べにーのDoc Hack

読んだら博めたり(読博)何かに毒を吐いたり(毒吐)する独白

『なめくじに聞いてみろ』都筑道夫

 

なめくじに聞いてみろ―昭和ミステリ秘宝 (扶桑社文庫)

なめくじに聞いてみろ―昭和ミステリ秘宝 (扶桑社文庫)

 

 敬愛するノリリンこと法月綸太郎先生に、『生首に聞いてみろ』という長編があります。

題名を何かから持ってくることがしばしばある法月先生なので(『再び赤い悪夢』なんて、そのままだけど秀逸ですよね)、原典があるのか知り探してみたら、都筑道夫御大の作品だったので驚きました。

私は都筑道夫フリークではないので、それほど読んでいませんが、『キリオン・スレイの生活と推理』や『髑髏島殺人事件』(孤島ものだと思って買いました)なんかは読んでいます。

それに、何につけても、『三重露出』です。

 

三重露出―都筑道夫コレクション パロディ篇 (光文社文庫)

三重露出―都筑道夫コレクション パロディ篇 (光文社文庫)

 

 

いやもう、傑作です。

忍者の末裔ニンジュツィストの、風太忍法帖ばりに炸裂するアクション長編(『ニンジャ・スレイヤー』?)と思わせておいて……ああ、今回は『三重露出』の話ではなかったです(とにかく、『三重露出』のアクションパートは、人生に倦み疲れたときに読むと最高です)。

 

 

『なめくじに聞いてみろ』は、作者があとがきで語っているように、まだ日本でイアン・フレミングがそれほど著名ではない時期(1962年!!)に、そのまねをしたくて繰り上げられた、超娯楽大作です。

出羽の山奥から東京に出てきた男が探しているのは、かつて様々な暗殺方法を開発した父から、その方法を伝授された「弟子」たち。

彼は、父の「負の遺産」を消滅させるために、殺し屋たちに戦いを挑むのです。

作中では様々な暗殺方法を駆使した殺し屋が登場するわけですが、ジェームズ・ボンドの世界であればスパイの方法だったであろう奇怪な方法ばかりで、これは講談からはじまり風太忍法帖に行き着く忍者活劇の衣鉢を継いでいるのだと私は思います。

何しろ軍隊がない、同盟国の軍が駐留している、情報機関が(表向きは)存在しない日本においては、スパイ(インテリジェンス)の騙し合いにはあまりリアリティがなかったのでしょう。

そこで、やはりスパイであるところに忍者を現代風にアレンジしたものが、『なめくじに聞いてみろ』に登場する様々な暗殺者なのだと思います。

美女が出てくる、裏社会の影がちらつく、車が活躍する、そして実はかなり世界的な話になってくる、という展開は、フレミングをまねたというだけあって、多分にご都合主義でありながら(そこもまたまねているのでしょうか)、きちんと謎を最後まではらんで書き抜けています。

暗殺者が多いので、その技を披露するだけではワンパターンになりがちですが、舞台を移動させたり、時代劇のような見せ方があったり、人間関係を複雑にからませながら、巧みな伏線で驚かせながら、最後まで一気に読ませるだけの力を持っています。

一つの展開だけは、まさしく王道、定石といったものなので、すれたエンタメ読者には看破されてしまうでしょうが、かつてのジェームズ・ボンドものも、観客を鮮やかに裏切ることでサスペンスと驚きを演出したものです。

エンタメ小説のお手本のような作品だと思いました。

何しろ、推理小説だけでなく、エンタメであればなんでも書きまくった、巨人・都筑道夫御大ですから、おもしろくないはずがないのです(出だしの文体でつまづく人はいるかもしれませんが、読み始めたら、そんなの関係ないです)。

 

 

「最近、ベストセラー作家の盗用問題が新聞をにぎわしたが、偽悪的ないいかたをすれば、推理小説は盗用によって発展してきた文芸ジャンル、といえるだろう。『やぶにらみの時計・かがみ地獄』のあとがきにも書いたように、どんな作品もパターンで分類できるし、もっと細かくいっても、例をあげれば、近年、翻訳されて好評だったイギリス作家、ギャヴィン・ライアルの『もっとも危険なゲーム』は、リチャード・コネルの有名な短編(題も同じ)Most Dangerous Gameを下敷きにしている、といったぐあいに指摘できる場合が多い。

 

(略)

 

極端ないいかたをすれば、この百二十七年間、世界じゅうの推理小説家は、エドガー・アラン・ポーがえがいた円のなかを、走り回っていたにすぎないのだ。」(p515)

 

 

都筑道夫御大は、盗用を奨励しているわけではありません。

全てをまるっと「盗んで発表する」ことができない以上は、「オリジナル」の部分をいかに磨きあげるか。

そして、いかに面白い作品であるか。

そのことが、「盗用」云々を吹き飛ばす力を持っている、と言いたいのだと思います。

昨今の、エンブレム盗用問題を見たとき、足りなかったのはこれではなかったでしょうか。

とはいえ、小説とデザインでは、その複雑性が異なるため並置はできません……というのは小説側の意見で、デザイン側にしてみれば、小説と一緒にされては沽券にかかわる、くらいの矜持があるはずです……。

 

 

似ている、しかし圧倒的な魅力を持っている。

 

 

そこに、「盗用」を凌駕するものが詰まっているのだとしたら、創作者は「盗用」を恐れるべきではありません。

がんばれ、クリエイター。