べにーのDoc Hack

読んだら博めたり(読博)何かに毒を吐いたり(毒吐)する独白

『プラハの墓地』ウンベルト・エーコ

 

プラハの墓地 (海外文学セレクション)

プラハの墓地 (海外文学セレクション)

 

 

追悼:ウンベルト・エーコ

実際のところ、『薔薇の名前』と『フーコーの振り子』しか読んでませんが……(『前日島』を読みたいんですけど、なかなか手が伸びない)。

薔薇の名前』は映画で観ても面白いです。

個人的には、『フーコーの振り子』のほうが、小説としては面白かったような記憶があります。

仮想現実が現実を侵食していくホラー、として読むと(ホラーではないですが)。

 

トリノに生まれたシモーネ・シモニーニの日記が主たる描写なのですが、これが非常に精緻に穿たれていて、特に美食関係の記述はなんかもう嫌になるくらいです(料理名を読むだけでもしんどい)。

そのシモニーニの日記に、ダッラ・ピッコラ神父の日記が混入しはじめます。

こうなると、これが多重人格もののサスペンスなのか、と疑いたくなりますが、私はそんなことはうっちゃっといて、読み進めればいいと思います(巻末には、混乱する日記と、日記内の出来事の表がつけられており、あとで整理することはできますが、なにしろ長いので、途中で大筋を忘れる可能性があります)。

シモニーニは、ユダヤ人嫌いの祖父に育てられ(フリーメーソンも嫌いで、イエズス会も信じていない)、法律の知識を得て、あるきっかけで文書偽造を飯の種としていきます。

その偽造の腕を買われた彼は、やがて激動たるヨーロッパの力学に巻き込まれるように、何者かを貶めるための偽造文書を手がけるようになっていきます。

 

ええと……はっきりいって、登場人物が多すぎて(しかも、ほぼ実在の人物で、当時の有名人ばっかり(でもないですが)だったりする)、話も1830年から1898年に及んでいるので、整理してあらすじを書くのが大変難しいです。

歴史の中にフィクションを紛れ込ませるためには、歴史のことをよく知っていなければならない(日本だと、山田風太郎氏のように)のですが、そこは世紀の碩学ウンベルト・エーコ、読み進めるに難渋するほど披瀝される知識知識知識……ファナティックというか、フェティッシュですらあります、

ともかくシモニーニ(本書の中において、ほぼ唯一のフィクションの人物)は、あるものを作り上げていきます。

 

いわゆる、<シオンの議定書>です。

 

トンデモ偽史の世界

トンデモ偽史の世界

 

 

↑適当な概略本がなかったので、こちらから。

 

1881年、ロシア皇帝となったアレクサンドル3世は狂信的なユダヤ陰謀論者であり、また、帝政の行き詰まりからくる社会不安をユダヤ人に押しつける意図もあって、帝国内のユダヤ人にありとあらゆる迫害を加えた。そのため多くのユダヤ人がロシア国外に流出し、最盛期には年間10万人に達したといわれる。この迫害は、国内に残ったユダヤ人の一部をかえって革命行動に押しやる結果となり、ロシア帝国の余命を縮めることになる。また、ロシアから大量の移民を迎え入れる側の国々の大衆にとっても、新米のユダヤ人は脅威であり、かくしてユダヤ陰謀論は世界各地で流行した。特にもともとユダヤ禍論の伝統のあるフランスやドイツではなおさら深刻な問題だった。

1894年には、フランスでユダヤ人への偏見に発する一つの事件があった。ユダヤ人の砲兵士官ドレフェス中尉が、ドイツへの国家機密漏洩容疑で逮捕されたのである。その次第は、参謀本部の一少佐により、ただちに国粋的反ユダヤ新聞へと投書され、世論はドレフェス弾劾に沸き立った。ドレフェスは軍法会議にかけられ、軍籍位階を剥奪された上、仏領ギアナ、悪魔島での終身禁固を宣告される。

しかし、実はこのスパイ事件の証拠は参謀本部により捏造されたものだった。普仏戦争直後、ドイツへの反感がさめやらぬフランスの国民感情がユダヤ人への偏見と結びつき、ドレフェスをスケープゴートにしたてあげたのである。文学者エミール・ゾラはドレフェスの無罪を主張し、急進派新聞に大統領宛の公開質問状を発表し、ドレフェスの弁護士ラボリも熱弁をふるった。セザンヌやモネら芸術家もゾラたちに助力した。しかし陸軍の威信を守ろうとする国家の壁は厚く、それ以上にフランス国民の愛国心と結びついた偏見はなかなか崩れるものではなかった。ドレフェスの無罪が宣言され、軍籍復帰が認められたのは、ようやく1906年のことである。

このドレフェス事件は結果として、非常に大きな副産物を生んだ。ドレフェス迫害を目の当たりにしたジャーナリストのテオドール・ヘルツェルはユダヤ人の国家を造る必要を覚え、1896年、『ユダヤ人国家』という著書を著した。この著書が元になり、イスラエルを再興しようとするシオニズム運動が起き、1897年、スイスのバーゼルで第1回シオニズム会議が開かれた。その決議の前文は次のようにある。

 

シオニズムの目的は、ユダヤ人が公法に守られて、パレスチナに郷土を建設することである。われわれは陰謀や、秘密干渉や、不正な手段にはまったく関係を持たない。

 

ここでは陰謀の排除をわざわざ決議前文で謳いあげており、ユダヤ人とシオニズム会議に投げかけられた偏見の深刻さを読み取ることができる。そして案の定、ユダヤ陰謀論者たちはこの前文をそのままには受け取らなかった。」(p114)

 

 

「さて、第一次ロシア革命が世界を震撼させた1905年、せるゲイ・ニールスなる人物が著書『卑小なものの中の偉大なもの』第3版の付録に、シオニズム会議の決議なるものを添付した(1910年の同書初版と1903年の第2版には、まだこの付録はない)。それは全24の議定からなり、ユダヤ人が陰謀と財力で各国の議会、軍隊、警察、マスコミなどを押さえ、世界帝国を樹立するという方針が示されていた。これがいわゆる『シオンの議定書』である。

当時、ロシアの上流階級ではオカルティズムが流行しており、ニールスは宮廷お抱えのオカルティストの一人であった。ニールスはどうやら自著に挿入する形で、『シオンの議定書』を肯定ニコライ2世に献上しようとしたらしい。

このニールスの著書はらさに1911年、12年、17年と版を重ねた。1917年版は『未来の反キリストと地上の悪魔の国は近い』というおどろおどろしい書名になっている。その版では『シオンの議定書』は他ならぬヘルツェル自身がバーゼルでの第1回シオニズム会議で演説したことにされている(実際には第1回シオニズム会議の議事はすべて公開されており、秘密の講演などが入りこむ余地はなかった)。

そして1920年、ニールスの著書から『シオンの議定書』だけがドイツ語訳され『シオンの賢者の秘密』として刊行され、発売1年後には12万部を売り切った。同じ1920年には英訳本も出て、『モーニング・ポスト』や『タイムズ』のような大新聞までがその検討を呼びかけている。

さらに同年、自動車王ヘンリー・フォードが著書『国際ユダヤ人』(徳間書店より邦訳あり、1993)を刊行、アメリカ国内だけで50万部を売った。フォードは同書で『シオンの議定書』を証拠にユダヤ秘密結社の暗躍を説いている。

ちなみに『タイムズ』は1921年8月、後述する『地獄対話』の発見を報じ、前年の『シオンの議定書』に関する記事を誤報と認めた。また、フォードも『国際ユダヤ人』刊行直後、『シオンの議定書」が偽書であると認め、それまで反ユダヤ・プロパガンダとして刊行していた『ディアボーン・インディペンデント』紙上で、ユダヤ陰謀論を流布してしまったことを謝罪している(この謝罪について邦訳『国際ユダヤ人」では触れられていない)。

日本でも1920年代には、『シオンの議定書』が主に軍人たちの間で話題になっている。そして、その日本軍人たちの銃口は、ユダヤ人に操られている(と彼らが思いこんだ)中国の人々に対して向けられた。

シオンの議定書』は1933年にもドイツで再刊された。これはナチスに大いに利用され、アウシュビッツの大虐殺にいたるユダヤ人迫害を正当化することになる。」(p116)

 

 

「1797年、フランスのイエズス会のオーギュスタン・バリュエル神父は『ジャコバン主義の歴史に関する覚書』という全5巻の大著を著した。その内容は、フランス革命の黒幕はババリアに発祥した秘密結社イルミナティババリア幻想教団)で、それがジャコバン派フリーメーソンリーを躍らせ、革命を起こさせたというものである。

バリュエル神父はそのアイディアをロンドンで知り合ったスコットランドの数学者ジョン・ロビンソンから得たという。1806年、神父はフィレンツェのシモニーニ船長を名乗る人物からの手紙を受け取る。そこにはイルミナティジャコバン派フリーメーソンリーの背後にさらに影の黒幕がいる。それがユダヤ人であり、シモニーニ自身、その秘密をトリノのさる裕福なユダヤ人の口から聞いたと記されていた。彼はその手紙の公表がユダヤ人迫害につながることを恐れ、生前の公表をはばかった。

1864年には、ベルギーのブリュッセルで『モンテスキューマキャヴェリの地獄対話』なるパン増えrっとが出される。その著者はモーリス・ジョリ・内容は、法の公正を説いたモンテスキューと、陰謀家の代名詞であるルネサンス期の思想家マキャヴェリの架空対話を通じて、ナポレオン3世の陰謀好きを皮肉ろうというものだった。

コーン(※ブログ筆者注:ノーマン・コーン。社会史学者)によると、『シオンの議定書』各節の実に5分の2が『地獄対話』からの剽窃であり、1章まるごと引き写した箇所さえあるという。『シオンの議定書』がマキャヴェリズム(権謀術数)に満ちているのも当然だった。種本で語り手がマキャヴェリその人に設定されているのだから。

1868年、ジョン・レトクリフ卿ことドイツの作家ヘルマン・ゲトシェが小説『ビアリッツ』を発表する。その中の「プラハのユダヤ人墓地にて」という章では、イスラエル12氏族の代表者と悪魔が集まり、世界征服の陰謀を練る次第が語られていた。

この章は1872年、ペテルスブルグで独立したパンフレットになる。その後、ロシアや東欧の各地で同様のパンフレットが相次いで刊行され、1881年にはフランスの雑誌『現代人』にその内容が掲載された。そこでは、もはや「プラハのユダヤ人墓地にて」は小説の一部ではなく、実在のラビ(一説ではラビ・アイヒボルン、ラビ・ライヒホルンという説もある)の講話ということになってしまった。以後、この『ラビ講話』はドイツ、フランス、オーストリア、東欧などで多くのユダヤ陰謀論者に転載され、本来はユダヤ陰謀論と関係がなかったはずの『地獄対話』が、この『ラビ講話』の骨子を借りることで、いつしか『シオンの議定書』に生まれ変わる。

その偽作には、当時の政治評論家イリヤ・ツィオンやロシア秘密警察の官吏ピョートル・イワノビッチ・ラチコフスキーが関与したらしいが、完成に至るまでのくわしい経緯は明らかではない。しかし、すでに種本まで判明している以上、偽作者の特定はできなくとも、『シオンの議定書』を偽作と断定する上での不都合はないはずである。

1903年にはモルダビアの反ユダヤ煽動家P・A・クルーシュヴァンが『ラビ講話』を収録したパンフレットを発行。同年、クルーシュヴァンは自ら編集する雑誌『軍旗』に『シオンの議定書』短縮版を掲載した。これが『シオンの議定書』の文献上の初出である。翌年には『軍旗』にも『ラビ講話』が掲載されている。

1905年、ロシア近衛兵部隊を発行元とするパンフレット『諸悪の根源』において、ついに『シオンの議定書』完全版が『ラビ講話』とともに収録された。このパンフレットの実際の編者は、クルージュヴァンとともに極右武装結社、ロシア人民連合こと「黒百人組」創設に関与した退役軍人G・V・ブトミと思われる。」(p120)

 

↑この辺りの知識を頭に入れておいてもらうと、『プラハの墓地』はさらに面白く読むことができます。

 

「その偽作には、当時の政治評論家イリヤ・ツィオンやロシア秘密警察の官吏ピョートル・イワノビッチ・ラチコフスキーが関与したらしいが、完成に至るまでのくわしい経緯は明らかではない。」

 

↑ここに、シモーネ・シモニーニの入り込む余地がある、というわけです(なお、『プラハの墓地』のシモーネ・シモニーニは、『トンデモ偽史の世界』で、バリュエル神父に手紙を送った船長シモニーニの孫、ということになっています)。

超傑作か、と言われると迷いますが、骨太の物語をお求めの場合には、チャレンジされるのも一興かと。

 

 

 

 

「魂とは行動にすぎないという話もあるが、誰かを憎んでいて、怒りをつのらせているのだとすれば、なんと言うのか、それは私に内面があることを意味する! 例の哲学者はなんと言っていただろうか? 「我憎む、ゆえに我あり(オディ・エルゴ・スム)」だ。」(p26)

 

 

「ただ、いつも笑ってしまうんだが」と父は締めくくった。「ジョベルティはそうしたアイデアのいくつかを、前の年に出版されたウージェーヌ・シューの小説『さまよえるユダヤ人』から盗んだのさ」(p80)

 

 

「よく考えればデュマは何ひとつ新しく考え出してはいなかった。バリュエル神父が明かしたと祖父が言っていたことに、物語の形を与えたにすぎない。こうして私は、陰謀の暴露話を売りつけるためには、まったく独自のものを渡すのではなく、すでに相手が知っていることを、そしてとりわけ別の経路でより簡単に知っていそうなことだけを渡すべきだと考えるようになった。人々はすでに知っていることだけを信じる、これこそが<陰謀の普遍的形式>の素晴らしい点なのだ。」(p99)

 

 

「いったい、その本は何について書かれているのですか」

「正直言うと私は読んでいない。何しろ五百頁以上あるーーこれは誤った判断だな。誹謗文書は三十分で読めるものでなければならない。」(p205)

 

 

「ですが、どうして特にユダヤ人を標的にするのですか?」

「ロシアにユダヤ人がいるからですよ。これがトルコならアルメニア人を狙うでしょう」(p402)