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読んだら博めたり(読博)何かに毒を吐いたり(毒吐)する独白

『渡来人とは何者だったか』武光徹

 

渡来人とは何者だったか

渡来人とは何者だったか

 

 

ざっくり古代史振り返り。

武光徹氏は、歴史関係の著作を多くものされています。

こういった切り口で概観できるのはありがたい、と思います。

 

序章:「渡来系豪族を「渡来人」と総称すれば、歴史を見誤る」

第一章:「渡来人以前の中国、朝鮮半島、日本」

第二章:「四世紀に、大和朝廷加耶の交流が始まった」

第三章:「東漢氏と結んだ蘇我氏はいかに勢力を拡大したか」

第四章:「聖徳太子天智天皇に仕え、東漢氏を超えようとした秦氏

第五章:「船氏、西文氏、鞍作氏…独自の動きをとる渡来系豪族」

終章:「早くから日本に同化した「渡来人」の栄枯盛衰」

 

章題はこんな感じです。

日本古来の住民、というのがどこからどこまでを指すのか。

人類発生から見ていくと、現時点での通説としては、アフリカで生まれた現生人類は、そこから各地に広がっていったわけなので、日本で突然発生した日本人はもちろんいなかった、ということになります。

一定期間定住していた人たちを「原日本人」とするとして、それもどこからどこまでなのか。

例えば、言語ではかれるのであれば一番わかりやすいですが、縄文時代の言語が残っているわけでもなく。

そもそも、「原日本人」を列島全域の存在とするとして、当の本人たちにそんな意識はないわけで(集落単位での帰属意識、がせいぜいでしょう)。

難しい話です。

 

歴史は政治の産物、というのはある意味では正しいです。

よって、歴史用語もまた、そのような側面があるでしょう。

序章で語られているように、「帰化人」とか「渡来人」という呼び方は、政治的意図がぷんぷんしています。

どの時期からどの時期までの、どのように定着しどのように溶け込んでいった人たちをそう呼ぶのか、という公式もあるようなないような(理系と違って、用語の曖昧さは致し方ないところです)。

それでも、一見便利な言葉ですので、もはや他の言葉を持ってくるのが難しいくらいです。

帰化人」には、戦前、大陸方面への覇権をもくろんだ日本が、その正当性のために作り出したというイメージが強い(帰化するくらいだから、よりよいところに住んだのだろう……つまり、渡ってくる前の土地・半島や大陸を下に見ている、ということができる、と)。

「渡来人」は、その反省から、今度は何やら針が振れ切って、「優れた文物を持ってきてくれた人たち」という意味合いが強い(よく、大陸や半島の人がいうところの、「日本の文化を教えてやったのだ」というやつです……上田正昭氏とか、司馬遼太郎氏あたりの、文系の一流の人たちが、戦前の行いを反省したらしいのですが……)。

どちらも観念的です。

実際には、それぞれには非常に現実的な目論見があったのだと思います。

これが個人であれば、例えば鑑真和上に来ていただいた、というのであれば、誰も鑑真和上を「帰化人」だの「渡来人」だの呼ばないわけで、文化的背景を同じくした一定量の人々がやってきたからこその「帰化人」「渡来人」なのです。

 

また、系譜の捏造も珍しくはないでしょうし。

それが捏造ではなくある種の「信仰」として残っている場合にはもうなんともなりません(「誰が何といおうと、メロヴィング朝はキリストの末裔なのだ」、という話が、当初は捏造でも、信仰レベルに達する可能性は十分にあるわけで)。

物部氏が、自身の祖先を天皇家の系譜に結びつけたように。

その逆に、大陸・朝鮮からやってきた人々を祖先に位置付けちゃった人もいたりしたのでしょう。

 

で、どっちにしろ、日本としては「帰化」したのだ、と歴史に記す他ないわけですね。

歴史というのは、その政権の正統性を対外的に示すためのものでもあるので、「超貧乏くさい我が国に、セレブ王族がわざわざ住んでくださった」なんて書くわけないんです。

なので、自国史については、相当割り引いて考えなければいけないものではあります。

一方で、他の国の歴史はどうかといえば、それはそれで、その国が一番で、あまりその国の歴史に関係なければ比較的客観的な記述も残っているでしょう。

そういった比較、あるいは考古学的な文物から、何となく捉えるしかないのかなぁ、と思います。

 

本書での提案は、「ひとまとめにするのは便利だけど、やっぱそれぞれ東漢氏とか呼ぼうよ」、ということです。

命からがらで逃れてきて帰化したのか、野望を抱いてやってきたのか、何か持ってきてくれたのか、人質だったのがそのまま居着いちゃったのか。

いろいろありますが、ざっくり言い表すなら「渡来系豪族」ではなかろうか、と(豪族になれなかった、渡ってきた人たちは、市井の中に埋もれて同化していったでしょうからねぇ)。

ま、そんな本です(違うかも)。

とにかく、武光氏の偏りはあるものの、こういったテーマを概観できる、比較的客観的に書かれている、というのはありがたい話です。

 

 

「戦前の、大陸への進出を正当化する政治的意図をもってつくられた「帰化人」という言葉は、戦後も用いられて来た。ところが一九六〇年代末ごろになると、一部の日本古代史の研究者から、

「『帰化人』は、古代の朝鮮半島の住民を差別するものではないか」

とする主張がなされた。

そのため、一九七〇年代に入ると「渡来人」の言葉を用いる研究者が増えてきた。さらに、何人かの作家や日本古代史の研究者が、古代日本の「渡来文化」の素晴らしさを宣伝する本を意欲的に発表した。これによって「高度な文化をもつ渡来人」という漠然とした心象(イメージ)がつくられていったのである。」(p20)

 

 

上田正昭氏とか司馬遼太郎氏とか金逹寿氏とかのことですかね。

だいたい、現代から「古代の朝鮮半島の住民を差別する」っていうのが、よく意味がわかりません。

そんな言ったもん勝ちみたいな話で、歴史用語を決められても困りますがな。

差別的だろうとなんだろうと、確たる定義のある言葉は用いるしかないでしょう、学問上は(定義がないから、まあ、こういう話になるのですが)。

で、「渡来文化」が素晴らしい、ってのは別にいいんですが、何でそれを現代の半島や大陸の人間が誇るのかがよくわかりません。

民族も文化も違うから(大陸の人は文革でなにしたか覚えてないんですかね……)。

日本は、もらったものの出自を偽ることはあまりありませんわな。

外から来たものは、基本的に「強力なもの」ですから(良きにつけ悪しきにつけ)。

でも、そこから魔改造することに長けている民族でもあるのです。

なので、手本は手本として有り難がる、でも手本は手本でしかないので、あとはこっちの文化に合わせて作り変える、と。

結果、出自がわからなくなる(あるいは、わからなくする)こともまああったでしょう。

それを「捏造」だの「歴史改変」だの何だのと言われたって、悔しかったら自分のところに残っているものを誇りなさい、というだけですわな。

盗みに来るなよ、ホントに(ため息)。