べにーのDoc Hack

読んだら博めたり(読博)何かに毒を吐いたり(毒吐)する独白

『QED〜flumen〜 月夜見』高田崇史

 

QED ~flumen~月夜見 (講談社ノベルス)

QED ~flumen~月夜見 (講談社ノベルス)

 

 

てっきり終わったはずの『QED』シリーズから新刊が出た、というので喜び勇んで購入したのがもう二年前……ハードカバー以外、高田さんの本はすぐに手を出すようにしています(そして、すぐに読みます)。

QED』なので、ご存知桑原タタルと奈々ちゃんが旅に出るお話(安定感)。

えー……事件に関しては、シリーズがすでに本格ミステリから遠ざかっていますので、まあいいとしまして、今回は内容盛りだくさん、「日吉大社」から始まったかと思えば、「松尾大社」も「伏見稲荷」も、あれもこれも……と言っているうちに、日本の神の系譜の中でもよくわからない筆頭「月読命」の謎に迫っていくわけです。

言葉を自在に操り、多少強引でもねじ込んでいき、最終的に奈々ちゃんの一言が本質をついている、という……うん、妄想とはいえここまで書けたら、そりゃ面白い。

この面白さは、結局は『ムー』っ子である私なんかが引っかかりやすい、トンデモ系の話に近かったり、神社ほにゃらら学とかに近く、科学的に立証しづらいがために妄想の余地があることが重要です。

それらしいことが書いてある文献を引用して、正解のように述べたところで、それは解釈の一つにすぎず、あとはどうそれを信じるか、というだけの話になります。

もちろん、学問的に検討することも必要なので、軽んじることはないのでしょう。

高田さんのいいところは、「物語」として書いているところですよね、これが歴史的に、科学的に正しいわけではなく、「物語」世界の中で成立している、というだけなのだ、と。

認識論の話になるのかもしれませんが、昔の人に科学的な知識がなかったからといって、昔の人が何をどう考えていたのか、を知ることが無意味なわけではないです。

何なれば、科学という言語で世界を解釈している(ような気になっている)現代人と同じように、当時の最先端の知識において世界を解釈していたわけですから、その「解釈」を通して見えてくる世界に何が隠されているのか(隠されていないのか)を知る、ということの面白さたるや。

まあ、自分ではそんなことしませんけれども。

 

日本列島はさほど大きくないとはいえ、古代にはその広さたるや、一人の人間にはなかなか想像できないものだったのではないか、と思います。

その中で、様々な言語(方言)が、現代よりも顕著な違いを持って存在していたのだと思います。

大陸や半島からも、言葉は入ってきます。

文明の最終漂着地である日本列島、流れ着いたものもいろいろあるのでしょう。

それを、朝廷ができあがってくるころに、文化としてまとめ上げてきた人たちがおり、『日本書紀』『古事記』なんかがその結集である、と。

「日」、太陽、って「ひ」、なのか、「か」、なのか、「にち」、なのか、「じつ」、なのかよくわからないですよね。

あ、もちろん呉音漢音、古代朝鮮語もあると思いますけれども、例えば「聖」は「日知り(ひじり)」のことだ、という話があり、また他方に「暦」は「日読み(かよみ)」のことだ、という話もある。

で、「月」なんですが、「つき」「げつ」……多分、和訓は「つき」なんですよね……「月読み」はあっても、「月知り」ってないですよね……。

うん、だからどうした、って話なんですけど、古代にあって、むしろ「暦」の上では太陰暦なのですから「月」のほうが重要なのに、結構軽んじられてるよなぁ「月」……「月読命」の扱いもそうですね……呼び方が「つき」しか残っていない、っていうのが(あ、現代に、という話です)ね……。

 

まあ、なんでしょう、本作を読むと、ちょっと「月」に対する印象が変わ……るかなぁ……。

高田さんファンには満足な一冊でございました。

 

「崇は奈々に、一冊の分厚い本を見せた。それは、分厚いというより弁当箱かレンガブロックのような変わった判型の本だった。しかも、その表紙には不気味な妖怪のイラストまで描かれている。

「何ですか、その本は」

顔をしかめながら眺める奈々に、崇は言う。

「実に怪しげだが、興味をそそられる。それに、朝まで読むにはうってつけだ。じゃあ、お休み」」

 

これで作品世界の年代がわかる人は講談社マニア。