ニュースの“なぜ?”は世界史に学べ 日本人が知らない100の疑問 (SB新書)
- 作者: 茂木誠
- 出版社/メーカー: SBクリエイティブ
- 発売日: 2015/12/04
- メディア: Kindle版
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あれ、Kindle版しか出て来ないな。
帯で「久米宏氏絶賛!」って書いてあるから、うさんくさくてやめようか、と思った記憶があるような気がしないでもないです。
世界各地での紛争、衝突などを、世界史の基本的知識から読み解きましょう、という本です。
ざっと見するにはいい本だと思いました。
恥ずかしながら、歴史学の徒の末席を汚す身としましては、こういったことをいまひとつ他人に説明できないもので、こういう本はありがたい。
もちろん、偏ってはいますけれども。
たとえば、「Q10 なぜロシアと中国には民主主義が根づかないのか?」という設問に対して、「政教一致」で説明しています。
東方正教会は、基本的にビザンツ皇帝が教会のトップも兼ねることになりますし、「天命」をもって王朝交替を正当化する中国大陸もやはり似たような思想構造だ、ということのようです。
もう一つ、中国大陸の場合、領土の広さが問題でもあると思いますけども。
広大すぎる領土を、多少なりとも平穏のうちに、しかも効率的に統治しようとすると、強力な中央集権制度が必要だ、と思います。
それが機能していればいいですが、しなくなれば各地(諸侯だろうが王だろうが軍閥だろうが地方政府だろうが同じ)で叛逆→内乱→機に乗じて王朝転覆、というパターンが起こります。
ロシアの場合は領土の広さと人口分布が均等でないと思うので、なんとも言えませんが、ソ連時代はそれに近い状態でしょうか。
アメリカがその広大な領土にしては民主主義国家として機能しているのは、建国が若いから、そもそも移民の集団だから、その母体がまがりなりにも清教徒革命・名誉革命をくぐり抜けて来た英国だったから、といった理由があるのではないかと思います。
まあ、これは私の妄想なのですが。
「Q23 なぜドイツ経済だけが好調なのか?」という設問に対して、「カトリックか、プロテスタントか」、で説明しているのは、バックボーンを知る上でわかりやすいです。
他文明圏のことを研究するのに、自国の研究も尊重されるべきですが、やはり他国、第三者視点を持つことのできる国(特に文化・文明の面)での研究も重要でしょう。
ヨーロッパ、アメリカ、中東などに対して、日本はそういった位相で存在していますので、本書もかなり客観的に書かれています(逆に、日本についての研究は、他国によるものを参考にすることが必要だと思います……がめんどくさい)。
「日中関係を独仏関係にたとえる人がいます。フランスとドイツの歴史を振り返ると、何度も戦争をしているのに、今ではともにEUの一員として、仲良くできているように見える。同じように日本と中国も仲良くできるはずだという理屈です。鳩山由紀夫元主将のように、日韓中は一緒になって東アジア共同体を構築すべきだと主張する人もいます。
しかし、これらの主張は間違いだと、私は思います。
フランスとドイツの関係がうまくいっているのは、人口規模がほとんど同じで、経済格差がさほどないからです。中世にはフランク王国として同じ国だった記憶があって、宗教も同じキリスト教なので価値観も似ています。
日本と中国は価値観を共有できるでしょうか。
(略)
上海の大卒の初任給は、約6万円。地方の中卒だと月給が3000円の世界です。そんな中国人がフリーパスで東京にやってくれば、3〜4時間のアルバイトで彼らの1か月分の給料を稼ぐことができるのです。
多くの中国人が日本への出稼ぎを望むでしょう。仮に中国人の10%が日本に来たとしても、1億4000万人です。日本の人口を軽く超えてしまいますね。
そうなれば、日本人はたちまち職を失う結果となります。当然、中国系移民は参政権を要求するでしょうから、将来は中国系の日本国首相が生まれることになります。」
(p86)
中国人個人のことを(いくら反日教育を受けてきたとはいえ)悪く言うつもりはないですし、仲良くやれればそれに越したことはないんですが、国境を接している国家同士は潜在的に仮想敵国だ、という基本的な原則を忘れてはいけないと思います(ドイツとフランスだってそうです、WW2まであんだけどんぱちやってたんですから)。
それから、日本が日本でなくなった瞬間に、日本がそれまでのような経済規模を維持できる、とは思えません。
仮に中国の一部になっても、日本省だけが繁栄し続ける、なんてことはありえないです。
日本という国(特に、戦後日本)が、世界史の中でもっとも異質な国であり、それを維持しようと思うなら、移民は安易に受け入れるべきではない、と思います(難民はまた別ですけれども)。
ただ、栄枯盛衰は世の習いですから、どうなっていくのかはわかりませんけれど。
「このようにイラクに不利な情報ばかりが流されたことで、国連安保理もイラクへの武力行使を認めました。結果として米英軍をはじめとする多国籍軍にイラクは屈し、クウェートからの撤退を余儀なくされました。
しかし、戦争終了後、さまざまな事実が明るみに出ました。
まず、油まみれになった水鳥の報道。これは、イラク軍の空爆ではなく、アメリカ軍の空爆によって、石油施設が破壊されたことが原因でした。にもかかわらず、イラク軍の仕業だと報道したのです。
次に、ナイラという15歳の女の子の証言。これもすべて嘘だとわかりました。
証言した女の子はアメリカ駐在クウェート大使の娘で、そのときクウェートにはいなかったのです。しかも、アメリカの広告代理店の人間が、証言する前にリハーサルをさせ、「ここで泣いて」と演技指導までしていました。
まあ、権力がメディアを利用するのは当然な話です。
ここに意識が行くことで、「メディアの独立性」やら何やら、ということが盛んに言われるわけですが。
喜んで権力に尻尾をふるメディアというのは、誰がどう責任をとるんでしょうね。
WW2中の日本の新聞さんとかね。
それから、「権力がメディアを利用する」ことばかりに中止していて、「反権力もメディアを利用する」ことがあまり言われないのもおかしな話です。
「権力からメディアは独立するのだ」と言っていたとして、それを担保するものは何もありませんし、そもそもメディアは企業ですから、国民に対して何ら責任をとる必要はなく、当然国民の代弁者でもありません。
ところがメディアは、さも「国民の代弁者」であるかのような顔をして振る舞うわけですね。
新聞社が代弁しているのは、自分のところの新聞を買っている購読者(の多く)であって、国民全体ではないですし(もっとも、新聞を売ったお金だけでやっていけているのかは知りませんが)、テレビにいたっては視聴者から金とってないんですよ、それが公明正大な顔をして「国民は〜」とかやっているわけですね。
新聞は、自分のところの購読者向けの主張をしていればまあそれでいいです(読まない人も多いので)。
でもテレビはどうですかね、公共の電波帯を使っている以上、新聞よりもバランス感覚が求められるはずですが……まあほとんど見ないから知りませんが。
今はネットがありますねぇ……もちろんネットもメディアである以上玉石混交なんですが、テレビのように編集されないで情報に触れられる、というだけでも価値はあると思います。
ま、最終的に、ツケを払うのは国民ですから、それはそれで仕方がない、と思いますが。