べにーのDoc Hack

読んだら博めたり(読博)何かに毒を吐いたり(毒吐)する独白

『神経とシナプスの科学』杉晴夫

 

神経とシナプスの科学 現代脳研究の源流 (ブルーバックス)
 

 

昨今、ノーベル賞を受賞されたみなさんが、口をそろえるようにおっしゃるのが「基礎科学、基礎的研究がおろそかになっているのではないか」ということでした。

その意味すらわからない理系脱落者の私には、なんともかんともなのですが、現在ノーベル賞の対象となるのは、最新の研究ではないようですので、これから20年ほど過ぎて、日本人の受賞がどうなっているのか、というところでしか測られないのかもしれません。

先手打っておけ、ということなんですが……歩み遅く、反応鈍いのは日本の伝統芸みたいなものでしょうかね。

それはともかく、いやいい本でした。

途中難しい部分もありましたが……脳に関する本をいくつか読んで、そもそも基本的なことがわかっていないな、と思い購入してみて正解です。

電磁気、生体電気の発見から始まって、イカなどの神経を研究することによるイオンチャンネルの発見、シナプスの情報伝達……もうわけわかりませんわ。

だから理系脱落者なんですけどね……。

で、知りたかったのは、「流れないのに流れる」電流、「容量性電流」のことなんです。

この基礎的なことがさっぱりわかっていなかったので。

コンデンサのことを理解されているかたには、「高校で何をやってきたのか?」と思われるかもしれませんが……ええ、はい、さっぱりでした。

本書を読んで、その一端がようやく見えました。

神経というのは長いわけですが、もしそこを電流が流れているとしたら、どう考えてもその途中で減衰して末端まで行き渡らない、と思っていました。

とすると、人間(生物)の体の中を流れている電流というのはなんなのか……。

 

 

 

 

 

 

 

あ、説明できませんけどね、まだ(なんとなく理解はしている)。

お粗末な脳みそで、何度か読み返して、少しでも理解したいと思っています……。

 

本書では、コラムとして「生理学の巨人たちの思い出」が書かれています。

これがまた、研究者の素顔を覗き見るようで面白いです。

なかなか、芳醇な知に満ちた本でした。

 

 

 

 

 

感想が短いですか?

ええ、よくわかっていないもので……。

 

 

「自然科学の歴史から明らかなように、自然現象に関する知識を整理し、これを応用して種々の機器を開発するには、対象とする現象間の定量的な関係を厳密に記述する数学が不可欠である。科学史に名をとどめる偉大な研究者はこのことをよく知っていた。例えばガリレオは「自然の法則は数学の言葉で書かれている」と言い、ケプラーは「数式の力を借りずに考えるのは暗夜に灯火なしにさまようようなものだ」と言っている。」(p21)

 

電解質溶液中の物体の周囲は電気をよく伝える電解質溶液で囲まれており、しかも荷電したイオンが絶えず運動しているので、空気中の物体のようにプラスまたはマイナスに帯電することはない。したがって、電解質溶液あるいはその中にある物体では、どの部分をとってきても、その中に含まれるプラスとマイナスの荷電は等しく電気的に釣り合っている(略)。これを電気的中性条件という。」(p26)

 

「電位勾配という言葉の意味を読者に理解していただくため、第二次大戦後しばらくわれわれが食料不足に苦しんでいた時期、日本全国で広く自作され使われていた「電気パン焼き器」について説明しよう。

これは木製の弁当箱の内側に焼け跡から拾ってきたブリキ板を切って貼り付け、家庭の交流電源(100V)につないだものであった。この電気パン焼き器に水に溶いた雑穀やサツマイモの粉末を入れておくと電流が流れて熱が発生し、パンのようなものが焼けたのである。

この場合、弁当箱内のブリキ板の間の距離を10㎝とすると、大まかに言って電位勾配は100V÷10㎝=10V/㎝である。つまり1㎝あたり10Vの電位勾配が水溶液にかかるとパンを焼く電流の熱エネルギーが得られるのである。

もし弁当箱の代わりにもっと大きな箱を使って、ブリキ板の間の距離を20㎝に増やすと、電位勾配は100V÷20㎝=5V/㎝となりパンを焼くのに必要な熱は生じない。逆にブリキ板の距離を1㎝に縮めれば電位勾配は100V/㎝となり水溶液中の雑穀粉はたちまち黒焦げになってしまう。」(p177)

 

 

「ある物体に電圧を加えたとき、電流を一方向にしか流さない性質を整流作用といい、エレクトロニクス回路には整流作用を持つ素子が多く使われている。」(p200)

 

「電気説で考えられたような電気的に活動電位を伝える電気シナプスが、ザリガニなどの甲殻類の巨大神経繊維に存在し、動物の速い逃避運動の際にはらたくことが後に見出された。しかし脊椎動物ではわずかな例外を除き電気シナプスは発見されていない。大自然は進化の過程で電気シナプスを一部の無脊椎動物で試みた後、これを放棄したとも考えられる。」(p208)

 

「わが国では以前から、無脊椎動物の中枢神経系を研究する生物学者の少数のグループがあり、彼らは研究費申請のために微小脳というカテゴリーをつくっている。無脊椎動物の脳が高騰脊椎動物の脳に比べれば「微小」なかけらに過ぎないとしてへりくだっているように思える。しかしこのカテゴリーの研究に交付される研究費は文字どおり微々たるものに過ぎない。

以前、この微小脳研究グループへの研究費がさらに大幅に減額される事態が起こった。ある作家兼テレビタレントが「わが国では昆虫や甲殻類などの無価値な研究に貴重な国費を使っている者がいる」と発言したのである。当時の文部省の官僚はこの言葉に敏感に反応し、気の毒にも彼らの研究費はタレントの言うとおり大減額を受けたのであった。

この話には続きがある。この出来事があって暫くして、すでに説明したように、米国のカンデルらがアメフラシの脳の研究でノーベル賞を受賞したのである。これを報ずる大新聞の記事に、我が国の指導的脳研究者のコメントは全く掲載されなかった。彼らのしらけきった心理が想像される。」(p303)

 

研究には金が必要なのです……だから軍事的応用が可能な研究というのは潤っている、という部分があります(日本には軍隊はないんですよ)。