べにーのDoc Hack

読んだら博めたり(読博)何かに毒を吐いたり(毒吐)する独白

『推理は一日二時間まで』霧舎巧

 

推理は一日二時間まで

推理は一日二時間まで

 

 

「霧舎がやらねば誰がやる」でお馴染み、霧舎巧さんの最新刊(かな?)。

元々は『ジャーロ』で連載されていたものらしく。

レンタルスペース『秘密基地』、といういかにもな物件に集ういかにもな人たち……子供の心を持った大人たち……特殊趣味を有する人たち……要するにオタク(ヲタク)の人たちを巡る、わりとどうでもよさそうなのに、結構重大で大掛かりな犯罪と、それを解決するネット質問(『教えて○○○』的な)名探偵のお話です。

このネット質問名探偵が、どうやら一日に二時間しか推理ができないことからのタイトル。

霧舎さんらしい仕掛けの横溢する……といっても<霧舎学園>ほどではないですが……連作短編ミステリで、後半に行くにしたがって連作の仕掛けに触れざるを得ないので、あらすじもきちんと書けませんが、基本的には、『秘密基地』のオーナーの女性が困って(密室殺人がどうたらではなく、もうちょっと即物的な困りごと)、それを解決しようとするうちに、いろいろと重めの事件に巻き込まれていく、という感じでしょうか。

島田荘司の薫陶を受けてデビューし、鮮やかな奇想こそが売りのはずなのに、どういうわけか、文章がクールというかSSS(※森博嗣氏参照)というか、そんな感じに振れてしまっており、「そうじゃないだろ、霧舎!」と、もっぱら私に思われている霧舎さん。

ありふれたところ(日常の謎)から発展していって、普通ミステリではなかなかお目にかかれないような犯罪も導入して、心理描写はごく少なめで、行間を埋めさせるタイプで、「それじゃラノベ書きになれないぞ、霧舎!」と、もっぱら私に罵倒されている霧舎さん……いつもながら、その多角的な展開はお見事ですし、脳みそこんがらがらないのか、と思ってしまう仕掛けには脱帽。

であるがゆえに、<開かずの扉研究会>シリーズのようなめんどくさくて青臭い感じが、やっぱりネタには合っているんじゃないのかなぁ、と思います。

とはいえ、毎回その仕掛けは快哉を叫びたくなるようなものですし、本当によく思いつくな、と。

新作が出てくるだけ幸せなのかな。

うーん……ところで<霧舎学園>シリーズ、そろそろ十年を超えていると思うんですが、あの一年がまだ終わっておりません……あ、でも、もう最後の1冊かな……これは、出さない、ということでのアンチミステリの提示なのか……。

いろいろとひどいこと書いているように見えるかもしれないですが、多分出ている本はほとんど持っています。

ファンです。

 

 

 

あ、今回は引用なしです(不用意に引用すると、仕掛けに触れてしまうかもしれないもので)。

文体に癖があるので(文章のリズム、というのかな)、好き嫌いは分かれるかもしれません。

私は好きですよって。

ファンですから。

楽器を挫折してきたおっさんの戯言(言い訳)

人生の中で、ピアノという楽器に挫折し、現在進行形でギターという楽器に挫折しつつあるおっさんが、楽器が上手くなるためにはどうしたらいいのか、ということを考えてみたりしたあれこれ。

 

・楽器に必要なのは筋肉だ!

楽器を弾くために、音楽センスというものが必要だと思っている人は多いと思います。

かくいう私もそうでしたが、では音楽センスって何なのか、ということを考えると、うまく言語化ができないと思います(音楽センスがないから言語化できない、とあきらめがちですし)。

個人的に、楽器が上手くなるために必要なものは何なのか、と考えたときに、

 

1:筋肉

2:神経

3:経験値

 

ではないか、と思っています。

それよりももっと上位にくるものとしては、「楽器をうまく弾く、という偏りを持つ脳」というのが必要なのですが(天性、というやつです)。

ま、それは置いておいて。

 

「筋肉」が必要、というのは、楽器をかじったことがある人であればよくわかると思います。

体を動かして行う、というものである以上、「筋肉」は不可欠です。

それも、「楽器を弾く」ための筋肉が必要なので、むやみやたらに鍛えればいい、というものではありません。

「神経」というのは伝わりにくいと思いますが、脳の指令をきちんと筋肉に伝えるための神経が不可欠、という話です。

「筋肉」と「神経」、それもできる限り「健康な」「筋肉」「神経」があるのが望ましい。

筋繊維を痛めている、とか、頚椎の障害で神経が傷んでいる、とかいう状態では、当たり前ですが、「体が脳の指令通りに動かない」わけです。

なので、楽器が上手くなりたい、と考えている方は、「筋肉」と「神経」を健康に保つ、という意識を持たれた方がいいと思います。

経験値」はそのままで、「楽器を弾く」という「経験値」もそうですが、例えば「上手な人の演奏を見たり聴いたりする」、という「音楽」の「経験値」も重要だと思います。

見取り稽古、という言葉が武道の世界にはありますが(あれ、武道だけじゃないかな)、動きを「見る」ことが結構大事です。

また、「見る」「聴く」というのも、「神経」の働きですので、やっぱり「神経」は重要ということになります(特定の周波数が聞こえづらい、というのは、楽器の上達にはハンディになるでしょう)。

で、「音楽センス」、天性のものについてですが、これはもう脳の偏りの問題なので、あきらめましょう。

といっても、脳の機能は成長していくものですので、天性のものがない(少ない)からといって全くあきらめる必要はありません。

ただ、それをたくさん持っている人の域まで達することは相当難しい、という認識は必要だと思います。

そういう人は、「できる」んです、脳の偏り的に。

どのように脳の機能が偏っているか、といいますと、「楽器を弾くための筋肉をどのようにして動かせばいいのか」、つまり身体操作能力の部分が、最初から非常に優れている、と考えるとよろしいかと。

こいつが、「音楽センス」の正体の一つです。

これに立ち向かうためには、練習しかありません。

「筋肉」を鍛え、信号を伝達する「神経」を鍛え、「経験値」を増やしていく。

それも、できるだけ効率のいい方法で。

なぜなら、天性の身体操作能力を持つ人たちは、「効率のいい身体の動かし方」が最初からわかっており、その上で「筋肉」や「神経」を鍛えているのですから。

容易に追いつけないのは明白です。

「天才とは、努力し続ける才能のことである」みたいな言葉がありますが、一面では正しいのですが、やっぱり「土台が違う」のです。

練習する上での方向性、効率というものがそもそも別次元、なので、凡人は、効率のいい鍛え方を身につけた上で、さらに自分の体には何が合っているのか、を探り探り進んでいかなければいけないわけです。

で、普通そんなことは、誰にも教えてもらえないので(教える側は、自分がいい、と思っている教え方をするので、それが本当に適切なのかどうかはよくわからない)、結果楽器は上達しない、ということになります。

で、挫折、と。

 

楽器に限ったことではなく、身体を使った行為であれば、おおよそこうなりますね……例えば、「線を引く」という行為一つですら、「筋肉」を使っているのですから、脳機能の偏りによっては「なぜか定規なしで直線に近い線が引ける」人と、「ぜーんぜんまっすぐな線が引けない」人がいます。

まっすぐな線を引くための、効率の良い「筋肉」の使い方があるはずなのですが、図画工作の授業じゃ教えてくれませんからね……。

スポーツでも同じことだと思います。

 

もちろんこれとは別に、「音楽」そのものを処理する脳の偏り、というものが存在するでしょう。

こっちの「音楽センス」も鍛えられるのかもしれないのですが、あいにく私にはないもので、どうやって鍛えるものなのか、さっぱりわかりませんが。

あ、ただ、「絶対音感」とやらは、特に必要ないと思います。

楽器が鳴らしている音が、西洋音階でどの音なのか、という判断ができるほうが望ましいのは間違いないです。

ただ、これは多分「経験値」でカバーできるのではないか、と。

打ち込み系の、音がたくさん鳴っている音楽よりは、スリーピースのジャズとか、ビートルズなんかの比較的シンプルなロックを聴いて、音の区別をする(特定の音に集中する)訓練をしていくといいかもしれません。

いわゆる「絶対音感」というのは、様々な音を、基礎となる音階(多くは西洋音階)と比較して「ずれているかどうか」ということに気づいてしまうもの、だと思いますので、この能力自体が楽器を演奏するのに必要だとは思いません(「エアコンの室外機の唸っている音が、Bドミナント7の三度がちょっとフラット、セブンスがちょっとシャープになってて気持ち悪いわ〜」なんて能力いらんでしょ)。

私の耳は残念なことに、和音を和音としてうまく聴き取るところまで行っていないので、せいぜい単音で鳴っているベースを拾うくらいのことしかできません(ピアノの音なんて、一番高いところか、アクセントの強い音しか拾えないんじゃないかなぁ……)。

速いメロディーを聴き取るには、「聴き取り」練習が必要なのはもちろん、「音楽の理屈」をわかっていたほうが有利です。

西洋音階をベースにしていれば、ある特定のコードの中で使われない(使うと響きが汚くなる)音、というのがありますので、それを省いて音を探すといいと思います。

そのためには「理屈」を勉強する必要があります(「音楽センス」の一つには、この「理屈」を理解する能力もありますが、「理屈」になっているので、理解できてしまえば非常に強い味方になるでしょう……私はこの「理屈」でもつまづいています)。

 

あと、アドリブを組み立てるセンスとか、曲を作るセンスとか、そういうものもあるにはありますが、「経験値」の要素が大きいものかと思いますし(生まれつきの人はいますよ、「音が降ってくる」系の人)、どんな曲でもいいのであれば鼻歌交じりに作ることは多分どなたでもできるでしょう(それが独創的であるかどうか、は聴いて判断する人間が必要になるので、あまり考えない考えない)。

 

また、「筋肉」にしろ「神経」にしろ「経験値」にしろ、子どもの頃から始めた方がいいに決まっていますから、その辺りでも挫折を味わうことにはなるわけですね(子どもの頃からやってても、どうにも芽が出ない人間もいますけれど……あ、私のことです)。

 

とにかく、凡人が何とか頑張れることは、「筋肉を鍛える」ことです。

できるだけ、自分に合った鍛え方を見つけ出し、あとは練習練習。

あ、脳の構造的に、「長い時間練習する」よりは、「短い時間でもできるだけ毎日練習する」ほうが、神経の回路がつながりやすいようです(睡眠学習ではないですが、寝ている間に脳がその日の記憶を整理するので、繰り返し脳に記憶させた方が定着率が高く、強くなるようです……だから、プロの方達は毎日やるわけです)。

 

そしてもちろん、「音楽が好き」「楽器が好き」という気持ちが不可欠です。

『邪魅の雫』京極夏彦

 

邪魅の雫 (講談社ノベルス)

邪魅の雫 (講談社ノベルス)

 

 

ええと……あら、十年経っていた。

結構いい感じで進んでいた京極さんの……何シリーズ?……<京極堂>にしとこう……が『邪魅の雫』で途切れてはや十年。

ノベルス版『邪魅の雫』には、次回作として『鵼の碑』が載っているのですが、どうもそれが書けなかったようです(東日本大震災と関係があるとかないとか)。

そんなことも知らず、十年の間ほったらかしにしておいた『邪魅の雫』を読了。

あらすじ……書けんわそんなもん……とにかく、昭和二十八年、江戸川、大磯、平塚あたりで毒殺されたとおぼしき死体が連続して見つかります……で、警察組織の例のやつ(管轄だのなんだの)とかもろもろがありつつ、どうやらその毒殺に用いられた毒が、かなりのやばいものらしい(旧陸軍)、ということもわかってきて、一方で引きこもりっぽい画家が登場したり、その画家の周辺で変なことが起こったり、今までもあったようななかったような話ですが榎木津の許嫁(元)のことが取りざたされたり、情報量が多すぎてまとめられません。

というか、京極さんの文章は、のめり込ませるだけの魔力があるのですが、残るイメージというのが憑き物落としをする役目の京極堂(<京極堂>シリーズであれば。<百物語>シリーズなら御行の又市)による幻惑と分解に集中してしまうんですよね、私の場合……その辺りが、底の浅い本読みである証拠でもあるのですが。

京極堂>シリーズは、ミステリの皮を被った通俗小説なので、そのミステリ的な要素は特に問題にはなりませんし(本格ミステリにすれていれば、すぐにアレに気づくわけですが、そのことを評価の対象にしてもしょうがない、と)。

いつも通り、期待していたものとはちょっと違った(もうちょっと壊れた話になるのかと思ったのですが……いや、十分壊れていたのですが、壊れ方のベクトルがミクロだっただけで、これはこれで凄まじい)、それでも容赦なく人を描き切るという、圧倒される読書体験でしたよ、と。

ごちそうさまでした(?)。

 

「「俺の仕事じゃねェと云ってるのが解らねェかな、此奴は。俺はお前、悪党退治するために刑事やってるんじゃねェか」

「悪党ーーってねぇ」」(p91)

 

 

「「正しいよ。テクストをどう読み取ろうと、どんな感想を抱こうと、それを何処でどんな形で発表しようと、そりゃ読んだ者の勝手であって書き手がどうこう口を出せる類のものじゃない。書評家なんて一読者に過ぎないのだ。小説は読まれるために書かれるものだし、読んだ者の解釈は凡て正解だ。小説の場合、誤読と云うものはないからね」

「作者の意図と違っててもですか?」

「作者の意図なんて、そんなものどうやったら判ると云うんだね益田君」」(p157)

 

 

「「林檎と云う言葉は林檎を指し示してはいるが林檎そのものではないぞ。言葉は触れないし持てないし喰えない。意味は本質ではない」」(p174)

 

 

「「そうです。怪異と云うのはあってはならぬことなのです。それが怪異かどうか定めるのは、その世界の王でなくてはならない」」(p715)

 

 

いつも通り順調にうじうじしている関口君に対して、京極堂が小説に関して一席打つシーンがあるのですが、それが何かやたらと長い気がします……いつもそんなもんなんですが、いつも以上に。

流行はともかく、芸術家を生み出すのは批評家だったりするんですよねぇ……そこに何の本質があるのかはわかりませんが(たぶん、批評家というよりは翻訳家でしょうね……超訳家かな)。

引用してみたら、全部会話だったことにちょっと驚いています。

『BABYMETAL FILM FES TOUR 』vol.24、25

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公式に発売されている映像の中で、規模的に一番好みなのが『LIVE IN LONDON』だったので、それを大画面爆音で楽しみたい、ということで、『FILM FES』に行ってきました。

といっても、5/11の方は調整がつかず、無理やりねじ込んでTシャツを購入することしかできませんでした……。

 

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「ギミチョコ!」柄。

色が好きなんですよね……多分ミントなんだと思いますが、ターコイズっぽくて。

 

5/12の「02 ACADEMY BRIXTON』のほうはきちんと鑑賞。

席は7割くらいの埋まり方でしょうか(まあ、2年前のDVDですし、何なら買えますからね……)。

 OPのコメントは、『FILM FES』のパンフレットの、それぞれの公演のページに書かれているものなんですが、それをお三人(書いた方)が読んでいらっしゃるのですね。

 

実際の映像については、この4ヶ月くらいの間で何回観たのか、って感じでしたが、あの頃に比べればレベルアップしている(私のベビメタレベルが、ですが)ので、「ギミチョコ!」でのBOH神様の荒れ狂いっぷりを再発見して思わずニヤニヤしてしまいましたですよ(?)。

ドラムスは前神様なんでしょうか……青神様とはタムのテンションとかフィルインの入り方とかが結構違うので、素人でも気付きます。

あと、ギターはLeda神様ですかね。

うん、この辺りがぱっとわからないので、まだまだレベル不足。

初披露の「Road of Resistance」、よかった。

このころから比べて、パフォーマーとしての表現力がまったく違いますよね……今では堂に入ったもので……いいのかわるいのか……。

終演後は、「From Dusk Till Dawn」。

 

うーん、やっぱり大スクリーン、爆音、はいい。

しまったな、『TRILOGY』のどれかか、ウェンブリーも観たほうがよかったのかも……。

自宅に大スクリーンと5.1chオーディオとかほしいものです……ああ、いい感じのヘッドフォンがあればいいのかな……でも画面は小さいしなぁ……はぁ……。

 

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 Tシャツは狐面のやつだったので、ちゃんと購入。

あと、ラバーバンドも買ったのですが、

 

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名古屋、ブラックなんですわ……いやシックでいいとも言えるけれど、なんかもうちょっとこうビビッドな感じがほしかったなぁ……ちなみに私の手首にははまりませんので、どうしよう……。

 

5/11、朝一で必死こいてTシャツだけゲットしに行ったら、さくら学院グッズが販売していまして。

BABYMETALの「FILM FES」のあとで、先日の「2017年度転入式」の模様が上映されたんですけど……もうちょっとでフラッグを買いそうになったことは内緒です……(危ない危ない)

 

5/27、「5大キツネ祭り」の一般販売にちょっとだけ期待をかけて、しばらくのBABYMETALロスはさくら学院で埋めましょうかね……。

うっかりたかし

『羽生ファン、名古屋市長にブチギレ「ヘイト発言」「日本の恥」』

(2017/5/10 J-CASTニュース

 

以下、一部引用。

 

「きっかけは、男子フィギュアスケート世界選手権の銀メダリスト・宇野昌磨選手(19)が2017年5月8日、出身地である名古屋市からスポーツ功労賞を受賞する際の一幕だ。

 河村市長から宇野選手へ表彰状が贈られ、「名古屋城天守閣が木造になるから世界で宣伝してきてよ。(平昌)オリンピックで、天守閣ターンとか、シャチホコターン、金シャチターンとか」と冗談まじりのエールが飛ぶなど、和やかな雰囲気で授賞式は進められた。

 

しかし、その後に飛び出したこの発言が物議を呼んでいる。

 

「しっかりやっていただいて、チャンピオンの羽生結弦選手に勝ってほしい」

 

17年12月には名古屋市内でフィギュアスケートグランプリファイナルが開催される。トップ争い濃厚な宇野選手を励ました格好だが、ライバルとして名前をあげられた羽生選手のファンは複雑な心境のようだ。

ツイッターでは、

 

「公的な人が名指しで誰それに勝ってねとか普通は言わないよね。優勝してね...とかだよね」

「国際試合を開催することの意味もわからんのか名古屋市長おもてなしが泣くわ!日本の恥」

「ヘイト発言やってどうする??」

 

 

と、疑問視する声が続出。」

 

名古屋市民だからといって、たかし市長の発言をまるっと擁護するつもりはありませんが、そんなに妙な発言だとは思わなかったんですよね。

チャンピオンだし、現にこのあいだの選手権ではフリーで逆転されているわけだし、羽生選手を倒さないと優勝できない、というのが世間一般の認識ではないのでしょうか。

宇野選手自身、羽生選手とは仲が良いようですし、一方で越えなければならない壁だと認識しているでしょう。

「羽生選手に勝つ=優勝」ではないのはわかりますが、やっぱり今は羽生選手を倒すことが優勝への近道では?

そのことを意識しすぎて、足元をすくわれる可能性はあるでしょうけれども。

 

 

で、本当にどれだけ炎上しているのかよくわかりませんので、J-CASTニュースを信用するしかない、というのがまたなんとも……。

伊藤みどりさんの時代から、名古屋には「フィギュアスケート王国」という、何とはなしの自負もある……のかなぁ(私にはないです)。

これで、名古屋で宇野選手が優勝したりすると、ホームタウン・ディシジョンだ、って炎上するのかしら……それはそれで、何だかなぁな気がします。

ファンのみなさんはよほど苦い経験でもあるのか……詳しくないのでわかりませんが……でも、ファンに勝ち負けはないと思うんですよね……違うのかな。

 

 

まあ、とりあえず、たかし市長が炎上しても、名古屋人としては全然かまいません。

 

(元記事)

www.j-cast.com