『星籠の海』が公開され、それほど話題になることもなく消えていったというのが非常に惜しい昨年……いや、面白かったと思うんです、地味だけど(派手な部分もありましたけど、映像化するには島田作品としてはパンチが薄いですよね……やっぱ『斜め屋敷』……)。
人気俳優を配しても、御手洗潔はなぁ……と思わせてしまった何かがあるのかもしれないです。
『星籠の海』の小説の方は、本格社会派の御大だけあって、現代的おとぎ話もSFも詰め込んだ、拡散気味の物語で、面白かったと思うんですけどね……『龍臥亭事件』ほどかと問われればそうではないかもしれないですが……スケール感はあんな感じですよね大抵……あ、『水晶のピラミッド』があるじゃないですか……いやレオナこそ誰が演じるのか……ともかく、小説で変わらず御大の巨大妄想と超絶物理トリックを炸裂させてくださるのは非常にすかっとします(テーマは、重いんですけどね……)。
で、『リベルタスの寓話』。
二本の中編が組み合わされて、一つの本を作り出しています。
「リベルタスの寓話」のほうは、ボスニア・ヘルツェゴヴィナで起こった凄惨な切り裂き殺人事件の謎を解くお話。
被害者の内臓は、心臓以外が取り除かれており、代わりに電球、飯ごうなどのガラクタと思われるものが詰め込まれていました。
どうやらこれは、「リベルタス」という人形を模したものではないか、と。
ドゥブロヴニクの総督官選挙の際、その公平性を保つために導入されたブリキの着ぐるみのような「リベルタス」(中には子供が入っており、選挙に使われる玉を移動させる。すり替えなどが起こらないようにするための着ぐるみで、偏見の希薄な子供が使われたのはドゥブロヴニクが中世から国際的な都市国家だったから)。
かつて、「リベルタス」として少年が蘇り、神の敵に打ち勝ったという寓話が残されていたのでした。
それを模したと思われる凄惨な死体を作り出した容疑者はわかっていたのですが、極めて科学的な証拠(現場の血痕が容疑者の血液型と一致しない)によって逮捕ができない。
動機もあり、技術的にも可能な容疑者以外に、誰かそれを成した人物がいるのか。
この「リベルタスの寓話」の間に、「クロアチア人の手」という中編が挟み込まれています。
こちらは、日本を訪れていた俳句好きのクロアチア人二人のうち、一人が密室で殺害され、一人が爆死する、というとんでも事件です。
爆死……なかなか見ない言葉です。
「リベルタスの寓話」にはスウェーデンのジャーナリストであるシュタインオルトが、「クロアチア人の手」には石岡君が登場し、もちろん御手洗潔も大活躍です。
「リベルタスの寓話」は、本格にすれている人が読めば、ある程度の目星がつくトリックが使われているのですが、まあ世の中には◯◯のために◯を◯◯す犯人がいるくらいですから、猟奇的とも言えないのかもしれないもので、島田流新本格の真髄、非常に現実的なある種の行為と、幻想的なものがあいまったときに生じる強烈な物語、がここに存在します……と言いたいところですが、今回はちょっと弱いかな……いえ嫌いじゃないですけど。
現場の状況から犯行を再現していく御手洗潔の手腕は相変わらずお見事ですが、欧州に渡って以降の御手洗がそうであるように今回も基本的に電話での登場、なので最後まで御手洗には見えていないものがある、というところで物語への余韻が生まれています。
そして、いち早くではないにしろ、新本格生みの親ですから、オンラインゲームも取り込み、さらには仮想通貨まで……この辺りがどのように絡んでくるのかはお読みいただけるとよろしいかと。
島田流新本格のいいところは、緻密に構成されているのに、どこか大味なこと……かもしれないです(私のイメージです)。
「クロアチア人の手」は、一見「リベルタスの寓話」とは関係ない感じですが、背景としている民族紛争や、とあるガジェットが……私、これを読んだときにあれを思い出しました……けどそれを描くとネタバレになるのでやめます……一発でバレます……オーッバーラップします。
日本の芭蕉記念館というところが舞台(モデルの建物があるのかな?)なんですが、部屋の構造的に「それ、今大丈夫?」って感じだったりします(自信満々なので、多分似たようなものが存在するのでしょう)。
プロットの妙、というのもありますかね。
何気に、こっちのが好きだったりします。
タイトルは「リベルタスの寓話」の圧勝。
やっぱり、島田荘司くらいは全部読み倒しておきたいなぁ……『ハリウッド・サーフェスティケッド』とか、何年捨て置いてあるのか……。
「「人間、成長などしてはいないのだ。原始時代と同じだ。あそこから、一歩たりとも進んではいない。人は動物なのだ。殺し、犯したいだけの獣だ。言語や神話や宗教や、愚にもつかないことで簡単に殺し合う。そして理由を後で考える」」(p170)
「「……そしてこの戦争は、ゲームじゃない。相手民族を抹殺しようとする、極限的民族愛の産物、つまりは正義の信念だ。時に応じて簡単に消えたり湧いたりするものじゃない。そうなら怨念もまた、永劫消滅などしない。」」(p424)