『日本に言論の自主規制が蔓延? サンデーモーニングで識者らが警鐘』
(ライブドアニュース 2015/11/1)
以下引用。
「11月1日放送の「サンデーモーニング」(TBS系)が、日本社会に蔓延する「もの言えぬ空気」に警鐘を鳴らす特集を放送した。
この日の特集コーナー「風をよむ」では、「日本人が持つ『空気を読む』特性が強くなった」と題して、最近日本で、批判や圧力によって活動に支障が生じた例を紹介していった。
VTRではまず、女優のアンジェリーナ・ジョリーが監督し、太平洋戦争での日本兵によるアメリカ人捕虜の虐待を描くノンフィクション映画の公開が遅れていることが紹介された。
また今年6月には、脱原発を訴えるアイドルグループ「制服向上委員会」のコンサートをめぐり、内容が政権与党を批判するものとなっていたことから神奈川県大和市側が後援を取り消した出来事もあった。
さらに、7月に放送大学で行われた日本美術史の試験での問題文冒頭にあった「現在の政権は日本が再び戦争をするための体制を整えつつある」との記述が、ネット公開時には削除となった件も取り上げた。問題文を作った放送大学客員教授・佐藤康宏氏は「この国は自主規制の帝国みたいなことになっている」とコメントを寄せている。
安保関連法制に関しては、10月に開かれた反対派のシンポジウムの会場が、立教大から法政大に変更となる出来事もあった。主催者側によると、立教大からは「会合には学術的側面もあるが、主催団体の活動から見て、政治的な意味を持ちうる」として許可できないと説明があったという。
同じく安保関連法制に反対するSEALDsについては、中心メンバーの奥田愛基氏やその家族の殺害を予告する脅迫状が届いたこともわかっている。奥田氏はこのとき「声を上げるだけで『殺す』と言われる社会は健全ではない」と語っていた。
ここで専修大学文学部の山田健太教授がVTRに登場し、はっきりものを言うことに尻込みする世間の空気に警鐘を鳴らす。山田氏は「時代というのは、世の中が不安になってくると公権力を批判させないための制度を作りがち」「社会的な問題について議論をする、臆せずに話題にしてみる。そういうことをしていかないと、社会全体が萎縮せざるを得ないような雰囲気になってしまう」と訴えていた。
VTR後、スタジオではこの風潮に識者たちが警鐘を鳴らし、ジャーナリスト・岸井成格氏も「権力っていうのは必ず腐敗するし、ときに暴走するっていうことを忘れちゃいけない。それをチェックするのがメディアの役割であるし、ジャーナリズムの使命」などと訴えていた。」
「女優のアンジェリーナ・ジョリーが監督し、太平洋戦争での日本兵によるアメリカ人捕虜の虐待を描くノンフィクション映画の公開が遅れていることが紹介された。」
映画って興行でしょう?
客入りが望めないものの公開が遅れていることに何の問題が?
太地町のイルカ漁のノンフィクションは平然と公開されましたけど?
アンジェリーナ・ジョリーが自分の金で、単館でもいいから公開すればいいのでは?
お金持ってるんだし。
「脱原発を訴えるアイドルグループ「制服向上委員会」のコンサートをめぐり、内容が政権与党を批判するものとなっていたことから神奈川県大和市側が後援を取り消した出来事もあった。」
行政機関が政権に対して批判をしてはいけないというわけではないですが、主体的でないなら中立を保つべきでしょう?
そんなやばい行政が、住民の信頼を得られるとは思えませんが(そもそも、行政は信頼されていないでしょうに)。
沖縄はがんがん政権を批判していますが、その口がふさがれたことがありますか?
それに、これも興行でしょう?
内容云々に関わらず、偏りが疑われるものに対してみだりに後援をすることが、行政機関の役割とは思えませんけれども。
討論会とかならまだしもねぇ。
「7月に放送大学で行われた日本美術史の試験での問題文冒頭にあった「現在の政権は日本が再び戦争をするための体制を整えつつある」との記述が、ネット公開時には削除となった件も取り上げた。」
よくわかりませんが、まず、試験問題をネット公開する必要があるんでしょうか?
あるとして、日本美術史の試験と関係ないのであれば、削除されても致し方ないのでは?
問題文に著作権があるのかどうか知りませんが。
「10月に開かれた反対派のシンポジウムの会場が、立教大から法政大に変更となる出来事もあった。主催者側によると、立教大からは「会合には学術的側面もあるが、主催団体の活動から見て、政治的な意味を持ちうる」として許可できないと説明があったという。」
私立大学の内部規定の問題でしょ?
立教大でも法政大でも全ての私立大学でできないならある意味問題でしょうが、私立ですよ、そもそも偏っているんだから、勝手にしろって感じですけれど。(赤字部分2015/11/9修正)
「安保関連法制に反対するSEALDsについては、中心メンバーの奥田愛基氏やその家族の殺害を予告する脅迫状が届いたこともわかっている。奥田氏はこのとき「声を上げるだけで『殺す』と言われる社会は健全ではない」と語っていた。」
ああ、これはだめですね。
犯罪です。
えっと、で、これが前段までの話と同列に語られるっていうのもどうなんですか?
何か組織的に脅迫状が大量に送られてきたんですか?
「声を上げるだけで「殺す」と言われる社会は健全ではない」のは確かにそうですけれど、では健全な社会ってなんでしょうね。
脅迫状が出されたことに対して警察が捜査を行っている、ボディーガードも出しているとしたら、まだしも健全ではないですか?
「専修大学文学部の山田健太教授がVTRに登場し、はっきりものを言うことに尻込みする世間の空気に警鐘を鳴らす。山田氏は「時代というのは、世の中が不安になってくると公権力を批判させないための制度を作りがち」「社会的な問題について議論をする、臆せずに話題にしてみる。そういうことをしていかないと、社会全体が萎縮せざるを得ないような雰囲気になってしまう」と訴えていた。」
いや、公権力を自由に批判しているじゃないですか、沖縄もSEALDsのみなさんも。
それに対してなんらかの反動が出てきたら、公権力が影響を行使してつぶせ、と言いたいのでしょうか。
一方の意見だけ尊重しろ、というそのほうが怖いですけど。
犯罪はだめですよ。
取り締まらないといけませんよ。
でも、犯罪の動機が「誰でもよかった」なのか、「あいつらむかつくから」なのか、で被害者の取り扱いが変わるというのもなんか変じゃないですか?
それに、社会全体が萎縮しているのに、数万人規模で安保法案改正反対デモが起こる、というのは矛盾していませんか?
言いたいこと、言ってません?
あと、はっきりものを言うことに尻込みするのは、日本人だからでしょうに。
文化の良し悪しはともかく、そういう文化を変えたいと思うのであれば、教育やら何やらから変えていかないといけないでしょう。
自主規制が蔓延しているのは、世の中が不安定になってきているからなんでしょうかね。
アホが言いたいことを言い始めたからではないですか?
「ジャーナリスト・岸井成格氏も「権力っていうのは必ず腐敗するし、ときに暴走するっていうことを忘れちゃいけない。それをチェックするのがメディアの役割であるし、ジャーナリズムの使命」などと訴えていた。」
権力は腐敗しません。
生まれたり、なくなったり、分散したり、移動したり、強くなったり、弱くなったりはします。
権「力」ですから。
単なるエネルギーです。
腐敗するのは「権力者」でしょう。
「権力者」はいずれ腐敗しますし、ときに力の使い方を誤ることがあるでしょう。
それをチェックするのが「メディアの役割」であったり「ジャーナリズムの使命」だったりする、というお題目はともかく、メディアもジャーナリズムも公平中立であるという顔をするのはどうなんでしょうね。
自分たちも「権力者」ーーその源泉が、金なのか情報なのかはわかりませんがーーであるという自覚が足りないのが、メディアやジャーナリズムの一番の問題点ですよね。
まるで、「権力者」に対している限り、自分たちが腐敗も暴走もしない、と思っているようで。
そんなもん、狂信者と同じです。
で、あんたたちが作ってきた「もの言えぬ空気」についてはどう説明するの?
何かを公正明大な面をして報道する時点で、圧力になっているという自覚はあるの?
報道が自由なら、どうして放送業界には自主規制なんてものがあるの?
自分たちの偏った報道についてはどう考えているの?
その情報が必要か否かを判断して、報道しない自由を行使する、という時点でもう権力者でしょう?
政府と同じように、メディアに対しても国民はものを言っているわけですが、そうすると途端に「表現の自由」「報道の自由」に抵触する圧力だ、とか言い出すのはなんなの?
「?」だらけになりました。
(元記事)