べにーのDoc Hack

読んだら博めたり(読博)何かに毒を吐いたり(毒吐)する独白

『中世芸能講義』松岡心平

 

 ときには中世のことも学ばねば、ということで購入。

章立てとしては「勧進による展開」「天皇制と芸能」「連歌的想像力」「禅の契機ーーバサラと侘び」、となっています。

それほど分厚い本ではありません(が学術文庫なのでいい値段です)。

 

勧進というと、私などは歌舞伎の「勧進帳」しか浮かばない浅学の身なのですが、中世においては民衆から善財を集めて仏像やお寺を建てたりしたそうです(寄付です)。

それが、近世には「乞食」の別称となっていったと(「お金を集める」というところからの発想でしょうか……賎民に含まれるようになったわけですね)。

東大寺」の建立に際しての行基の勧進、源平時代に焼け落ちた「東大寺」の再興のための重源の勧進、が解説され、そこから「勧進聖」がどのように展開(発展)していったかが論じられています。

戦国期に入り、荘園領主としての寺院が武家に対抗できなくなり、勧進による寄付が重んじられていく、また貨幣経済の進展(13世紀〜)にも触れられています。

そこから、「寄付」としての勧進が興行化していく過程、というのがなかなか面白いです(一遍の「踊り念仏」に見られる、在家の善徳積みとしての勧進と、芸能としての勧進の融合、が代表でしょうか)。

説教というのは、東西問わず、民衆に向けられるものが多いわけですが(それによって、生者の世界の秩序化をはかっている面があります)、経典を読めない(様々な理由から)民衆に対してどのように教義を伝えるのか。

一つは口承で、もっとも一般的なものです。

それから、芸能に仮託する、という方法で、字を読めない民衆に知らせるために、例えば絵画が用いられます(キリスト教は、基本的に偶像崇拝禁止ですが、効果的に教義を伝えるために、キリストの一生を絵に描いたりします)。

あるいは、劇、歌謡を交える、ということもあるでしょう。

宗教と芸能が接近する理由の一つです。

日本では、『地獄草紙』やら『天人五衰』(九相図)やらがその一端でしょうか。

劇と結びついたときに、能楽につながっていくそうです。

ああ、能のこともよく知りません……「夢幻能」についての話が出てくるのですが、概説書しか読んだことのない私にはさっぱり……ああ……。

 

「もちろん自分の極楽往生を願うということもありますが、それよりも亡くなったお父さん、お母さんの菩提を弔う気持ちが強い。お父さん、お母さんが地獄に堕ちないように、仏様に対して喜捨をする。喜捨などの善行を積むことが、亡くなったお父さん、お母さんの供養になる、という観念が非常に強かったので、みんな喜んで寄付をしたのです。」(p39)

 

昔何かで、「借金取りは金を取り立て、殺し屋は命を取り立て、坊主は魂を取り立てる」と書いたことがあります。

 

天皇制と芸能の関係では、中世以降、「穢れ」の思想が肥大化していくところからロン時られてイアmす。

神社から「死穢」を払おうとする『延喜式』の発想。

さらに拡大した、都を守るための「祓」(七瀬祓・河臨祭)と、検非違使の存在。

能の「蝉丸」に見られる障害への視線と、芸の祖先を天皇の血筋に求める思想。

猿楽の発展と、「後戸」の猿楽。

続くコラムには「摩多羅神」が登場します。

 

「……つまり、日本に何度か攻めてきた朝鮮半島の人々の子孫は、日本での今の世の「屠児」のようなものである、というわけです。

古代から、中国は独立国家と認めるけれども、朝鮮半島はそう認めないという姿勢が日本にはみられましたが、それが一層悪化し、朝鮮半島に対して、鎌倉時代の時点で、すでにこういう言葉が投げかけられている。(略)

要するに、日本の国より外には鬼がいて、人間ではない。人間でない存在がそこにいる、というのですから、外国と対等な外交関係に入るという感覚がないわけです。鬼と交渉するということはないわけでして、独善的な外交感覚というか、対外感覚というのがこの頃からすでにでています。」(p79)

 

まあ、唐以降、もう学ぶものはなくなったとはいえ大陸は文化の最先端ですし、大国であることには変わりないので、なんとかうまくやっていきましょう、と。

やられたらやり返すしかないですが。

西洋のことなんて、南蛮と呼んでいたくらいですからそりゃ「鬼」扱いですよ。

そもそも、「対等な外交関係」などという発想は、西洋人だって持ち合わせていないわけですから、ことさら日本をあげつらう必要はないと思います。

隣に半島があって、大陸がある、というだけの話ではないでしょうか。

 

連歌」の話には、ほぼついていけません。

文学論に近いので、その分析の確かさが私には判断できませんが、後世に分析するとそうもなり得るという感じでしょうか。

確立された連歌のシステムについても書かれていますが、やりとり(五七五と七七を交互に歌う)がなんと百も続く場合があったそうです。

 

『帰れ○10』か。

 

本歌取りに関してもそうですが、こう、極める人たちというのはとことんいってしまうので、常人にはついていけません(今でいえば、極度のマニアなんでしょうねぇ)。

それから連歌一揆の関係にも触れられています。

 

連歌のなかでいい句をつくるというのは、就職していい位に登るよりも面白いということを本気でいう人間が、庶民ともいいうるクラスから出てくるのが中世後期です。庶民が連歌の場に参加して創造する悦びを手に入れる社会状況が中世のなかに出てきた。」(p165)

 

同人誌で飯を食っていく、みたいな宣言でしょうか。

 

禅の話になると震えがきます(何も知らないので)。

とにかく優秀な坊さんがたくさんいたのだな、という感じ。

それにしても、当時の大陸は最先端だったのですねぇ……と思います(今はどうなんでしょう)。

一休さんも出てきます。

 

古代に関しても、文化についてほとんど無知なのですが、それが中世ともなればなおさらです。

巻末には一次資料、文中にたくさんの参考文献が挙げられていますので、そこからもうちょっと深く入ってみるのも一興です。

基本的には、浅く知りたいだけの人間ですので、俯瞰できるような本があればなぁ……この本以外で。

 

「乾坤孤笻(杖)をたつるに地なし

喜得す人空法もまた空なるを

珍重す大元三尺の剣

電光影裏春風を斬る」(p199)

 

私でも名前くらい知っている「無学祖元」というお坊さんが、元の兵士に殺されそうになったときに残した遺偈だそうです。

四行目が抜群ですね(元ネタがあるようです)。

内容はほぼ理解できていないし、記憶もできていませんが、もうちょっと勉強してみようという気になりました。

重畳重畳。