べにーのDoc Hack

読んだら博めたり(読博)何かに毒を吐いたり(毒吐)する独白

『虚実妖怪百物語』(序)(破)(急)京極夏彦

 

虚実妖怪百物語 序 (怪BOOKS)

虚実妖怪百物語 序 (怪BOOKS)

 

 

 

虚実妖怪百物語 破 (怪BOOKS)

虚実妖怪百物語 破 (怪BOOKS)

 

 

 

虚実妖怪百物語 急 (怪BOOKS)

虚実妖怪百物語 急 (怪BOOKS)

 

 

<追悼:水木しげる大先生>

 

日本エンタメ界においての一番の衝撃は、水木しげる大先生が妖怪になられたことでした。

いや、もともと妖怪だったのが、元に戻られただけなのか。

 

帯に、<京極史上最長!計1900枚の超大作>と書かれており、それではと購入して見たら、あれだったと……。

 

 

ウロボロスの偽書 (講談社ノベルス)

ウロボロスの偽書 (講談社ノベルス)

 

 

竹本っつぁんは好きなんですが、でもホラーが上手でそこは苦手なのですが、『ウロボロス〜』シリーズは読んでいないんですよね……。

匣の中の失楽』からして、メタだったわけで、『虚無への供物』から清涼院流水への橋渡しを成し遂げた大作で。

そのお方が書いた『ウロボロス〜』シリーズがまたメタメタで。

清涼院流水×大塚英志×箸井地図の『探偵儀式』もまたメタメタで。

このメタメタの跡を継ぐのは誰なのかなぁ、とぼんやり思ったり思わなかったりしていたら、やっぱ京極か、と。

 

冒頭から、「復活!! 加藤保憲ですから、なんかしびれます。

帝都物語』、読みたいんですけどねぇ……新刊じゃもう売ってないんですよ……古本か……。

映画版は、そりゃもう嶋田久作様にとにかく痺れるだけの映画ですからねぇ(あ、あと、ギーガーの護法童子か)。

「學天則」が動いているのも、西村晃さんがお父上を演じておられたのも、なんだかもう懐かしい……観たほうがいいですよ、あれは、本当に。

 

簡単に書きますと……いや書けるかい。

1900枚だぞ。

 

それでもあらすじはといえば、『怪』というブランドに関わる人物がいろいろ出てきてですね、妖怪が出現したり、妖怪が出現したり、妖怪が出現したり……學天則が出現したり、クトゥルーが出現したり、あれやらこれやらが出現したりする……まあ、『妖怪大戦争』ですわ(←どっちのバージョンでも、まあいいです)。

京極はうんちくを語りながらバカを罵倒し、平山夢明は下ネタを挟みながらバカを罵倒し、編集者は仕事でバカを罵倒し……全編通してバカが罵倒される、という小説でもあります。

罵倒小説。

罵倒観音(罰当たり)。

あ、荒俣センセはそうでもなかった。

 

基本的に『怪』への連載をまとめたものですので、テンポが小気味好く、さくさく進んでいき、内容はどんどん忘れていく、という……長いんだってば。

妖怪大戦争』ですから、全然しまらないわけです。

バトルものかと思わせておいて、罵倒ものだった、という(あれ、うまくない……)。

これを読むとですね、とりあえず平山夢明先生の人間性を激しく疑いたくなります。

フィクションですけどね。

フィクション。

 

鉄鼠の檻」の文庫を見たとき、「そろそろ京極さんは、立方体の文庫を作るんじゃなかろうか」と思うほど、その分厚さに愕然としました。

二階堂さんの『人狼城の恐怖』を並べたときも、何かノベルスとは違うものだなぁと思ったものです。

それに比べれば、分冊になっているので、それほど衝撃はないのですが。

まあ、やっぱ長いです。

まあね。

まあ、が多いんです、この本(というか、京極さんの手癖なのか、合いの手なのか)。

それが一番気になった、という。

 

内容については一つも書いていませんが、とにかくゆるく燃えます。

あ、妖怪ってこういうものなのか……という京極先生の思いがあふれんばかりです。

 

 

 

「平太郎は予め水木先生の一人称は水木サンなのだと聞かされていたのだが、本当だったことを知ってやや感動した。」((序)p33)

 

「「そら、世の中には心得違いの者も多いし、よくよく駄目だと思いますわ。でも、今は互いに罵り合うような状況と違いやせんですかな。敵は何処にもおらんのです。天災も、人災も、そら禍ではあるけれど敵じゃあない。私らは打ち拉がれたが、国が終わった訳でもないし、憎み合う謂われもないです。みんなで困ったらみんなで助け合えばいいことですよ。それが、もう、まるでイカンでしょう」

「イカンですか?」

「幾ら怖いからって疑心暗鬼になってばかりいても仕様がないですよ。疑えばいいというものではないです。でも、どうです。世相は益々殺伐としておる。誰も信用できん。だから締め付ける。取り締まる。罰を与える。それに反発する。反抗する。何処も彼処も、闘う者ばかりですわ。イカンものは正せばいい。でも正すために果たして闘いが必要なんですかな?」」((序)p335)

 

 

「まあ、一口に馬鹿と言っても色々ある訳で、馬鹿に括られるからといってみな同じという訳でではない。

賢くないという意味での馬鹿もあれば、調子が外れているという意味の馬鹿もある。好い馬鹿もあれば悪い馬鹿もあるのだ。学力の高い馬鹿もいれば、人望のある馬鹿もいる。学歴だとか職歴だとか、収入だとか地位だとか、賞罰だとか、正常異常だとか、趣味嗜好だとか、この世には人を仕分ける様々な基準や分類がある訳だけれど、思うに馬鹿というのは、他のどんな基準とも分類とも関係ない。

馬鹿は馬鹿である。

例えば釣り馬鹿とか役者馬鹿とか妖怪馬鹿というのは、ヲタクとかマニアなんかに近い意味で受け取られることが多いのだけれど、レオは違うと思う。まあ何処かこじらせちゃったおちうのなら、ヲタクだってマニアだってそうなのだろうが、そのこじらせっぷりが、どうにも、その、アレなのだ。

馬鹿は。」((序)p343)

 

 

「海坊主だの、海座頭だの、海和尚だのーー海+坊さんヘッド系のモノはもう、連日出た。船舶が一時航行不能になったり釣り人が吃驚こいたり、それなりに被害はあったのだけれど、ただ能く能く考えてみれば別に大した被害ではない。ないのだが、もう世間はヒステリックに忌み嫌っていたので、一回出るたびに数百人死傷者が出たくらいの騒ぎになった。

そうした風潮は、取り分け国内に限ったことではなかった。

国境が微妙な海域に出た場合は、それはもう猛烈な抗議が来た。ヨウカイなんぞに我が領土を穢させるなという訳である。

とーー言われても困るのだろうけど。そりゃ困るだろうと思う。レオはアホだが、賢い官僚だの小賢しい政治家だのも、これに関してはアホみたいなことを言うしかないのだ。そもそもアホみたいなものなのだ。だって、でっかい坊主が浮上してくるだけなのである。

そんなもの、外務省も外務大臣もアホみたいな回答しかできないはずである。」((破)p22)

 

 

「「妖怪だけじゃあないですけどね。今や、何から何までいけないでしょう。フザケるのもいけない。くだらないのもいけない。だらしないのもいけない。アニメも漫画もいかん。もちろんエロもグロもダメ。いけないものだらけで、その最底辺がーー妖怪です」

今や妖怪は諸悪の根源である。」((破)p197)

 

 

「「あ?」

京極がいっそう怖い顔になった。

「死んで英雄ってのはどうなんだ? 違うだろ。まったく、あの人も策に溺れる程の策士だった癖に、早まったことをしたものだよ。余程我慢できなかったのだろうなあ。ま、ヘリまでチャーターしてるんだから準備は入念にしたんだろうが、こんな自棄っぱちの作戦はあの人らしくない。それに、これでもし世の中が変わったとしたって、だ。彼のお蔭だと思う者は僅かだよ。命懸けたのに見返りは少ないだろう」

精々妖怪馬鹿の称号をひっそりと与えられるだけだと京極は言った。」((破)p437)

 

 

「一方、小松和彦所長を筆頭にした国際日本文化研究センターの皆さんなんかは、やっぱり無事なのだ。元々国の機関なんだし。そういうのは何だか知らんが気に入らないといって飛び出したのは、大塚英志ただ一人だったと聞く。大塚さんはでも、お化けの連中と合流することもなく、孤高にーーたぶんーーどっかで闘っているのだと思う。」((急)p119)

 

 

「「大体そういうものなんだ。動物を保護しようとするのは大変に結構なことだが、保護された動物が感謝してるかどうかは判らないんだよ永遠に。動物が保護してチョと頼んだ訳でもないからなあ」

チョとは言いませんねと黒木は言う。」((急)p222)

 

 

「「無駄無駄無駄、人生は無駄の積み重ねなんです。それでいいんです。効率良くしなければいけないのは、仕事だけです。仕事を効率良くこなして、余った時間で無駄を楽しむ、これが文化的人間の正しい姿じゃあないですか皆さん!」

荒俣は聴衆を指差す。

「我々に至っては、その仕事自体が無駄を作り出しているんですよ。どうですか。京極さんは小説書きでしょう」

通俗娯楽小説書きですと京極は答えた。

「小説なんて、無駄の権化ですヨ! そんなもの、なくたって誰も困らないですからね。漫画だって映画だって同じですヨ。どうですか。あなたは漫画家。あなたはアニメ作家。あなたは俳優ですよ。みんな無駄です。芸術なんてものは、何もかも無駄なんです。娯楽だって無駄でしょう。無駄は、つまり」

馬鹿なんですと荒俣は言った。

「人は、幾らかは馬鹿でなくちゃならないんですよ。ああ、馬鹿というのは頭が悪いという意味ではーーいや頭も悪いかもしれないんだけれど、それだけの意味ではなくて、要するに事務処理能力が低いとか応用力がないとか記憶力が悪いとか、機転が利かないとか、そういう意味ではないんです。無駄とどう付き合っているかという問題なんです。そして無駄を具現化したものが」

妖怪なんですと荒俣は断言した。

「不思議なことなんか、ほっとけばいいんです。別に困りはしないですヨ。素人に判らないことなんか山のようにあるんだし、判らないのが厭だと言うんなら、専門家に尋くか、それでも駄目なら勉強して、真面目に研究すべきでしょう。なのに、それはしないで、でも理由を知りたがるんですヨ、凡人は。それで、適当に納得できるような絵空事をでっち上げる」

それが妖怪ですと荒俣は言った。」((急)p238)

 

 

1900枚一気読みして、妖怪の出現から雪崩れるようにディストピア化していく日本の姿が、なぜか私にはお隣半島の南の国と重なりました。

ろうそく燃やしてデモしてる国。

ああ、あれなのかもな、ディストピア……平和な革命だとか述べてますけど、平和な革命なんか言語的に存在しないってのに(多分、レボリューションのことを指しているんですがね、それにしても存在しませんわな)……翻って我が国も、ああならないという保証はない、と。

いろいろなニュースを見ているとねぇ……ニュースになること自体がどうなのやら……とかまあいろいろ。

あと、一番印象に残ったのが、そんな状況になっても、大塚英志さんは孤高に闘っているんだなぁ……という、何となくの自分の納得感。

うん、なんか、ぴったりな気がします。