『キトラ古墳:天文図、中国の星描く 紀元前に作成、修正加え日本へ?』
(毎日新聞 2015/7/16)
以下一部引用。
「星の位置は年々変化しており、中村元教授は天文図に描かれた20個以上の星宿(せいしゅく)(星座)の位置から年代を推測。その結果、紀元前1世紀半ばごろの観測と判断した。紀元前の星の位置を記録したとされる古代中国の「石氏星経(せきしせいきょう)」とも整合したという。
一方、天文図には北極星の周囲にあり地平線に沈まない星の範囲を示す円が描かれている。相馬助教は円や星の位置関係などから、紀元後4世紀に北緯約34度地点で観測したと結論付けた。
この緯度には古代中国の都として栄えた洛陽や長安(現西安)が位置する。
奈文研飛鳥資料館の石橋茂登学芸室長は「天文図は紀元前の中国で作られ、数百年後に修正が加えられて海を渡り、明日香にたどり着いた可能性がある」と話している。」
古代の日本は、それほど長距離を移動しなかったからなのか、星に関する神話が少ないです。
あまり好まれるものではなかったのかもしれないですね、星。
自分たちにはままならない、かといって頻繁に干渉してくるようにも思えない。
目印にはなるけれど、それ以上でもない。
なんとなく遠い存在だったのかもしれないですね、星。
ま、実際遠いわけですが。
我々の世代は、二十八宿を必死に覚えようとしましたね。
『ふしぎ遊戯』を読みながら。
……あ、私だけですか?
りらるるら〜。
(元記事)
http://mainichi.jp/shimen/news/20150716dde041040057000c.html