J・D・カー(カーター・ディクスン)といえば、二階堂黎人氏がベタ惚れな本格黄金期の作家で、『三つの棺』における<密室講義>がかなり有名ですが、抜群なのは『火刑法廷』じゃないかなぁ……とぼんやり思っています。
あんまり読んでいるわけでもないのですが……あ、あれがありましたね、『妖魔の森の家』。
あれはすごかった、初めて読んだときは戦慄が走りましたよマジで(それをやるのか、おいおい……と、多少は本格を読んでいた私でしたが驚かされました)。
『白い僧院の殺人』(今は「准僧院」になっていたりするんでしょうか)は、二回は読んだのに、内容をほとんど覚えていませんな……カーの初体験がこちらだったので、あんまりいい印象がなかったのを、『妖魔の森の家』で取り返した感じです(クイーンも最初に『ローマ帽子』を読んで、「??」だったところに、『Yの悲劇』を読んで取り返したので、昔の私は1作目に読む本をよく間違えていたようです)。
ただ『ユダの窓』はねぇ……大昔、ミステリの有名トリックだけを集めて紹介する(それも答えまで!)、というクソうんこみたいな本があり、ついついそれを読んでしまってトリックを知っているのですよねぇ……ああいう本は読んではいけません。
さて本書は、ヘンリー・メルヴィル卿という太鼓腹のイギリス紳士(貴族)が探偵役を務めるシリーズの一作のようなのですが(?)、語り手はルーク・クロックスリーという医師です。
この医師の手記という形で、小説は進行していきます。
この時点で、「ああ、あれっぽいのか」とか「むしろ、あれだろう」とか、いろいろ想像できてしまうのですが、基本的にはそういったことは気にせず読んでいけると思います。
クロックスリーは、息子のトムとともに医院を営んでいます。
友人のアレック・ウェインライトは、多少風変わりで酒を過ごすところはあるものの基本的にはいい人間で、若い妻(若すぎる妻)のリタにぞっこんです。
そんなリタが、車のセールスマンであるサリヴァンに惚れてしまった、とクロックスリーに告白してきます。
ある晩、クロックスリーは、アレックからカードゲームに誘われ出かけていきますと、なぜか電話線が切られていました。
ゲームの最中、リタはサリヴァンと姿を消します。
アレックは、実はリタの不実にはすでに気づいていて(それが初めてではないことも)、それでも年若い妻のそういった行為に対して寛大な姿勢を見せることにしている、とクロックスリーに告げます。
リタとサリヴァンは戻ってきませんでした。
<清閑荘>の裏にある、<恋人たちの身投げ岬>に続く小道には足跡が残されており、どうやらそこから本当に身投げをしたらしいのです。
二日後、二人の遺体が岸辺に打ち上げられました。
ただし、二人とも死因は、銃殺でした。
こんな感じの不可解状況が提示され、途中で登場するヘンリー・メルヴェル卿が様々な情報を集めて推理を披露する……かと思いきや、何しろクロックスリーの手記ですから、彼も彼で真相に迫ろうとするのです。
そのほかにもいろいろとネタが仕込まれていまして、全部書くわけにもいきませんのであとは読んでいただくとして、とりあえずH・Mが抜群に面白いです。
足を怪我した状態で出てくるのですが、なんと電動(?)車椅子に乗っているのです。
それが暴走し、酒場に突っ込んだり、あやうく崖から転落しそうになったり……黄金期の本格マイスターの中で、特にカーが秀でているのはこのユーモア(なのかな?)、コメディセンスなんだと思います。
かなりふとっちょなH・Mが、身動きしづらい車椅子に乗せられただけならまだしも、それが電動で、しかも暴走するという絵がまず面白いです(H・Mのキャラを知っていればさらに、でしょう)。
これ、映像にならないかなぁ……シュールなコメディ、なのにガチの本格、というなかなかお目にかかれない状況が現出するんだけどなぁ……2時間ドラマにしちゃってもいいような気がします(をい)。
本作の魅力については、巻末の解説で山口雅也氏がたっぷりと語っておられますので、そちらをご参考ください(前大戦の影響、とかは、私には考察しきれませんもので……単なる横好きでしかありません、私)。
かなり丁寧に作られたミステリで、それゆえに好き嫌いが分かれると思います。
しかし、ここまで作り込めるのであれば、やってしまいたくなるのが人情というものでしょう。
「いいですか、テストパイロットのご老体」フェラーズが意見する。「これは車椅子なんです」
「わかっとる、わかっとるって!」
「歩けない人の乗り物です。新型のスピットファイアみたいに扱っちゃ駄目なんですよ」(p65)
「(……)あいにくわしぐらいの年齢になると、血も水っぽくなるし感情がうまく制御できないんだ。今日、連中にさんざん言われて、わしは腹が立って腹が立って涙まで込み上げてきた。(……)」(p227)
「ーー惜しむらくはーー」彼は両手で大きな禿げ頭を掻きむしると、眼鏡の上から私を見た。「ほんとのことが一つもないんじゃ」