じところで煩悶することになります。
そこに引き込むブランドの筆力に脱帽です。
排除してはいけない可能性を、誘導されていつのまにか排除してしまっているのです。
登場人物たちの怪しげな動きも、それに輪をかけます。
デクスターを思わせるものがあります(逆ですね)。
やはり、ときどきは古典も読まないといけませんね。
といっても、クリスティを制覇するのはなかなかしんどいので、ブランドをもうちょっと読んでみたいな、と思った次第です。
次は『はなれわざ』かなぁ……。
ああ言えばこうのお利口さん。何もかも考慮ずみというわけか! 何もかも。「それで——?」(p174)
まるで、ブランドのことを語っているかのような一文でした。