(※2016/8/1修正)
(※本記事は、『ひぐらしのなく頃に』『うみねこのなく頃に』の真相には一切触れておりませんのでご安心あれ)
(※大変申し訳ありません。↑とある、非常に重要な真相に触れていたことに、書き終わってしばらくしてから気づきました。いや、もうあれは何か共通認識だと思い込んでいまして……というわけで、本記事は、『ツイン・ピークス』『ひぐらしのなく頃に』『うみねこのなく頃に』の真相に触れている部分がありますので、ご安心なさらないように……)
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先週末は体調が悪く、ごろごろと検索したり読書をしたりして過ごしていました。
ふと、『ツイン・ピークス』が再始動、という少し前のニュースに触れて、「そういえばちゃんと見たことないなぁ……」と思っていろいろ検索。
考察(ネタバレ)サイトはあまたあるので、それぞれ検索していただければいいと思いますが、情報を仕入れるにつれて、「なんかこれって『ひぐらしのなく頃に』みたいだなぁ……」と思い、『ひぐらしのなく頃に』について思いを馳せてみました。
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もう10年以上前ですか、もともとは同人ゲーム(サウンドノベルなのかな?)だったのが、ネットの口コミで一気に話題が広まり、「問題編だけが提示される」「選択肢の(ほとんど)無い」「プレイヤーが真相を”推理”するゲーム」ということで、情報掲示板や考察サイトがかなり人気になった、と記憶しています。
作者は竜騎士07氏(サークル名はなんだっけな……検索してください)。
その後コンシューマに移植、コミック化、アニメ化、実写映画化などなどのメディアミックスでお化けコンテンツとなり、ある猟奇的事件がこの作品を連想させるとかで放送を中止したりなど話題性も抜群で一層盛り上がった、と記憶しています。
で、私の初プレイはいつだったのか……たしか、「問題編」は揃っていたと思います。
なので、2006年とかかなあ……ただ、当時私はWindowsマシンを所有しておらず、家族のPCを借りて第1話の『鬼隠し編』をプレイして、PCは姉のものになり、めでたくそこで終了と相成りました。
その頃得ていた情報(作品というよりは、作者について)によれば、「作者は舞台(芝居)のシナリオを書いていたらしい(※真偽不明)」「『問題編』を先に発表するという手法は、テーブルトークRPGのような「やりとり」を再現したかったらしい(※真偽不明)」「作者が『今や10万円も出せばPCが買えて、フリーソフトでもノベルゲームは作れるのだから、みんなやってみればいい(※どっかで読んだ)」といったものがあり、ともかくムーブメントに乗っかって謎解きをしてみたわけです。
推理とあらばとりあえず参上、してみるのです(?)。
「鬼隠し編」はプレイの記憶があるのでなんとかそれを脳内再現(メモあり)。
他の問題編はネタバレサイトやら友人の情報やらで仕入れました。
で、当時書いた考察が残っていたので、恥を晒してみます(とはいえ、「鬼隠し編」の細かい考察はさすがにこっぱずかしいので、序段の部分で/昔はてなダイアリーに掲載していたやつです)。
「本格ミステリをそれなりに読んでいる私は、このゲームに関しても所謂「本格読み」を試みたのであるが、それにしては得られる情報が少なく、曖昧で、かつ「何を答えとして求めればいいのかさっぱりわからない」という壁に見事に激突した。まっ先に私は叙述トリックの有無を疑った(一人称のミステリでは、叙述トリックに気をつけろ!というのが本格の非常に穿った歪んだ読み方である)。しかし、どうもその様子はない。ストーリーの中では「バラバラ殺人」が起きる。「バラバラ殺人」が起きたら、人物の入れ替わりに気をつけろ!というのもまた「本格読み」である。しかし、またしてもその様子がない(そもそも、発見されていないのが首ではなくて右腕、しかも主犯以外は捕まっているとあっては入れ替わりは成立しないだろう。もちろん、共犯者が全て嘘をついている、というのなら別だが、そうすることのメリットがさっぱりわからない)。連続する事件が「一定の法則の元に行われる」という本格テイストなものであるのなら(例えば森博嗣『黒猫の三角』のように)考えようもあるのだが、何か微妙に違う。殺害された人物の共通点があまりに貧弱だし、失踪した人物についても同様。考えれば考えるほど、「本格読み」は通用しないのではないか、という確信が頭をもたげてきた。クィーンや有栖川有栖に「読者への挑戦」をされているわけではない。
では、どう楽しめばいいのやら。
犯人を当てさせたいのであれば、もっと書き方があるだろう。制約をできるだけ排しているのは、「推理する」ことが目的であって「解決に至る」ことが目的ではないからか? 犯人当てに代表される「読者への挑戦」付き本格ミステリは、手がかりと伏線にさえ気づけば、誰でも解決できるように書かれている(解決が「犯人を当てる」のか「殺害方法を当てる」のか「凶器を当てる」のか、いろいろあるのだが、基本的に問題に求めるべき解決が明示されている)。『ひぐらし〜』「鬼隠し編」には膨大な謎と伏線(と見られる部分)があるのだが、それらに完全に説明をつけることができるのは間違いなく「作者」だけなので、もうその辺りはほったらかしておくしかないと思う(本格ミステリであれば、かなりの理詰めで正解に肉迫できる。しかし、「鬼隠し編」を考察してみると、「どうとでもとれる」記述が少なく、ほとんどが断定的である。主人公・圭一の一人称であり、「一人称であるからには、会話であろうと地の文であろうと、そこに嘘や幻覚や妄想が挿入されていたところで問題はない」ということであるのならば、そもそも論理的に思考していくことが虚しくなってしまう。何をもって論理的か、というようなこむずかしいことには触れないが、要するに理詰めで思考していくことが果たしてできるのか否か、という点である)。
また、「完全な正解」に辿り着けなくともそこに肉迫するために「もっとも重要な手がかり」というものが、本格ミステリには大抵あるものだが(ないこともあるけれど、これだけは外しちゃいけないというものがほぼある)、どうにもそれを掴めないし感じられない(これは、私の読み込みが甘いだけ、という可能性が高いのだが)。
ぶっちゃけて言ってしまえば、「一体何を推理すればいいのか」すらまったくわかりゃしないのだ。
「鬼隠し編」の終了後の座談会では「祟りか、人間の仕業か」ということが言われているが、「祟りであることを、作中の手がかりから理詰めで証明する」なんてことが果たして可能なのだろうか(未だに私は、あのおまけの座談会が『ひぐらし〜』という作品の一部ではないか、と疑っているが。まあ、そんなことはないだろう……)。多様性がありすぎて、答を絞り込めない。であるならば、愚直に、一つ一つの謎について考察し、答を出し、それを次の謎を摺り合わせて、最終的に一つの筋が通った「解答」に辿り着くしかないのだろうが……私の拙い脳みそでははっきりいってそんなの無理である。知識経験のなさは、キャラとハートがおおまかカバーしないのである。なので、愚直さを抱きつつ、お馬鹿な方向性で思索していくしかないのである。
そこで、私が予断と偏見だけで仕立て上げた仮説が、
1:妄想説(圭一の妄想、あるいは別人格が本文中に巧みに混入されているのでは?)
2:映画説(監督といえば映画である。つまり、「鬼隠し編」は映画と現実が混ざりあっているのだ)
3:秘密施設説(雛見沢村には、旧日本軍の残した秘密施設があるのだ)
であるが、これらの3つの仮説について、考察するのは面倒臭いので、
4:宇宙人説(全ては宇宙人で説明できる!)
という逆大槻教授ロジックを一つかましてみようかと思う。」
「知識経験のなさは、キャラとハートがおおまかカバーしないのである。」
↑
このあたりで爆死(恥)していますな。
こうした仮説を立てよう、と思ったのは、昔むかし「世界(観)当て」というクイズ的ミステリを「妄想」したことがあったからです。
それなりにミステリを読んではいるのですが、本物のミステリが書ける気がしない、犯人当てなんてもちろん無理、でも何とかやらかしてみたい……と思った私は、「ある小説を読んで、それがどんな世界(観)の中の物語かを当てる」というクイズで自分の心を癒していた時期がありました。
簡単に言いますと、例えば『サ○エさん』の世界観をお借りして、ただし描写などは叙述トリックも含めて隠蔽して、ショートショートを作り、それを読んでもらって「さて、このショートショートはどんな世界での出来事でしょう?」という問題を出す、というものです(悪ふざけですけども……京極夏彦氏の『どすこい(仮)』や、綾辻行人氏のアレなんかを読んで思いついたんだと思います……パロディとして)。
そんなわけで、犯人とか殺害方法とかそういうのではなく、「世界観(舞台設定)」を当ててやろう、とひねり出したのが、
1:妄想説(圭一の妄想、あるいは別人格が本文中に巧みに混入されているのでは?)
2:映画説(監督といえば映画である。つまり、「鬼隠し編」は映画と現実が混ざりあっているのだ)
3:秘密施設説(雛見沢村には、旧日本軍の残した秘密施設があるのだ)
4:宇宙人説(全ては宇宙人で説明できる!)
でした(もちろん、「解答編」はプレイしていないですし、まだ漫画もなかったんじゃないかなぁ……)。
「1:妄想説」は、「鬼隠し編」の語り手である「圭一」くんが妄想を抱いている、あるいは多重人格ではないか、というもので、通称「夢オチ」です。
物語の作り手として、「夢オチ」と「サプライズパーティー(みんなグル)」は多用してはいけない、と思っています(私好きですけどね、「サプライズパーティー(みんなグル)」パターン)。
「夢オチ」にしても、中津賢也先生『妖怪仕置人』に非常に秀逸なものがあるのですが(なんと叙述トリックが!!)、あのくらいの破壊力×ツッコミ待ちが期待できないならできるだけやらないほうがいいでしょう。
多重人格も、それをどのように使うのかが問題になりますね(何しろ、○レ○・○ク○○のアレとか、1942年にやってあのひねり具合ですし……最近だと○イ○○・○○イドですかねぇ一番笑った使い方は……「おいおい、それってありなのかよ」と)。
ま、というわけでなかろう、と。
「2:映画説」は、たしか友人と話し合っていたときに、一緒に思いついたのかな(いや、友人が思いついたんだったか……)。
登場人物に「監督」がいるんですが、それが「映画監督」で……で、プレイ後の座談会は「役者」がしゃべっている、という。
つまり、全部「映画」で、だから繰り返し同じ時間軸が成立して、しかも実はだんだんその「映画」のせいで人が狂っていく的なことを想起したんじゃないかな……あんまり覚えていません(※「問題編」が時間軸をループしている、という話だったので、それを解決するために持ち出したんだったかと思います)。
個人的に一番ヒットしました。
「3:秘密施設説」は、詳細を覚えていませんが、「ま、だいたいこの手の話は「旧日本軍の〜」「謎の生体兵器が〜」「秘密研究施設が〜」って言っときゃ大丈夫でしょ」という暴論だったかと(記憶を奪う薬とか、広大な箱庭世界とか)。
だんだん真面目に考えなくなってきています。
「4:宇宙人説」にいたっては、初代プレイステーションで発売されていたAVG(1500円のやつで、何とヒロインの声を…………があてておられる、というアレです)のオチです(未プレイの方すみません……そんなレアな人いないと思いますけど)。
いや、もう無敵ですよね、宇宙人(いつか使いたいネタです)。
という感じで、本格ミステリではないのですから、なんでもありだし(実は、↑のような設定でも本格ミステリとして成立させることができてしまうんですけれど……腕さえあれば)、「推理」を楽しむゲームならそれはそれで面白かろう、と。
でも、「模範解答」はあるだろうから、それがどんなものかは確かめてみようかな、と思っていました。
で、まあアレだったんですけれど(気になる人は検索を)。
いや、どこかで本格読みをしてしまっていたもので、そっちっぽい解答があるのかなと思っていたんです。
うーん、でもまさか、アレだとはちょっと驚きました。
で気づいたんですが。
私、そもそも「ループ物」や「タイムリープ物」が嫌いだった、と(ソリッドシチュエーションホラーも、オチが2種類しかないと思っているので苦手です)。
だから、どこかに本格ミステリ的解答を期待していたんですよねぇ……(いっそ記憶を消す薬でもよかった)。
まあ、業界的にかなり盛り上がったみたいですし、一大ムーブメントは作り出しましたし、そのことは素直に賞賛します。
「解答編」?
いや、やってませんよ。
漫画は読んだ気がします……いや読んでないかな……オチを人から聞かされて、マジかよと思って漫画で確かめて、マジだったので降参したんだったか……。
というわけで、そんな楽しい体験(?)でしたが、
『うみねこのなく頃に』という作品が出る、という情報が入ってきました(いつだったかはもう覚えてません)。
はい、同人ゲームとして発売されましたね。
ただ、やってません(だから、Windowsマシンがなかったんですってば)。
「問題編」はやってみようとちらっと思っていたんですよ。
でもプレイできないので、
↑これを買いました(ああ、9年前か……ということは『ひぐらしの〜』はもっと前だったのかな……)。
パーっと読んで、「ああ、ミステリっぽいな」「を、この碑文の謎は真面目に解けるのか、それともとんでもなのか?(※真面目に解けますが、そうですねぇ……『リアル脱出ゲーム』の高難度問題くらいのネタです)」「魔女?魔法?そっち系なの?」「で、何を解けばいいんでしょうか……」という印象。
『ひぐらしの〜』パターンで、「問題編」が4つあるようです。
うーん……その中で、魔法があるのかないのか、魔女がいるのかいないのか、を答えるのか……すでに本格っぽく解けるとは思っておらず(※ある程度、現実の事件として解けるようです)、ということは「舞台設定当て」なんだろうなぁとぼんやり思いながら、双子が出てきてるしなぁ……(※双子の登場は入れ替わりトリックを疑うものです)……家具ってなんだろ……悪魔?……といろいろと混乱しまして(プレイしてないのに混乱してどうする)。
んで、結局私がこの本を読んだ時点で出した結論は、
「みんなが推理し続けてくれる限り、魔女は存在し続ける」
というものでした(↑白字で書いてありますので、選択してもらうと読めると思います……あ、真相じゃないですからご安心を……ちょっと恥ずかしいので隠しただけです)。
で、それっきり興味を失いました(一番の理由は、登場人物の名前がほぼ西洋名に漢字当てで読みづらかったからかもしれません……森鴎外ご一家をdisってるわけではなくて、「だったらもうカタカナにしてくれよ」って思っただけです、プレイしやすさ・読みやすさの問題で……まあ同人ゲームなのでいいんですが)。
(すみません、ひょっとして私は「死馬鞭打同盟(協会?)」(by A・ケストラー)の一員なのかもしれませんが……気になったので書いてしまいます……以下冗長なので、おヒマな人だけ(<ここまでが冗長でないとでも?!))
『ツイン・ピークス』『ひぐらしの〜』を想起している間に、「そういえば『うみねこの〜』があったなぁ……さすがにあれはミステリっぽかったから、みんなが頷く結末に至ったんだろうな」、と想像して、考察サイトを検索し、漫画版を読んでみました。
あれ……軒並み叩くようなものしか出てこない……。
そんな叩くような要素があるような第一話だったかなぁ……と、作品紹介HPを見てみました。
↑引用してみますね。
「
『うみねこのなく頃に』のご紹介
伊豆諸島、六軒島。
全長10Kmにも及ぶこの島が、観光パンフに載ることはない。
なぜなら、大富豪の右代宮家が領有する私的な島だからである。
年に一度の親族会議のため、親族たちは島を目指していた。
議題は、余命あと僅かと宣告されている当主、金蔵の財産分割問題。
天気予報が台風の接近を伝えずとも、島には確実に暗雲が迫っていた…。
六軒島大量殺人事件(1986年10月4日〜5日)
速度の遅い台風によって、島に足止めされたのは18人。
電話も無線も故障し、隔絶された島に閉じ込められた。
彼らを襲う血も凍る連続殺人、大量殺人、猟奇の殺人。
台風が去れば船が来るだろう。警察も来てくれる。
船着場を賑わせていたうみねこたちも帰ってくる。
そうさ、警察が来れば全てを解決してくれる。
俺たちが何もしなくとも、うみねこのなく頃に、全て。
・
・
・
・
・
うみねこのなく頃に、ひとりでも生き残っていればね…?
貴方に期待するのは犯人探しでも推理でもない。
貴方が”私”をいつ信じてくれるのか。
ただそれだけ。
推理がしたければすればいい。
答えがあると信じて求め続けるがいい。
貴方が”魔女”を信じられるまで続く、これは永遠の拷問。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『うみねこのなく頃に』の世界へようこそ
1986年10月4日の六軒島へようこそ
貴方は、右代宮家が年に一度開く親族会議を垣間見ることができます。
莫大な資産を溜め込んだ老当主はもはや余命もわずか。
息子兄弟たちにとって、親族会議最大の争点はその遺産の分配についてでした。
誰もが大金を欲しており、誰もが譲らない、誰も信じない。
老当主の莫大な遺産を得るのは誰か。
老当主が隠し持つという黄金10tの在り処はどこか。
その在り処を示すという不気味な碑文の謎は解けるのか。
そんな最中、魔女を名乗る人物から届く怪しげな手紙。
18人しかいないはずの島に漂い始める19人目の気配。
繰り返される残酷な殺人と、現場に残される不可解な謎。
何人死ぬのか。何人生き残るのか。それとも全員死ぬのか。
犯人は18人の中にいるのか、いないのか。
そして犯人は「人」なのか、「魔女」なのか。
どうか、古き良き時代の孤島洋館ミステリーサスペンスのガジェットを
存分にお楽しみください。
『うみねこのなく頃に』の推理は、可能か不可能か。
本作品は、ジャンル的には連続殺人ミステリーになるかもしれません。
しかし、だからといって推理が可能であることを保証するものではありません。
”解けるようにできている”甘口パズルをお好みの方はどうぞお引取りを。
『うみねこのなく頃に』は、皆さんに”解かせる気が毛頭ない”最悪な物語です。
しかし、だからこそ挑みたくなる最悪な皆さんは、初めましてようこそ。
私も、そんな最悪な皆さんを”屈服させたくて”この物語をお届けします。
皆さんは、どんな不思議な出来事が起こっても、全て”人間とトリック”で説明し、
一切の神秘を否定する、最悪な人間至上主義者共です。
どうぞ、六軒島で起こる不可解な事件の数々を、存分に”人間とトリック”で説明してください。
皆さんが、どこまで人間至上主義を貫けるのか、それを試したいのです。
犯人は魔女。アリバイもトリックも全ては魔法。
こんなのミステリーじゃなくてファンタジー!
あなたが悔し涙をぼろぼろ零しながら、そう言って降参するところが見たいのです。
一体何人が最後まで、魔女の存在を否定して、”犯人人間説”を維持できるのか。
つまりこれは、魔女と人間の戦いの物語なのです。
連続殺人幻想『うみねこのなく頃に』
選択肢でなく、あなた自身が真相を探るサウンドノベル。
推理は可能か、不可能か。
魔女に屈するか、立ち向かうか。
楽しみ方はあなた次第。
」
……うん、まず、テキストを扱う人間として、もう少し推敲したほうがいいんじゃないかと思う部分がちらほら(チェックする人、いないのかな)。
私はテキスト読みなので、つい気になってしまいます。
で、この「作品紹介」、ネットから消すか書き換えたほうがいいんじゃないのかなぁ……と思いました。
いろいろな考察サイトを拝見しましたが、これを書かれた当時の竜騎士07氏は、「ミステリー」のことをあんまり理解していなかったようです。
「どうか、古き良き時代の孤島洋館ミステリーサスペンスのガジェットを
存分にお楽しみください。」
↑この時点でそれがわかります。
手垢のついた孤島洋館ものが(幾多の批判にさらされながらも)、現在も生き続けている、ということをまるっきりご存知でない。
そりゃ「孤島」で「洋館」ですから、どっちもそろっているのは珍しいんですが、時代設定を過去にしているのであれば、どちらかに属するものはいくらでもありますよ(携帯電話の存在する現代ですらあります)。
『人狼城の恐怖』とか(まあ、あれをちゃんと読んだ人間がどのくらいいるのか……とは思いますが……ノベルスだと4巻重ねたら鈍器ですからね鈍器)。
あと、「ミステリーサスペンス」という書き方はいただけません。
「サスペンス」は、「ミステリー」の中の一ジャンル、あるいは「小説」や「映画」、「ゲーム」などの中で使われる方法/技法の一つでしょう。
「孤島洋館ミステリー」で十分伝わります(特に、後ろの「ガジェット」にかかっているのであれば)。
「”解けるようにできている”甘口パズルをお好みの方はどうぞお引取りを。
『うみねこのなく頃に』は、皆さんに”解かせる気が毛頭ない”最悪な物語です。」
↑そんな人が、こんなことを書かないほうがいいです。
古典であればポー、ドイル、チェスタトン、クリスティ、ヴァン・ダイン、クイーン、カー、アシモフ、作品として『黄色い部屋の謎』、日本であれば黒岩涙香や小酒井不木とはいいませんが、乱歩、横溝、赤川次郎(初期)、西村京太郎(初期)、鮎川哲也、泡坂妻夫、高木彬光、山田風太郎、新本格として島田荘司、綾辻行人、有栖川有栖、二階堂黎人、法月綸太郎、東野圭吾(初期)……をある程度読破していて、それでも「これはまずい」と思う文章です。
特に本格ミステリファンは、どちらかというと「狭量」ですから、もしそこもターゲットに含めていたというのであれば、いくら煽り文句とはいえ「まずい」です(この頃ってすでに講談社とつながってましたっけ……だったら、何かいろいろと教えてあげられたんじゃないのかな……)。
「解けるようにできている」パズルを作ることがどれほど難しいか、それも「本格ミステリ」という制約の中で……このことがお分かりになっていないのであれば、かなり「まずい」です。
その上の文章、
「本作品は、ジャンル的には連続殺人ミステリーになるかもしれません。
しかし、だからといって推理が可能であることを保証するものではありません。」
↑「ミステリ」に対する理解が薄いので、こんなことを書いてしまうのでしょう。
「連続殺人ミステリー」というジャンルは、「ミステリ」の「業界」では通常想定されていません。
そもそも「ミステリ」が多様化しています。
古典的探偵小説から派生した「ミステリ」には、「ハードボイルド」「サスペンス」「ホラー」「SF」「伝奇」「ファンタジー」「歴史」と様々なものがあります。
また、作品内で起こる事件の分類として「(広義の)密室殺人」「見立て殺人」「時刻表/アリバイもの」「ミッシングリンクもの」「日常の謎」などなどがありますが……霧舎巧氏の<霧舎学園>ものの題名だと考えてもらえばいいかもしれないですね……ただの「連続殺人」がジャンルとなることはほとんどありません(トリックがある場合はそのトリックで分類し、トリックが絡まない場合は、「パズラー」と呼ばれることが多いです)。
そして、「ミステリーかもしれない」が「推理が可能であることを保証しない」という文章の意味がよくわかりません。
・「ミステリー」=「推理可能」
・「ミステリーではない」=「推理不可能」
という分類をされていると仮定して、
・「ミステリーかもしれない(しそうでないかもしれない)」=「推理可能か不可能かわからない」
と言いたいのだとしたら「そりゃそうだろ」としか言えません。
「ミステリー」が何か、を定義されていないせいだと思いますが、ここは『ジャンルとしては「ミステリー」だが「推理可能であると保証するものではない」』、で意味は通じます。
が、それ以上の問題があります。
それは、
「『うみねこのなく頃に』の推理は、可能か不可能か。」
↑この文章とも関係しています。
○こちら===>>>
↑からデジタル大辞林の引用です。
すい‐り【推理】
[名](スル)
1 ある事実をもとにして、まだ知られていない事柄をおしはかること。「いくつかの条件から問題を推理する」
2 論理学で、前提から結論を導き出す思考作用。前提が一つのものを直接推理、二つ以上のものを間接推理という。
事前に定義がされていない以上、日本語として正しい用法であるべきですので、
「ある事象に対して、推理が可能か不可能か」
という問いは破綻しています。
この世界にはおよそ絶対のものはありませんが、人間の知的活動においてなんらかの事象(それが脳内の仮想されたものでもかまいません)がある場合、その事象から何かを「推理」することは、
常に可能
です(知的能力の問題はあるので、すべての人間において、とはいえませんが、ある種の哺乳類にも可能でしょうし、場合によっては鳥、爬虫類、魚類にも可能かもしれません……それを彼らが「推理」ととらえるかどうかはまた別の話ですが、観測した人間がそのように捉えることができるでしょう)。
では「推理」が「不可能」な場合は何か、といえば、その事象が存在しない(それが脳内の仮想されたものであっても)場合です。
つまり、「ない」ものは「推理」できないし、「ある」ものは「推理」できるのです。
ですから、『うみねこのなく頃に』というものが存在する以上、「推理」は「可能」です。
「『うみねこのなく頃に』は、皆さんに”解かせる気が毛頭ない”最悪な物語です。」
↑作者が何をどう考えようと、そこに存在する以上は、「推理」することは「可能」なのです。
ただし、その「推理」が正しいと「証明」できるかどうかは、また別の話です。
言葉の定義を正しくするべきだと思います。
竜騎士07氏は、「推理」した上で、その「推理」が「正しい」ことを「証明」しろ、と言いたいのだと思います。
ですから煽り文句としては、
「本作品は、連続殺人が起こるミステリーです。
しかし、「真相解明が可能」だと保証するものではありません。」
↑の方が適切だと考えます(「真相」の定義ができていないので、これでも不十分ですけれど)。
「ミステリ」への理解が薄いためだと思うのですが、どうも「本格ミステリ」に対して何らかの誤解があるようです。
といっても、実は「本格ミステリ」の定義も存在しないので、業界や作者や読者の総意から最大公約数を得る程度のことしかできませんけれども。
この辺りも、講談社なら教えてあげられたんじゃないかと思うんですが……業界のことはまったくわかりません。
「本格ミステリ」は「ミステリ」の一ジャンルにすぎませんので、ここを混同するとちょっとおかしなことになります。
また、「ミステリ」の一ジャンルということは、「本格ミステリ」であり「ハードボイルド」、また「本格ミステリ」であり「歴史ミステリ」、あるいは「本格ミステリ」であり「サスペンス」、といったことも十分にあり得ます。
つまり、この文章での「ミステリー」が「本格ミステリ」を指しているのだとすれば、
「犯人は魔女。アリバイもトリックも全ては魔法。
こんなのミステリーじゃなくてファンタジー!」
↑「犯人は魔女」「アリバイもトリックも全ては魔法」だとしても、それは「ミステリー」でありながら「ファンタジー」でもあり得ます。
「ファンタジー」は「ミステリー」の1ジャンルとしてすでに存在しますし、「本格ミステリ」であり「ファンタジー」ということも可能です(もちろん、ただの「ファンタジー」も存在しますけれど)。
氏が、「本格ミステリ」の意味合いで「ミステリー」という言葉を使用しているとすれば、この辺りは大きな誤解をしてのことですので、修正すればいいのだと思うのです。
「本格ミステリ」とは、「作品内世界のルールに則って、ある事象を説明できるかどうか、その事象が『謎』であれば、その『謎』を解明できるかどうか」、ということと、「『謎』の解明のための材料が作品内で示されているかどうか」、という類の作品です。
そして、その「作品内世界のルール」を規定するのが、作者です。
その意味で、
「皆さんは、どんな不思議な出来事が起こっても、全て”人間とトリック”で説明し、
一切の神秘を否定する、最悪な人間至上主義者共です。
どうぞ、六軒島で起こる不可解な事件の数々を、存分に”人間とトリック”で説明してください。
皆さんが、どこまで人間至上主義を貫けるのか、それを試したいのです。」
↑ルーラーである作者が、プレイヤーの立場を規定すること自体は問題ないと思います(これは「小説」ではなくて「ゲーム」です)。
プレイヤーは、「全てを”人間とトリック”で説明し、一切の神秘を否定する」ように定義されたことになります。
ですから、当然ながら、「そのようにプレイ」しなければいけません。
繰り返しますが、これは「ルーラーである作者が規定したルール」です。
純粋な選択肢方式のアドベンチャーゲームにおいて、いくらもどかしくても「選択肢以外の選択」ができないのと同じです。
テーブルトークRPGで、いくらゲームマスターの意表をつく面白い展開を思いついたからといって、それをゲームマスターが認めなければ、その選択が行えないのと同じです。
この文章が書かれた時点で、プレイヤーは「全てを”人間とトリック”で説明し、一切の神秘を否定する」ものとして定義づけられており、作者がそのルールを改変しない限りはそれに沿ってゲームをプレイしなければいけません。
また、作者はルーラーですので、なんらかのルールを途中で付け加えることが可能です。
これについて、プレイヤーは、文句は言えますが、従わなければいけません。
でなければ、ゲームが破綻するからです。
テキストを追うだけのサウンドノベルだからといって、ゲームには違いないのです。
「あなたが悔し涙をぼろぼろ零しながら、そう言って降参するところが見たいのです。
一体何人が最後まで、魔女の存在を否定して、”犯人人間説”を維持できるのか。
つまりこれは、魔女と人間の戦いの物語なのです。」
↑とはいえ、この煽り文句はあんまりだと思います。
そして、氏はゲームに関しても何か大きな勘違いをしているように思います。
「ゲームが解けないからといって、悔し涙をぼろぼろ零し、降参する」人がどのくらいいるのでしょうか。
むしろ怒るのでは?
そして、「クソゲー」のレッテルを貼られるだけなのでは?
『たけしの挑戦状』というゲーム史上稀に見る「クソゲー」がありますが、恐ろしいことのあのゲームはクリア可能です。
しかし、普通にプレイしていたらクリアはできないでしょう。
多くの人が「降参」しましたが、悔し涙を流した人はいないのではないでしょうか。
クリア方法を聞けば、「わかるかそんなもん!!」と激怒するか、「いや、よく考えたわ」と納得するか、ひょっとしたらいろいろ通り越して感動する人もいるかもしれません。
おそらく『たけしの挑戦状』は、制作側が「絶対にクリアさせたくない、でもクリアできないようには作らない」という、ある意味で「本格ミステリ」のような意識で作られたものではないでしょうか。
ゲームは人生の一部ではありますが、人生の全てではないと思います。
ですから、基本的には「クリアできる」ように作られていなければいけません(どれだけ難解で、意味不明であっても)。
そして、「クリアできるかできないか」は、プレイヤーが存在しなければ証明できません。
「一体何人が最後まで、魔女の存在を否定して、”犯人人間説”を維持できるのか。」
↑これは許容できますが、
「あなたが悔し涙をぼろぼろ零しながら、そう言って降参するところが見たいのです。」
↑これはあんまりです。
もう少し煽り方があると思います……『カイジ』のゲームじゃないんですから(もし、そういうものだとお考えでしたら申し訳ない)。
とはいえ、
「”解けるようにできている”甘口パズルをお好みの方はどうぞお引取りを。
『うみねこのなく頃に』は、皆さんに”解かせる気が毛頭ない”最悪な物語です。」
↑ここではきちんと逃げを打っていらっしゃるので、言葉の使い方が下手なわけではないようです。
「解けるようにできている」の反対は、「解けないようにできている(解けるようにできていない)」であって、「解かせる気が毛頭ない」ではありません。
これを対義のように用いているのを、詭弁と受け取るのか、ある程度の意思表明と受け取るのかにもよると思いますが、「解けない」とは書いてありませんから。
「貴方に期待するのは犯人探しでも推理でもない。
貴方が”私”をいつ信じてくれるのか。
ただそれだけ。
推理がしたければすればいい。
答えがあると信じて求め続けるがいい。
貴方が”魔女”を信じられるまで続く、これは永遠の拷問。」
↑そして、ルーラーである作者が設定したルールがもう一つあって、「貴方が”魔女”を信じられるまで続く」というもの。
ゲームから離脱(クリア?)するためには、「魔女を信じられる」ようにならなければいけないようです。
このルールがフェアかフェアでないかはわかりません(ルーラーは作者しかいませんから)。
一方で「全てを”人間とトリック”で説明し、一切の神秘を否定する」ものとしてプレイヤーを定義し、他方で「魔女を信じられるようにならなければゲームから離脱できない」ものとしてプレイヤーを定義している。
論理を飛躍させれば、「神秘(魔女)を否定しながら、神秘(魔女)を信じる」ことでしかゲームを離脱できない。
……ああ、なんだ、簡単じゃないですか。
「肯定・否定」と「信じる・信じない」は別の位相の話だと考えればいいわけですね。
つまり、「重力があるかないか、と重力の存在を信じるか信じないか」、です。
「重力はある」そして「重力の存在は信じない」ことは可能ですし、「重力はない」そして「重力の存在は信じる」も可能です(想像しづらいですけれど)。
ということは、プレイヤーは「魔女の存在を否定する」そして「魔女の存在を信じる」ことができればいいわけです。
……サンタクロースみたいなものですね。
何か違う気もしますが……(これが4年間付き合った果てのオチだったら、私は怒るかもしれないです)。
他にも、氏の「アンチミステリー×アンチファンタジー」というよくわからん言葉に対しても書いてみたい気がしますが、こちらはどうやら言葉の定義がされているようなのでほっときます(それが理解できるのかどうかは知りません)。
作品の話題がいつまでもネットに上がり、議論を呼び、無数の考察がなされているという点で、作家としては幸せなのだと思います。
ああ、「幸せ」を他人が勝手に定義してはいけませんね。
というわけで、作品紹介だけから真相に迫ってみよう!のコーナー、終了です。
『うみねこの〜』がお好きな方も、お嫌いになった方も、
↑こちらを読んでみることをお勧めします。
あ、なんかタイトルが『うみねこの〜』っぽい色使いですね(今気づいた)。
こちら、名探偵がガチで「奇跡が存在すること」を証明する、というガチの本格ミステリです。
多分作者さんは、『うみねこの〜』ファンなんだと思います(違ったらごめんなさい)。
仮にこの本が、竜騎士07氏の変名だとしたら、すごいです。
ガッチガチの本格の枠組みの中でも「奇跡が存在するかどうか」を論じることができる、という意味では非常に興味深いです(なお、作者さんは数理論理学を学んでおられたようなので、こと論理ということに関しては凡百のミステリー作家よりも遥かに説得力をお持ちです)。
http://keena.web.fc2.com/zokusaikoukou.html
http://d.hatena.ne.jp/Erlkonig/19861006/1250951194
↑参考にさせていただいたサイト・ブログ(ありがとうございます)。
(※2016/8/1 一部誤字を修正)