べにーのDoc Hack

読んだら博めたり(読博)何かに毒を吐いたり(毒吐)する独白

『江戸三〇〇藩物語藩史 東海篇』山本博文

 

江戸三〇〇藩 物語藩史 東海篇 (歴史新書)

江戸三〇〇藩 物語藩史 東海篇 (歴史新書)

 

 

そういえば「藩」のことを知らないな、と思って、平積みの本を手にしてみました。

何しろ、「国」と「藩」の区別もよく知らないもので。

中世〜近世ドイツには、たくさんの小国があったことで知られていますが、それを全部言えといわれても無理な話。

日本も似たようなことになっていたのだな、と改めて頷いている次第です。

基本的には、石高の高い、あるいは歴史的に著名な藩のことが詳しく書かれていますが、巻末には小藩一覧が掲載されており、なかなか面白いです。

大藩、雄藩といえども、懐事情や統治に関しては苦労が多かったことが偲ばれます。

いつの時代も生きていくのは大変なのですね。

私の住む名古屋はもちろん尾張藩徳川御三家筆頭で、藩祖は大御所の九男義直公。

しかし、全国的には、徳川吉宗と争った宗春公以外は、今ひとつぱっとしません。

それが現代にまで続いているような気がしまして、なんといいますか……まぁ、それでもいいのか。

 

 

家督相続をめぐる御家騒動的な事件も、尾張藩においてはほぼ見当たらない。御三家だけに御家の恥となる争いは許されなかったであろうし、仮に起きても表ざたにはしなかったであろう。ただ、そうした保守性が御家存続に貢献した一方で、その消極性が御三家筆頭ながら将軍を輩出できなかったことにもつながるのであった。

尾張徳川家にそのチャンスがなかったわけではない。四代吉通は六代将軍家宣の後継候補にあがっていたし、六代継友は紀伊徳川家の吉宗と将軍位継承を争っている。だが、尾張徳川家には藩祖以来の藩是として、将軍家の補佐が第一義であって「将軍位は争わず」という不文律があった。そのため、結局は政治工作が後手に回って将軍位就任はかなわなかった。」(p85)