べにーのDoc Hack

読んだら博めたり(読博)何かに毒を吐いたり(毒吐)する独白

『イン・ザ・ブラッド』ジャック・カーリィ

 

イン・ザ・ブラッド (文春文庫)

イン・ザ・ブラッド (文春文庫)

 

 デイーヴァーに続く、どんでん返し、パズラー好きにはたまらないジャック・カーリィの、現時点では最新作(……と思ったら、今年8月に『髑髏の檻』が出ていました……)。

シリアルキラーを兄に持つカーソン・ライダーと、渋いアフリカ系アメリカ人のハリー・ノーチラスという、二人のモビール市警を主人公とした、警察小説なのか、サスペンスなのか……日本ではおそらく「本格ミステリ」の枠組みでとらえられることが多いでしょう。

その理由は、プロットの構築力、見事な伏線、結末の意外さ、といったところにあると思います。

 

 

海外では、ポー、クリスティ、クィーン、カーを生んだにもかかわらず、いわゆる「本格ミステリ」というのは古臭いものと考えられています。

もちろん日本でも、狭義の「本格ミステリ」に対する風当たりは強く(……いえ、強かったはずなのですが)、そののちには「社会派」の時代がやってきます。

風当たりは、もっぱら「本格ミステリ」のコードに対するものだったように思います。

怪人、密室、名探偵。

怪人は必須ではありませんが、言い換えれば常軌を逸した犯人でしょうか。

密室は、不可能犯罪、に置き換えることができます。

名探偵は、それが「名探偵」というキャラクターでなくても必要といえるでしょう。

これらが色なす「非現実的」で「ご都合主義」の物語に、世間の人たちはアレルギーを感じ始めたのです。

 

 

 海外では、「本格ミステリ」は「警察小説」に移っていくことになります。

何しろ、「本格ミステリ」に登場するような常軌を逸した犯人とは、別のベクトルで常軌を逸している事件が起こるのですから、「名探偵」を警察官に割り当てるのは当然ともいえるでしょう。

その警察官が、組織に忠実なのか、あるいははみ出しものなのか、で物語は別のものになっていきますし、そのうちに「名探偵チーム」ともいえる捜査班を主役にしたものも出てきます(ドラマですけど)。

しかし、「謎めいた事件が起こる→手がかりを集める→推理をする→犯人を見つける」というプロットはほぼ同様で、結局のところこれらは「本格ミステリ」(あるいは、もっと光り輝いていた名前で呼ぶならば「探偵小説」)の骨格に別の肉をつけたものでしかない、というのが私の印象です(オースチン・フリーマンが、「倒叙もの」というジャンルを大々的に広めてからは、『刑事コロンボ』のようなものも生まれています……あれも「本格ミステリ」ですよ)。

そして、それは決して悪いことではないのです。

 

 

日本ではといえば、「名探偵」に変わって実直な警察官が活躍する「警察小説」が、やはり登場します。

「社会派」と呼ばれるものと、「トラベルミステリー」に代表されるアリバイ崩しものに分かれますが。

「社会派」は松本清張作品が代表とされるのですが、私ほとんど読んだことがないのでわかりません。

清張作品は、ノワールっぽくもあるようですね(近年のドラマを見ていると)。

「トラベルミステリー」というのは、日本独特の、「列車の厳格なまでのダイヤ遵守」という文化があってこそですが、列車を使ったアリバイものといえばクロフツだったりしますし、日本でいえば鮎川哲也作品が有名です。

西村京太郎という巨人がいたことも関係していると思います。

そして、本格冬の時代もあったのですが、島田荘司氏が登場してからというもの、日本では「名探偵」ものがすたれたことは、実はないのです。

「名探偵」と書きましたが、別の言い方をすれば「素人探偵」で、何かのプロとして活躍していながら、探偵役も買って出る、というアレです(H・Mはちょっと違うけど……エラリー・クィーンやドルリー・レーンがやはりその典型でしょうか)。

それらは「新・本格」と呼ばれているのですが、やがて第三世代も登場して、「本格ミステリ」を脱構築したり、メタレベルで語ったり、サブカルと融合していったり、とにもかくにも「本格ミステリ」というものを、アンコウのように皮までしゃぶりつくそうという勢いです。

 

日本の「本格ミステリ」ファンが好きなものは、実は怪人(常軌を逸した犯人)でも密室(不可能犯罪)でも名探偵でもないのではないでしょうか。

「不可解な状況」「合理的に解決」する過程と、できれば「意外な真相」、そして「だまされた!」というカタルシス。

本格ミステリ」の本質は知的遊戯である、という人もいらっしゃいますので、こうした非日常の体験を脳みそが欲している、ということなんでしょう。

 

そんな人におすすめなのが、ジャック・カーリィです。

『イン・ザ・ブラッド』では、ライダー刑事とノーチラス刑事が釣りをしていると、赤ん坊が流されてくるところから始まります。

保護された赤ん坊を狙っている集団がいるらしく、病院にもその魔の手が迫ります。

それとは別に、極右の説教師が、SMプレイ中に殺害され、二人はその犯人を追うことになります。

どうやらマッドサイエンティストらしき人物がからんでいるようです。

あまり書くと、そこから一気にネタバレをしてしまいますのでこの辺りで。

今回は、複数の事件が絡み合いながら進んでいきます。

極右、人種差別という古くて新しい問題(アメリカでは新しくて新しい問題)もまた深く事件に関係してきます。

その結果として提示されるものが、なるほどバベルの塔への皮肉なのかなと思えるのは、自分の狭量さなのか。

日本にいるとなかなか実感できないものではありますし、私の持論とも異なっているのでちょっと複雑な読後感でした。

しかし、上手いです。

伏線の張り方、回収の仕方が洒脱です。

このあたりがディーヴァーとの違いなのかもしれません(ほとんど読んだことないですが)。

こりゃ近いうちに『髑髏の檻』も読まないと、です。

 

 

「一時的な呼び名のどこがいけないんだい?」僕は訊ねた。

パートナーから、聞いたこともないほど愚かな質問だと言いたげに見つめられた。

「ベイビー・ドーはひとくくりにした名前だろう、カーソン。ひとくくりにしていい人間なんかいない」(p50)

 

 

本格ミステリ」とは、二つの大戦で意味を失った「個人としての死」を取り戻すものではなかったか、という説もあります。

図らずも↑の引用が、ジャック・カーリィを、「本格ミステリ」の正当なる末裔だと位置付けているような気がします。