高田先生の<神の時空>シリーズも、そろそろ終盤戦のようです。
今回は東京、「五色不動」。
ミステリをかじっている人間であれば、「五色不動」と聞くと「ああ、あれね」と思い起こすのではないでしょうか。
……あれ、違いましたっけ。
どっちかでしたよね(近くに現物がないので確認できませんが)。
辻曲一家は、未だ次女の摩季の命を救うために奔走中。
最初の事件からどれだけ時間が流れたのか……多分数日……『滅日』か、おい。
たがみさんは大好きなのです(『お江戸忍法帖』、kindleに入らんかな……)。
それはともかく、京都、静岡、名古屋、広島と走り回って、ちょっと東京で一休み中の辻曲家。
そこに、福来陽一(ヌリカベ)が、連続放火殺人事件が起こっている、と告げます。
また、辻曲家の長兄・了が、かつて殺人事件に関わったのではないか、と疑っている刑事が訪れ、長女の彩音が適当にあしらって追い返すのですが、そこでの話から、敵(怨霊を目覚めさせて、日本をえらいことにしよう、という連中)が何を狙っているのかに気づきます。
どうやら、「江戸五色不動」の近くで、放火殺人を起こしているようだ、と。
そこからは、「不動明王」について、江戸でしばしば起こった大火について、吉原の遊女たちについて、それを題材にした浄瑠璃や歌舞伎について、の考察が続き、「五色不動」の真実、に行き当たります。
いやしかし、古代史ファンでしかない私には、「江戸五色不動」のことなんて、とんとわかりませんです……江戸の歴史もうろ覚えだし。
近年は、様々な資料から歴史の解釈が改変されてきています。
見えていたもの、見えていなかったもの、見たくなかったもの。
歴史は後付けの解釈であり、過去改変はタイムマシンによることもなく日々行われているのでした。
さて、このシリーズはどうやってオチをつけることになるのでしょうか。
楽しみ楽しみ。
「「ご存知かとも思いますが、浄閑寺は吉原の遊女たちの、いわゆる『投げ込み寺』です。大火で焼死したり、また引き取り手のいなかった何万もの遊女たちの遺体が、埋葬されています。もちろん遊女たちですから、権八・小紫のようにしばしば歌舞伎の題材になりましたし、実際に歌舞伎に登場する人の墓もあります。」」(p39)
「「目黒不動尊よりも、地名の方が先じゃないかという説もあるの」」(p73)
「「心中した男女の遺体は、葬式を行うことも許されず、もしもどちらかが生き残っていれば、その人間は殺人犯として扱われた。それほどまでに、幕府が硬く禁じておったからじゃ」
「殺人犯! それは酷い」
「そのため、心中が未遂に終わってしまった二人、あるいはその片割れは、遊女や客であろうが一般の商家の男女であろうが、その区別なく後ろ手に縛られて、罪状が墨書きされた立て札と共に、日本橋のたもとに三日間晒された。しかもこの三日間、無抵抗な彼らは、見物人に乱暴され放題だった。日が落ちて夜ともなれば、そこではとても言葉で言い表せないような惨事が繰り広げられたという」」(p201)
「は、はい、そうですね。どうして、江戸時代に待乳山聖天が『娘の拝む寺でなし』といわれたのか……」
「待乳山聖天の本尊は、歓喜天、男女が抱き合っている像じゃ。しかも、もちろんそれだけのことで娘が拝むなといわれたわけではない。ここの寺紋は二股大根を組み合わせた『違い大根』と『巾着』なのじゃ」
「二股大根と巾着……。それが?」
「鈍いのう」と火地は顔をしかめる。「もちろん一般的には、
『大根は、白く清浄で健康。巾着は、商売繁盛』
『違い大根は夫婦和合・子孫繁栄』
つまり、大根は人間の深い迷いの心、瞋の毒を表すといわれており、大根を供えることによって聖天がこの体の毒を洗い清めてくれる、巾着は財宝で、商売繁盛を表し、聖天の信仰の御利益の大きいことを示すのだと言う。しかし虚心坦懐にそれらを見れば、組み合わさった二股大根は『男女の性交』であり、巾着は『女陰』であることは明らかじゃ」
「えっ」
「しかも吉原の、一カ月に何時間か外に出ることを許されていた花魁は、その際必ずこの寺に参拝したというし、実際に彼女たちが奉納した石碑もある。となれば、この寺の山門をくぐってすぐ左手にある『歓喜地蔵尊』ーーいわゆる子育地蔵尊も、彼女たちと無関係とは思われんな。そもそも『待乳山』という名前が、悲しく哀れではないか」8p234)
「待乳山聖天」は、
○こちら===>>>
「待乳山聖天」(浅草名所七福神) - べにーのGinger Booker Club
↑こんなところでっす。