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読んだら博めたり(読博)何かに毒を吐いたり(毒吐)する独白

『古代日本の超技術 改訂新版』志村央夫

 

古代日本の超技術 改訂新版 (ブルーバックス)

古代日本の超技術 改訂新版 (ブルーバックス)

 

 

『古代世界の〜』をだいぶ前に読んでいたので、日本のほうも購入しました。

目次を見ますと、

 

1 五重塔の心柱

2 日本古来の木造加工技術

3 ”呼吸する”古代瓦

4 古代鉄と日本刀の秘密

5 奈良の大仏建立の謎

6 縄文時代の最新技術

 

となっております。

どれも、当たり前なのですが、歴史と直結、そして現代まで残っている可能性があるということで歴史的建造物・遺物と直結しているところがワクワク。

1章では、東京スカイツリーにも流用された”心柱”について書かれています。

免震、制震、というのは地震大国・日本において永遠の課題だと思われます。

個人的に、1996年、という非常に新しい時期に、青森県青森市青龍寺に、高さ39.1メートルの五重塔(もちろん木造)が完成していた、というお話に感動。

まだできるんだ……という気持ちと、もうできないのかもな……という気持ち。

 

「ところで、数百におよぶ木塔が破壊された歴史がある中で、「地震によって倒壊した例」がほとんど皆無であるのはじつにふしぎなことである。」(p18)

 

バベルの塔の崩壊は、高く築き過ぎたから、だそうです。

神罰なのか、あるいは何千年に一度クラスの地震が起こったのか。

日本では、関東大震災東日本大震災、でも仏閣の多重塔が倒れた、ということはなかったようで(細かい破損はもちろんあるでしょう)。

熊本大地震では、阿蘇神社の社殿が倒壊、熊本城もあの通り、ですので、皆無ということはないと思うのですが、こと「塔」にあってはあり得たのではないか、と。

「心柱」、すごいです。

 

2章は、木材加工。

 

「もちろん、”古墳時代”に古墳の内部構造を巨大な石材で組み立てたり、近世には壮大な城郭の石垣を築いていることなどからもわかるように、日本が”石の技術”をもっていなかったわけではない。しかし、それら”石の技術”は土木工事に用いられたのみであって、「日本の建築」に石が用いられることはなかった(”土木”と”建築”、およびそれらを峻別する思想については、前掲の川添登氏の著書の中で興味深い考察がなされている)。」(p48)

 

「石の西洋」「木の東洋」なんて言い方をするかどうかはわかりませんが、実際のところ、技術としての差異はあまりないのではないか、と思います(ニッチになっていくと、何事も極端なのでね……)。

石に通暁していないと、石垣は組めないですし、なんなら五重塔の礎石すらちゃんと加工できないでしょう。

一方で、石積み建築の足場は、高層になれば木材で組むことになるでしょう。

基本的な技術は、結局のところ力学なわけで、あとは地域性(歴史含む)により、建築を石で行うのか、木で行うのか、ということになったのかな、と。

なかなか面白いのは、須佐之男命の八岐大蛇退治と、ペルセウスのゴルゴン退治を比較しているところでしょうか。

そして、須佐之男命の役割も、改めてそんな風に記紀神話を読むと面白いなぁと。

式年遷宮についても触れられていますな……個人的に、伊勢の式年遷宮は、強烈な神威によって隔壁がボロボロになってしまうのを、定期的に作り直す(そのくらい、天照大神とされる神の祟りがすごい)、と思っていますがそれはどうでもいいです……。

 

「船は水に浮かべるものであるから、まず第一に問題になるのは比重である。どんな木でも水に浮く、と思いがちだが、じつはそうではない。」(p57)

 

そう、鉄が水に浮くんですよ……あれは比重の問題ではないですが、沈む木もあるわけですね、ちょっと忘れがち。

いや、今読み返していたら、木材孝佳先生にも読んでほしい……ちょっと方向性が違う……。

とにかく、須佐之男命が定めた(とされている)木材の使用方法について、細かく検討されているのが面白いです(古代の蓄積された経験を甘く見るな、といいますか)。

 

「もう一つ忘れてならないのは、古代の大工道具のことである。

大木から大きな板材や角材を得るには大型の縦挽き鋸(大鋸/おが)が必要だが、法隆寺薬師寺が建立された飛鳥時代奈良時代の日本には、この大鋸は存在しなかった。」(p65)

 

これは、「宮は檜」、神社仏閣が檜材で多く作られているのはなぜか、という話の中で出てきます。

そう、道具……その時代にあり得る道具を考察することも重要なんですよねぇ……。

 

「それは、道具というものが、大切に保管され、あるいは鑑賞される美術・工芸品とは異なり、”使われるもの”であり、使われた結果、必然的に亡びていく運命にあるものだからである。また、社会には、道具は誰もが使うありふれたものという観念も古くからあり、美術・工芸品のように、「保存するもの」「後世に遺すもの」とは見なされておらず、また、そのような場も機会も存在しなかったのである。

村松貞次郎氏(※『大工道具の歴史』という本の著者)は前掲書の中で「日本刀ブームの中で、つまらぬ刀にまで何十万円とかいう根がつくのを見ると、大工道具が、その鍛治があわれであり、いとしくてならない」「国宝・重要文化財などと、建築は華々しく脚光を浴びているが、その蔭にあった工人と道具が日の目をみないのは、どうしたことだろうか」と述べているが、私もまったく同じ思いである。」(p78)

 

耳が痛い……刀剣ブームも落ち着いたら、道具ブームがきてもいいんじゃないのか……ノコギリの擬人化、包丁の擬人化、カンナの擬人化、パターンが多くてガチャがはかどるんじゃないでしょうか……。

 

「つまり、打ち割り法は、本来の木の性質を考えるならば、理想的な製材法なのである。結局、室町時代以前の日本では、縦挽き鋸が不要であった、といわざるを得ない。

だが、その日本においても、さすがに室町時代になると檜や杉の良材が不足してきたようである。木目が真っすぐに通った檜や杉の代わりに、木目の乱れた欅や松を使わざるを得なくなった。そして同時に、製材用の縦挽き鋸が必要になった次第である。」(p83)

 

歴史時代以前から、この国で蓄えられてきた檜や杉の良材を、歴史時代の1000年くらいで使い果たした、というのがなんとも人間の業……それを乗り越えるべく技術が生み出されるというのも、人間の業、ですな。

ここから、筆者の専門である半導体の話も混じってくるのですが、これもなかなかスリリング。

3章は、お目にかかっても、それを採用することも少なくなってきているでしょう、瓦が主役です。

瓦……物理的防御でありながら、なんと湿度調整も行なっていたといいます。

 

「一言でいえば、現代の技術が、現代社会が要求する「生産性」「経済性」「効率」にひたすら応えようとするからである。同時に、瓦に限らず、どんなものも(市町村ですら「合併」によって)、全国的に「規格化」され、各地固有の「方言」「個性」が、この日本から急速に消えていく。

取り返しがつかないことに、日本古来の智慧や技術を伝える職人が、明治以降、とりわけ「戦後」、急激な勢いで消えていっている。職人が消えつつあり、彼ら職人の仕事に敬意が払われなくなったのは、近代工業によって推進された、”質より量”、”経済効率最優先”の価値観と不可分であろう。」(p119)

 

うーん、まあその部分も大きいとは思うのですが……失われたもの、手にしたもの、それぞれあるわけです。

多分、全部持っていけないんです、人生も、人類も。

あと、ある程度みんなが金持つようになった、というのも大きいと思いますよ……ということは、「質の高いもの」をみんなが求めるようになり、「質の高いものを早く、たくさん作る」ようになり(市場の要求)、結果「それほど質は高くないものがたくさん溢れる」ことになり、職人の技の価値が相対的に低下していった、ということもあるんじゃないでしょうかね。

たぶん、江戸時代くらいからそうなんだろうなぁ……江戸の頃は、こと建築においては循環が早かったので(燃えますから)、職人の数自体が多かったんでしょうけれども、今では……技術が失われるのは惜しいですし、悲しいことでもありますが、現代の技術を全て捨てることはできません。

地域性に関しては、平準化が行き渡ると回帰することになると思うので、さほど心配はしていません(一旦失われた、地域に関する知識が、これからまた蓄積されていくのです……我々は、戦後という喪失の時代に生きているわけで、これからの創造の時代には立ち会えないだろうというのが残念です)。

 

焼成温度が高いために瓦が高密度になりすぎ、吸湿性が下がって、”呼吸しない瓦”になったことを嘆いているのである。じつは、文化財木造建築保存の観点からいうと、この”瓦の結露”は致命的な問題を生じるのである。」(p120)

 

 結露結露……もうね、コンクリ打ちっ放しなんてね……いや、それだけの理由で結露はしませんが……。

4章は、鉄のお話。

 

「西岡棟梁は、「釘は使うてますけど、今の建築のように釘の力で木をおさえているわけじゃありません。釘は木を組んでいく途中で仮の支えですな。建て物が組み上げられ、組み合わさってしまったら、各部材が有機的に結合され、機能的に構造を支え合っていますから、釘はそんなに重要なものではありません」と述べている。」(p134)

 

法隆寺には釘が使われていない、というお話から。

静止している建物は、構造で支えられるんですね、昔から。

西洋の石組みのアーチも、基本的には重力で支えているだけですからねぇ……。

動体はそうはいきません(ロボットとか……ロボット?)。

たたら製鉄、玉鋼の重要性が書かれています。

要するに、手間暇かかるんです、ちゃんとしたものを作ろうと思うと(メトロテカクロムのスパイドさえ、WMがハンマーで鍛えなければならなかったのですから……?)。

しかし、現代の効率性がそれを許さない。

時代の速度が変化した以上、何かを捨てなければついていけなかったのです。

 

溶鉱炉法で使われる石灰石は鉄鉱石の融点を下げ、さらに不純物を取り込む重要な役割を果たす融剤(フラックス)であるが、たたらの場合の主たる融剤は炉壁の粘土である。私は、さらに、砂鉄中の”異物”が融剤の一旦を担っていると思う。

砂鉄が純粋なぶんだけ融点が高くなり、そのぶん多くの不純物を取り込むことになる(不純物の濃度、取り込み速度は温度に比例する)からである。つまり、磁選精鉱法(※磁石を使って、鉄のみを効率よく集める方法)で採取した砂鉄を使っているかぎり、昔の、伝統的なたたら鉄に匹敵する鉄は得られないのではないか。」(p152)

 

技術の進展により、精錬前段階で純度の高い鉄を得られるようになる、そうすると高い温度で溶かさなくてはいけなくなる、そうすると不純物を取り込もうとする……というパラドキシカルなことが起こるそうなのです。

ここから、化学的なお話も入ってくるので、苦手な方(私とか)はちょっと注意が必要ですが、まあ面白い。

落語まで飛び出すのですが……「あおによし」の「あお」、これは「鉄」のことを表すのではないかと言われていますが、青黒く錆びた鉄は、磨けばまだまだ使えるそうで、一方の赤錆はもう酸化鉄の状態になっている(自然界的に安定している)ので磨いても使えない……うむ、面白い。

あとは、奈良の大仏と、縄文時代の技術について……ああもう、読んでください。

こういう本が好きです、異なるジャンルと思われているもの、例えば古代と最先端をつなぐようなものが検証され、実証され、もちろんときには期待した答えは出ないでしょうけれども、がんばっとるなぁ人間という感じで……。

読み直したら、めっちゃ面白かった……きっと売れたんだろう(予想)。