べにーのDoc Hack

読んだら博めたり(読博)何かに毒を吐いたり(毒吐)する独白

『漱石先生の事件簿 猫の巻』柳広司

 

 

はい、そうですね、この本のために、『吾輩は猫である』を読んだのでした。

 

私、原作ものの映画やお芝居、パスティーシュの小説を読むのに、原作をとりあえず知っておきたいタイプなのです(特に、思い入れが強い作品ほど)。

柳先生は、今や『ジョーカー・ゲーム』で一躍有名になられていますが、私は『百万のマルコ』や『フランシスコ・ザビエルの首』から入った方なので、歴史ものミステリの方、という印象でした。

いえ、『ジョーカー・ゲーム』もですね、表紙を描いておられるのが森さん(『北神伝奇』『木島日記』等)だったので、見事にジャケ買いをして大当たりだったわけですが。

 

本作は、『吾輩は猫である』の中で起こる出来事に、不可能趣味を味付けした謎を、原作には登場しない(それっぽい人は出ますが)「先生の家の書生」くんが解決していく、という物語です。

作中では、ほぼ原作そのままのやりとりが行われていたりしますので、原作を知らなくても十分に楽しめますが、やはり原作を読まれてからの方がいいかと思います。

まぁ、あの原作を気合入れて読もうとすると結構大変ですので、ぱらぱらと流し読みするくらいでもいいのではないでしょうか。

原作のエピソードに隠された(もちろん、大漱石が隠したわけではなく、柳先生が読み取った)謎の数々が解きほぐされていくと、なんとも奇妙な感覚にとらわれます。

なんといいますか……そう、陰謀論とか、ノストラダムスの大予言とか、ああいった類の荒唐無稽な暗合を見出す、とでもいうのでしょうか。

かつて、聖飢魔II……じゃない世紀末以前、幾多のノストラダムス本が出版されていましたが(大抵カッパノベルスか、『ムー』系でしたが……そうえいば『マヤ』って雑誌もなかったでしたっけ?……)、その中で私が一番感動したのが、作者は忘れましたが、「広重の東海道五十三次の中に、ノストラダムスの暗号が隠されている!!」というものでした。

 

 

な、なんだってー!!!

 

 

と、某編集部のキバ○シ氏でも叫びたくなるようなネタでした。

いや、面白かったんですけれど(人間の想像力の無限さを垣間見たような気がしまして)。

かように、人は、何からでも謎と陰謀を抽出することができるのです。

 

○こちら===>>>

『吾輩は猫である』夏目漱石 - べにーのDoc Hack

 

↑の記事でも書いたのですが、『吾輩は猫である』をスターンの『トリストラム・シャンディ』と重ねることができるとすれば、本筋があるのかないのかもよくわからないナンセンスな物語だからこそ、解釈の多様性を担保するのではないか、と思ったりしますが。

世の中には、横溝正史の『本陣殺人事件』どころか、ドイルの『バスカヴィル家の犬』、クリスティの『アクロイド殺し』の真相に挑む、という傑物が存在するのです。

なんでもありです。

きっと、『黒死館殺人事件』や『ドグラ・マグラ』の真相さえあぶり出すことができる化け物がこの世界には存在するのでしょう(?)。

 

とはいえ、パスティーシュに関して柳先生は極めてフェアでいらっしゃいます。

そして、見事なエンターティンメント性。

この連作のエンディングの見事さは、誰でもが思い浮かべながらも、原作を重んじるあまりに書かなかったことが書かれている点であり、その書き方もまた、原作への愛に満ちていると思います。

角川文庫版の田中芳樹氏の解説も見事ですので、そちらを参考にされるとよろしいかと。

 

 

「これだから探偵はいやなんだ!」先生が叫ぶ声が背後に聞こえた。

「やれやれ、まさかとは思ったがね」と迷亭氏が、すこし離れた場所でぼやいている。「探偵が泥棒と同じかどうかは知らんが、少なくとも泥には関係した職業なのは確からしいね」

顔を上げて見まわせばーー

みんな泥まみれであった。(p289)

 

 

...a cat was, had no name, bad also happy...