- 作者: 京極夏彦
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2009/12/25
- メディア: 文庫
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をっと、2009年でしたか……。
『姑獲鳥の夏』以来、京極夏彦先生にはまっていた私(『姑獲鳥の夏』を読む直前に、なぜか小松和彦先生の『憑霊信仰論』を読んでいた、という偶然もありまして)。
それ以降、結構読んだ気がします……あ、『邪魅の雫』がとってあるな……。
「巷説」シリーズも、『巷説百物語』『続巷説百物語』『後巷説百物語』と読んでいます。
『嗤う伊右衛門』も読みましたが……なんといいますか、極上の人間描写とエンターテインメントでした。
『どすこい(仮)』も読みました。
京極先生は、ボケとツッコミだけでなく、文章で笑ってしまうので、そこがすごいといつも思います。
全然、笑えるような筆致ではないんですけれど(まぁ、基本的に榎木津が出てくるところなんですが)。
確か私、『狂骨ー』か『鉄鼠ー』を読んでいて、電車の中で爆笑しそうになりました。
面白い小説って、あるんですねぇ……。
で、『前巷説百物語』ですが。
「巷説」シリーズは、時代劇の「必殺」シリーズに近いものがあります。
あちらを立てればこちらが立たない、浮世の因果を「妖怪」に仮託して解決してしまおう、という、人の(あまり)死なない「必殺」シリーズ、というべきでしょうか。
「御行の又市」を主人公として「仕掛け」が設定されますが、『巷説ー』『続巷説ー』はどちらかといえば考物(かんがえもの)の先生(山岡百介)が読者と同じ視点を与えられているのかな。
本作『前巷説ー』は、シリーズ第1作『巷説ー』の前日譚で、「御行の又市」が関西から江戸に舞い戻って、損料屋「ゑん魔屋」と組んで「仕掛け」をしていく物語です。
損料屋というのは物を貸す商売のことで、返してもらったときに品物の損害分を代金としてもらいうけるのだそうです。
レンタル料ではなく(貸す時はタダです)、実際に使った分だけを代金として回収する、というのはなかなか面白い話です(富山の薬売りみたいなものでしょうか)。
そして、「仕掛け」をするからには、モノではない「何か」も貸すわけです。
自分の「損」を金銭価値に置き換えて「ゑん魔屋」に払えば、「ゑん魔屋」はその分の「損」をする、ということです(本来の損料屋とは逆ですね)。
うん、面白い。
「巷説」シリーズの基本構造は持っていますが、『巷説ー』『続巷説ー』での又市の見事な「仕掛け」(?)ではなく、その場しのぎ急ごしらえの「仕掛け」でピンチをくぐり抜けていく、言って見れば又市の成長譚、です。
ですので、なんとなくですが、読んでいるこちらがやきもきする場面があるんですね。
また、主人公(というか読者の視点)が又市にあるのも、シリーズを読みなれた人間には少し不思議な感じがします。
一話目は「寝肥」。
「寝肥」は、座敷ほどの大きさにまで太ってしまう寝る女の妖怪のことです。
関西から戻った又市が最初に「仕掛け」をほどこした事件。
ある大店の主人が、何人も女を女郎部屋に売り捨てている、その女郎の一人が首を吊って死のうとします。
その大店の主人は、はるばる陸奥まで商売に出かけるのですが、一方で女を買いに行っているのではないかという噂があります。
毎年のように女を連れて帰り、自分の店で働かせるのですが、それが女郎に身をやつし、行くすえは岡場所、宿場女郎に飯盛り女、という。
しかし主人はめっぽう女にもてるらしく、女たちはどうやら非難しないらしい。
そんな主人を殺したと、女郎が首を吊ろうとしたのでした。
二話目は「周防大蟇」。
周防国の山奥に住んで、蛇をとって食べる化け蝦蟇です。
周防の小藩からやってきた若い侍の損を引き受ける話です。
その小藩で、彼の兄が殺されました。
殺した侍は脱藩し江戸に逃亡。
若い侍は、仇討ちの赦免状を手に江戸にやってきたが、彼は兄を殺した相手が無実だと知っている、という。
しかし、上意は絶対、討てと言われた仇が無実でも討たなければ藩に戻ることはかなわない。
そして、仇討ちの相手はすでに江戸で捕縛されていたのです。
刻限が迫る中で、「ゑん魔屋」はどんな「仕掛け」をするのか。
三話目は「二口女」。
頭の後ろにも口がある、という有名な妖怪ですね。
ある旗本の後添えが依頼人です。
その家には、先妻との間に男児が一人ありました。
旗本も姑も先妻を大変大事にしていましたが、なくなってしまいます。
そして迎えた後添えが、不出来であればよかったのですが、これが大した孝行もので、やがて後妻との間に次男が生まれます。
順風満帆……とはいかず、先妻の子が亡くなります。
それも、折檻の上で餓死した、といいます。
さらには、それをなしたのが、依頼人である後妻だというのです。
しかし、後妻には身に覚えがない。
四話目は「かみなり」。
下野国には雷獣という、夕立の頃に勢い良く天に駆け上る雷の化身がいるそうです。
ある藩の江戸留守居役は稀代の好色漢で、何かにつけては領民の子女に手を出していたそう。
そこで「ゑん魔屋」は、領民の損を引き受けて、この留守居役にたっぷり恥をかかせて蟄居に追い込んだのですが、彼は切腹します。
そのことが又市に、ぬぐいきれない悔恨のようなものを残しました(彼は、口先八寸でくぐり抜けて、人死を出さないようにしたい、と考えているのです)。
そして、懸念が当たったのか、「ゑん魔屋」が的にかけられます。
玄人の殺し屋を、何者かが雇って、彼らを殺そうとしているのです。
仲間を人質にとられた又市は、五日の猶予をもらって、殺し屋への依頼を取り下げさせようと奔走します。
五話目は「山地乳」。
人の寝息を吸って死に至らしめる妖怪です。
道玄坂の縁切り堂の絵馬に、死んでほしいものの名を書くと、確実に死に至らしめるという。
そして、その絵馬は黒く塗りつぶされてしまう。
呪いの黒絵馬の謎を追ううちに……っと、あらすじはこの辺りにしておかないといけませんね。
六話目は「旧鼠」。
最終話です。
本作にも、又市の他に魅力的なキャラクターが登場します。
関西から一緒に流れてきた林蔵、様々なからくりを作るのが得意な長耳の仲蔵、凄腕だが刀を持ち歩かない浪人・鳥見の旦那、儒学者崩れの久瀬……。
その中でも、町方の同心・志方兵吾とその相棒の岡っ引き・愛宕の万三コンビが人気なのではないでしょうか。
特に志方兵吾は、裏の事情を見抜けない、ミステリでいうところの「真面目で間抜けな警察官」役を振られていますが、彼が表の存在としてきちんとキャラクターを立てているからこそ、裏で動く又市たちの影がより一層濃くなる、という物語の常道がしっかりと魅せられているのだと思います。
物語としては非常にオーソドックスであり、しかしそこには時代劇であまり見ることのできない悲哀が描かれています(私は時代小説を読まないので、そういったものがあったなら申し訳ありません)。
結局、物語というのは、一種の「現実への抵抗」なのですから、社会的弱者や市井の人々、あるいは侍までも含めた「現実」の悲しさ、切なさを描くことで光り輝くものなのかもしれません。
そういえば、今ではネットで「画伯」として有名になった田辺誠一さんを主役にした『怪』というドラマがあります。
こちらは、『巷説ー』を元にしながらも、そこに明らかに「必殺」シリーズのテイストを埋め込んだ、「恨み、晴らします」な感じになっていますが、面白いので是非見ていただきたいと思います。
うーん、きちんと『巷説ー』を時代劇で、それも地上波でやれば受ける気がするんだけどなぁ……(情報量が多いか)。
これで「巷説」シリーズもあとは、『西巷説百物語』を残すのみ……ああ寂しい。
「人の真実は、その人の中にしかないのです。外の巷は夢。この世は全て、幻のようなものです。」(p108)
江戸川乱歩から始まった日本ミステリは、こんなところまでやってきました。
そして、「御行の又市」と「京極堂」こと中禅寺秋彦は表裏一体なのです。