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読んだら博めたり(読博)何かに毒を吐いたり(毒吐)する独白

『諸子百家』湯浅邦弘

 

諸子百家―儒家・墨家・道家・法家・兵家 (中公新書)

諸子百家―儒家・墨家・道家・法家・兵家 (中公新書)

 

 東洋史は受験程度の知識しかないので、とりあえずこんなもので復習でも。

大陸では、近代以降でも文献史料の発掘がたくさんあるようで、20世紀初頭の敦煌楼蘭での発見はよく知られているところです。

また、1970年代以降には、内地(敦煌辺りは西方の辺境です)での発掘が相次いだようです。

山東省の「銀雀山」、湖南省の「馬王堆」、湖北省の「睡虎地」などから竹簡・木簡・帛書(絹などの布に書かれた文書)がたくさん発掘されたとのこと。

紙の発明が後漢の「蔡倫」による、という教科書的知識が頭にある方は、これらの史料の古さがよくわかるのではないでしょうか(正確には、竹簡・木簡・帛書と紙が、ほぼ入れ替わった時期、というものが特定されないことにはいけないのですが)。

さらに、1990年代にも、湖北省の、紀元前300年頃の墓から竹簡が発見されました。

この辺りの話は、考古学及び東洋史学の知識がないと、ちょっとついていくのに大変です。

ただ、国史などの記録の始まりからして、すでに紙を使用していたと考えられる日本と異なり(もちろん、日本でも木簡は出土するわけですが、そこに書かれた『日本書紀』クラスの史書はありません)、大陸は竹簡・木簡を用いて歴史を記録していましたから、保存状態さえよければ、まだまだ古い記録が発見されるかもしれない、というのはうらやましい限りです。

こうした発見によって、教科書的な「諸子百家」の知識も更新されていくことでしょう。

本書では、考古学的発見による歴史の更新を前書きに、「諸子百家」以前の思想からはじまり、儒家墨家・道家・法家・兵家、という時代を生き抜いて残された思想が語られています。

それぞれで本を何百冊と書けるほどのものですから、記述は簡単なものと思いきや、この分量でかなり「濃い」記述ですから、レポートのために読む学生さんならともかく、雑学仕込みのための読書をしている私にはなかなかしんどいものがありました。

そんな中でも、自分がよくわかっていなかった初歩的な知識は手に入り、そして「墨家」というものを全然知らなかったことがわかりました。

東洋史の専門の方であれば「墨家」の思想はご存知だと思いますが、私はその思想よりも、思想を実現しようとした行動に驚きました。

 

「……魯を拠点として集団を組織し、兼愛・非攻などのスローガンを掲げて活動を開始したらしい。……(略)……やがて彼らは精鋭な思想集団、軍事組織へと変容していった。侵略戦争によって落城の危機に瀕した城邑があると、その救援にかけつけ、多彩な守城技術によって弱小国の危機を救った。「墨守」とは、堅い守りの意。墨家の守城能力の高さを賞賛する言葉である。」(p128)

 

兵を用いての侵略戦争を否定する墨家は、超攻撃的に平和を達成するために戦争に介入するのです。

 

 

どこかのガン○ム使いさんたちのモデルですね。

 

 

「今、ここに十人の人がいて、一人だけが田を耕し、残りの九人が家にいて何もしないとすれば、その耕作する者はますます励まなければならない。食べる者ばかりが多く、耕す者が少ないからだ。同じ理屈で、今、天下に義を行うものがいないから、あなたは私に義を行えと勧めるべきなのに、どうして止めようとするのか」(p141)

 

これは、義を行わない者を責める言葉ではなく、「義を行うのはやめたほうがいいのではないか」と心配した知人を諌める言葉です。

 

「……孟勝は、楚の陽城君の要請に応えて、その城邑防衛にあたった。しかし、楚王の直轄軍の攻撃を受けて、ついに敗退する。このとき、孟勝は陽城君に対する契約を履行できなかったとして集団自決しようとする。弟子は、「それでは墨者が全滅し、我々の教えを伝えていく者がこの世にいなくなり、我らの思想も絶えてしまいます」と反論する。しかし孟勝は、「それでは墨者の信用は失墜し、たとえここで生き延びても、墨者の活動はできなくなるであろう。ここで義のために死ぬことこそが墨家の思想を後世に存続させる唯一の方策である」と説得し、ついに全員が自決する(『呂氏春秋』上徳篇)。墨者の「義」を端的に示す事件である。」(p147)

 

現代的な感覚では、狂信的とさえ思えます。

そして、「墨家」は、戦国時代の終わりとともに消え去りました。

その思想は残されています。

残された思想を、再び行う者は、どうやらいなかったようです。

彼らは、ある時代を一時駆け抜けた「神のような人たち」でしかなく、平凡な人間にその思想は実践できなかったのです。

 その意味で、後世の人々は誠実だったと言ってもいいでしょう。

 

「神のような人」はときどき出てくるものです。

西洋にも一人いましたね。

その弟子は、ある意味でみんな師を裏切りながらも、思想を後世に伝えるために生き延びました。

今も生き続けています。

しかし、師のように、誰もがその思想を実践できたのでしょうか(殉教した人たちはたくさんいますが、そうでない人たちもやはりたくさんいます)。

 

いえ、キリスト教と「墨家」を比べても仕方のないことなのですが、後世に何かを残すためにはいろいろな方法があるものだなと思ったもので。

兼愛(自分を愛するように、他者を愛せ)」を説いた墨子と、「汝の隣人を愛せ」と言ったキリスト。

似た言葉ですが、所詮言葉ですから、解釈はいくらでもできます。

墨子の「兼愛」が美しく輝くのは、その思想を誰も受け継がなかった故の空虚な光なのかもしれません。

もし、墨子の思想を受け継いだ人がいるのであれば、それは既に死んだ人か、これから死ぬ人でしょう。

 

 

「義の貫徹、さもなくば死。これが墨家の信条であった」(p148)