ええと……ああ、結構新しい本でした。
この時期、ちょっと日本古代史脳を刺激したかった時期のようなので、いろいろと読んでいたようです。
本書は……ええと、いろいろと文献に依拠しているのでかなり膨大な情報で満たされています(すでに忘れている)。
1:奄美大島に(原)邪馬台国があり、エジプトの太陽神信仰がはるばる伝わってきた。
2:北九州が大陸の燕の影響下にあった(倭人は江南から渡ってきた)。
とか。
あとは、扶餘やら高句麗やら百済やら、エフタルやらの系統が、大陸から半島を伝って列島にやってきては興亡を繰り返す、超ダイナミクスな世界だった、というようなことが書かれています(おおざっぱにまとめすぎていますかね)。
なかなか面白いですよ、このダイナミズム。
もちろん、キリスト教が聖徳太子の時代に伝わっていたり、ローマ人がシルクロードを伝って日本まできていたりしても、私としては全くもって問題ないと思います。
面白いし。
帯にも書いてありますが、「卑弥呼、神武、ヤマトタケル、応神、雄略、聖徳太子……日本列島生まれは一人もいない!」のだとしても、面白いでしょう。
天皇家のDNA検査をするともっと面白いのだと思いますけど……天皇陵に比定されている陵墓も、天皇制が存続している間に調査研究すべきだと思います。
将来、どこぞの国に破壊されないとも限らないのですから。
結果、万世一系などを揺るがす何かがあったとしても、そのことで、天皇家に対する崇敬が揺らぐとは思っていませんので……とはいえデリケートな問題ではありますな。
脱線脱線。
そんなわけで、読み物としては面白かったと思います。
とはいえ、何といいますか、思わず突っ込んでみたくなるもので(いえ、私の知見などたかが知れていますので、著者にしてみれば片腹痛いのでしょうが)。
「たとえば日本人の中で邪馬台国の卑弥呼の存在を疑う人はいないだろう。しかし卑弥呼は中国の資料と朝鮮の歴史書『三国史記』(12世紀)にしか載っていないのである。日本国の始祖にも等しい肝心の卑弥呼すら日本の支所には載っていない。この例からみても日本の古代を解明するには、いかに外国の資料が重要かということがわかるだろう。」(p5)
えーと、日本人がみんな「卑弥呼」の存在を信じているかのごとくな話で始まっているのですが、そうなんですかねぇ……そもそも「卑弥呼の存在」が何を意味しているのかが厳密ではないので、信じる・疑うの基準がわかりません。
また、大陸の文献は確かに重要だとは思いますが、『三国史記』ねぇ……そこに「卑弥呼」が載っていたからどうだって話ですけども(大陸の史書を参考にしているに決まっているでしょうに)。
「倭人の記録は紀元一世紀に書かれた『論衡』(異虚第十八)に、周代の初め(紀元前一一世紀)に暢草(本文では野草とのみある)を献じてきたとあることに始まる。この史料から、紀元前一一世紀には倭人といわれる民族がすでに存在していたことがわかる。そして、その背後に倭国があったかもしれない。ただし暢草の暢という字は、おそらく誤字なのだろうが、元の字はなんだったのだろうか。
蝪という字が存在する。初めは写本だから二〇〇〇年もの長い年月の間に、虫偏が申偏に変化したのではないか。蝪とは土蜘蛛類をいう。」(p22)
「ただし暢草の暢という字は、おそらく誤字なのだろうが、元の字はなんだったのだろうか。」……いやいや、だめでしょう「おそらく」じゃ。
大陸の文献を重要視するとしながら、証拠もないのに誤字と決めつけるのは学問的ではないと思います。
「中国に渡る時は持衰といい、航海中は頭もくしけずらせず、衣服も汚れたまま、婦人も近寄らせず、肉食もさせない人を乗せる。航海が無事ならば褒美がもらえるが、万が一遭難などすれば殺される場合があるという。持衰はジスイと読めるが、奄美大島出身の配山実氏によると奄美地方の方言で「脱皮する」という意味の「スイディル」からくるという。」(p27)
いわゆる『魏志倭人伝』に登場する、有名な「持衰」のエピソードですが、
「奄美地方の方言で「脱皮する」という意味の「スイディル」からくる」
……で、その方言は邪馬台国の時代からあったの?
「金思燁氏によると、韓国語で邪馬台のヤは古いという意味であり、馬はマで南を表わす。台はトと読み、ヤマトは「旧い南部にある中心国」という意味を持つという。」(p29)
「韓国語」……古代朝鮮語を持ってきてください。
1700年前に「韓国語」なんて存在してませんよ。
「考古学上の遺物だけではなく列島の倭人が燕に送使したことは『山海経』(海内北経・紀元一世紀頃成立か)という史料によって裏付けられる。「(巨)大国燕の南に倭あり、北の倭は燕に属す」とある。」(p36)
『山海経』……ってあんまり信用できませんけれど(内容ご存知でしょうに)。
時代と地政学的に、日本列島と燕などが関係したことは考えられるでしょうが、『山海経』か……。
「もともと大夏の五侯の筆頭は名を休蜜といった。休なる姓は南匈奴の可汗や同時代のシルクロード上の鄯善国の王の姓でもある。「やすみしし」とは『万葉集』では天皇にかかる枕詞だが、『万葉集』の特徴として、すべて漢字で書かれていて、あて字だから漢字に意味はない。私は「やすみしし」とは「休氏し」と書くのが妥当だと思う。休氏の下の「し」は「大和しうるわし」というように協調の意味を持つ。したがって「やすみしし大王」の意は「休氏である大王」という意味である。ないとされる天皇の本姓は「休」だったのである。」(p41)
なんで「休(きゅう)」と呼んでいたものを、大和言葉の「やすみ」に読み直して、さらにそれに「氏」をつけて、強調までするのかがよくわかりません。
姓だったら、本来発音したように書かれるのが普通だと思いますけども。
「氏」って、いつから「し」って読んでいるんでしょうね(私は知りません)。
あ、後世に、読方がわからなくなった「休氏」を誰かが「やすみし」と読んだ、ってことですか?
「長脛彦の名は『山海経』(大荒西経・四世紀成立か)に現われる。「西北の海の外、赤水の東に長脛の国がある」とあり、後世の注釈は脛の長さは三丈と話を不正確にしている。『記紀』の編者は当然、『山海経』を読んでいたことは確実である。荒唐無稽の話が多いので史書としては取り上げにくい。しかし赤水は崑崙山から流れ出し砂漠に流れ出るとある(大荒南経)。タクラマカン砂漠を隔てて北にクチャ、南に崑崙山があり、実在する山である。このあたりは大月氏の行動範囲内にあるから大月氏の大物主のルーツだったのかも知れない。」(p118)
記紀神話の編者が大陸の文献に通じていたのはその通りでしょう(特に『日本書紀』は、対外的に漢文で書かれているのですから)。とはいえ『山海経』を、
「荒唐無稽の話が多いので史書としては取り上げにくい。」
って、「倭人が最初に出てくるのは……」って最初の方で書いてませんでしたっけ?
ああ、「大荒西経」だけが、資料的価値が薄いと?
「紀元前六六〇年は『記紀』にいう神武元年である。神武元年とキュロス元年の年代が一致しているのは偶然ではない。キュロスの生誕秘話はそっくり「新羅本紀」に、七世紀に高句麗、百済を滅ぼし統一新羅を建国した文武王生誕の話に取り入れられているのだ。」(p278)
……うーん、だから、としか言いようがないのですが(そんなことないですか?)。
というわけで、大胆な仮説が展開される、非常に面白い読み物なのでした。
あ、仮説をあんまり紹介していませんが……ごちゃごちゃしているので、興味のある方は読んでみてください。