『自民・武藤氏、投稿撤回を否定「学生はだまされている」』
(朝日新聞デジタル 2015/8/4)
以下一部引用。
「武藤氏は7月末、SEALDsの主張について、「『だって戦争に行きたくないじゃん』という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延(まんえん)したのは戦後教育のせいだろう」などとツィッターに投稿した。
この件で4日、「法案が成立しても戦争に行くことはなく、扇動とか間違った情報に基づいて若い人が誤解し、だまされている」と語り、「撤回することはない」と強調した。」
「利己的個人主義」というものをこの方は否定したいと考えているようです。
論理的に考えてみると、「利他的全体主義」が反対の概念で、それを肯定している、ということでしょうか。。
「利己的個人主義」は、「身勝手な考えで、個人の利益や権利、価値を重視する」というような意味ですね。
「利他的全体主義」はといえば、「他者の利益を考えて、集団の権威や利益、価値を重視する」という意味になりますか。
ええと……ようするにファシズムですね?
行き着く先は国民総動員だ、とおっしゃっているのと同じですけど、大丈夫ですか?
個人が「利他的」に振る舞う「全体主義」ほどあやういものはありませんよ。
特にその「利他的」の「他」が、ある集団や国家に向けられる場合には要注意です。
「利他的」の美名のもとに、個人は責任を喪失しているのです。
結果どうなるのか、は歴史をご覧あれ、でしょう。
「利己的」なるものと「利他的」なるものが、矛盾しながら存在する状態が、おそらく健全なのです。
『だって戦争に行きたくないじゃん』を、簡単に「利己的個人主義」と断じるのはいかがかと思います。
それは、安保改正法案に反対して出てくる言葉ではない、ということが言いたいのであれば、きちんとそうやって言うべきです(ツィッターは文字数が少ないって?だったら最初からそんなツールは使わないように)。
それを説明するのが政治家の仕事の一つでしょう。
彼らが「利他的」にその言葉を持ち出しているのであれば、それをどうやって断じるのですか?
言い方が悪いですが、「非常に下手くそな思想統制」です(だから突っ込まれるんですが)。
「死にたくないから、戦争に行きたくない」、というのはシンプルかつプリミティブな主張です。
「殺したくないから、戦争に行きたくない」、というのは「利他的個人主義」になるのでしょうか、これも理解できます。
それでも起こるわけです。
だから、
「悲しいけどこれ、戦争なのよね」
とスレッガーさんは言うしかなかったんです(最終的に『ガンダム』かい)。
でも、「戦争ができるかどうか」と、「戦争をしないかどうか」は別の問題だ、と思います。
(元記事)