「歴史」に反応して、新書を衝動買いすることがしばしばあります。
本書の著者は『武士の家計簿』を書かれた方です。
『武士の家計簿』といえば、映画化もされた面白そうな本なのですが、タイトルに「歴史」とついていなかったので、私はスルーしています(ほんまか?)。
いくつかの連載を集めたもののようなので、内容はわりとバラバラです。
一章は、「江戸の武士生活から考える」。
日本的な組織の原風景を、「濃尾平野で生まれた江戸的な武士団」に見出しています。
つまり、濃尾平野以外の場所では、中世的な封建制度だった(ヨーロッパ的な、といってもいい)のですが、濃尾平野では集権的な集団(絶対君主制に近い)ものが生まれていた、と。
ご存知「封建制度」は、ヨーロッパ的には、「君主と騎士」との一対一の契約ごとですから、契約の分しか働かない(また、上司の上司……地方領主が国王と契約していたとしても、一騎士が国王と契約をしているわけではない)。
日本の封建制度は、少々毛色は違うものの、「必要なときだけ臣下として戦争をする」という意味では似ています。
濃尾平野で、半ば絶対君主的な存在として頭角を現した織田信長から三人の天下人は、少数精鋭で強固な家臣団を作り出すことに成功し、しかもこれが常時直接的な軍制の中に組み込まれることで機動力を発揮する、遠征にも耐えうるし、負け戦でも大将を守り抜く忠誠心を生む、これが江戸的な武士団だというのです。
で、一つのシステムが成功したので、全国に広がり、江戸的な武士団の時代=江戸時代になるわけですが、戊辰戦争で木っ端微塵にされます。
中世的な封建制度が、江戸的な武士団に敗北したように、システムの硬直が体制の崩壊を招く、といういたって当たり前のことが書かれています。
しかもそれが、歴史的に見れば、回避し難いことなのでしょう(幸い、国内でそれをやっているうちはまだいいのですが、外獄との戦争になれば……)。
「歴史研究者として、長期的に日本の歴史をみていますと、日本人は外部から大きな変化の波をうけると、変わりやすい。また政権の中枢が変わって本気になってトップダウンで改革命令が出ると、改革がとても効率的になります。」(p32)
二章は「甲賀忍者の真実」。
甲賀地方で忍者というものが成立したのは、この地方独特のリテラシーの高さに一因がある、というのが面白いです。
識字率、というのは歴史をかじるものにとっては常に面白いです。
古代からの統計的な資料はないのでなかなか現実としては把握できないですが、日本の識字率は比較的高いながら、国内ではばらつきが大きかったようです。
基本的に、識字率というのは、宗教と大きく関係します。
だいたい、聖典とか経典というのは文字で書かれますから、それを独占したいと考える勢力は常にいるわけです(言葉を独占できれば、神の教えも独占できますから、民衆への影響力が格段に違います)。
教祖と呼ばれる人たちと、その後にできる教団は、大抵が反対のベクトルに向かうんですよね(教祖は、社会的弱者を相手にして勢力を拡大しますから、字が読めるとか読めないとか関係なく、教団は、同じ社会的弱者を相手にしながら一定の権益を守る方向で動きますから、字が読めることを特権化します……極端な書き方ですが)。
また、一般的な(時代劇か、『忍者ハットリくん』の影響から)印象では、甲賀者より伊賀者のほうが「上」という感じがしますが、どうも甲賀者のほうが高給取りだったようで。
「「家康公は耳に臆病、目に大胆」といわれます。何かといいますと、家康は、敵の情報を耳で聞いているうちは心配性で臆病です。怖い、恐ろしいで、準備を怠りません。ところが敵の旗を目で見るや、ものすごく大胆な行動に出ます。」(p59)
三章は「江戸の治安文化」。
戦国時代まで、人が殺されることに関して特に心を動かされなかったのに、秀吉以降からは人命を尊重するようになった、そのため日本は未だにおいて極めて治安のいい国になっています。
今ではあまりいい言葉とはされない「お上」という存在が、日本の治安に寄与したのは間違いないわけです。
それを分析し、さて今後それを捨てていくのかどうか(つまり、アメリカ的な社会に移っていくのか、あるいは大陸的な儒教に回帰するのか)、我々は試されているのかもしれないです。
「占領軍が、日本の家庭から「刀狩り」を行った成果は、藤木氏の前掲書などから、概数を示せば、銃器で80万丁、刀剣114万本(日本刀90万本・軍刀24万本)、槍14万本でした。日本家庭が銃刀を持たないのは太閤秀吉のえいではなく、アメリカ軍のせいですね。」(p80)
四章は「長州という熱源」。
なんと、長州藩のGDPがわかる資料がある、ということで驚きです(それを分析することもまた驚きなんですが)。
また、長州は学問がさかんなお土地柄だったようです(もちろん、識字率も高いです)。
「もともと長州は、秀才はいても、自由な発想をする天才が頭を出しにくい。原因の一つには、道徳や倫理をふりまわすところがあります。文科系の倫理主義、教条主義、政治スローガンや感情に流される面があります。」(p129)
五章は「幕末薩摩の「郷中教育」に学ぶ」。
面白いなと思ったのは、江戸時代の藩は、幕末でそれぞれ乱れ咲く(咲かなかった尾張藩みたいなところもありますが)のですが、その素地といいますか、それぞれの地域での教育とか産業とかが、かなり違っていることです。
どうしても、中央集権の色が強い江戸幕府下だと、均一的なものを想像してしまうので、当たり前でありながら新鮮でした。
薩摩藩の実践的な教育について書かれています。
識字率の高くなかった薩摩では、抽象性を排除した教育、そして詮議と呼ばれるシミュレーション(具体的な場面を仮想する)が繰り返し行われていたそうです。
仮想現実は抽象的だと思われるかもしれませんが、仮想であっても「具体的」である以上は、抽象的にはなり得ません。
そこから、薩摩らしいリアリズム(想定外をいかにして少なくするか)の発想が生まれたのではないか、ということです。
「これから、我々が進む世界には、これぞという、決まったモデルや絶対的価値はみあたりません。そのなかで個人が生きていくには、価値観や方法自体を自分で常に模索し、想像していくことになるでしょう。これからの子供たちは五里霧中の世界に入っていくようなものです。今やインターネットで子供は多角的に情報を得る時代で、政府や学校が上から価値観を子供に流し込むことも難しい。」(p169)
「日本人の乗った「日本丸」はレーダーが弱いのです。起きるとわかっていても、最悪の事態について考えることをやめてしまう。日本人は、起きて困ることを直視せずとりあえず目先のことをやる、几帳面で、真面目で、一面困った人たちなんですね。」(p177)
七章は「司馬文学を解剖する」。
幸いにして(?)、私は司馬遼太郎の本を一冊も読んだことがないのです。
とはいえ、この章で書かれていることは非常に面白かったです。
日本には、かなりの量の古文書が残されています。
そこで、歴史小説ではなく、できる限りの推量をなくした小説ができないものか、と著者はおっしゃいます(つまり、そのフィールドで作家性を発揮できる作家にしか書けない、ということです)。
それが果たして小説なのかどうかはともかく、そういったものであれば読んでみたいと思います。
別に、司馬遼太郎が嫌いなわけじゃないんですけれど、なんですかね、読まなくていいやって思ったもので。
歴史物の新書としては、かなり面白い部類に入ると思います。
日本史嫌いの人でも、これは読めますよ。
歴史学の末席を汚したものとして、今になって不満なのは、「歴史学の勉強」をきちんとしたことがない、ということです。
私は西洋史専攻でしたが、やるのは西洋史ばっかりなんですね(当たり前です)。
「概論」的なものももちろんあったのですが、そうではなくて、「歴史学」というものについての講義があってもよかったのではないか、と思うのです。
例えば、何かの話をしているときに、ぽろっと「アナール学派」とか「社会史」とか「ミシュレ」とか出てくるんです。
ぽかーんですよ、実際。
歴史を学ぶことはできても、「歴史学」について学ぶことがなかったんです。
これは、他のジャンルであれば、「○○の歴史」があるのに対して、「歴史」には「歴史の歴史」がないからです。
だから、歴史学者は、「○○の歴史」を学ぶ、あるいは専攻するのですが、いやいや、「歴史学の歴史」はあるでしょう、と。
せめて大学であれば、そういったことを、なんとか考えて教えてほしいものですが……まぁそんな煩雑なことをやりたがる人もいないでしょうけれども。
西洋史でも、こういった本が出ていたら読みたいなぁと思います。