べにーのDoc Hack

読んだら博めたり(読博)何かに毒を吐いたり(毒吐)する独白

『暁の死線』ウィリアム・アイリッシュ

 

サスペンスってあまり読んでいないのですよね。

それでも、『幻の女』くらいは嗜んでおります。

で、新訳かと思ったら新装版だった(初版は1969年……50年近く前ですな)。

 

 

ダンサーのブリッキーは、アイオワから有名になることを夢見てニューヨークにやってきた。 

しかし現実は厳しく、彼女の現在地はダンスホールダンサー(といっても、どうやらお客の相手をするダンサーで、今でいえばキャバクラ嬢のようなイメージでしょうか)でしかなかった。

実りのない生活に倦んでいたブリッキーは、ホールで奇妙な客と出会う。

その男は、何度も踊れるだけのチケットを持っていながら、閉店間際で立ち尽くしていた。

しかも、払い戻しもせずに、チケットを捨てて立ち去った。

もう来ることはないだろう、と。

ブリッキーは店がはねてから、アパートに戻る途中で男たちに乱暴されそうになるが、先ほどのダンスホールにいた男が彼女を助けた。

勇敢とも言える行動だったが、男は何かに怯えているようだった。

アパートに戻ったブリッキーは、その男が建物の下にいることを知り、部屋に招き入れてコーヒーをご馳走する。

男ークィン・ウィリアムズは、彼女の書いていた手紙の封筒を見て、「アイオワのグレン・フォールズに知り合いでもいるのか?」と尋ねた。

ブリッキーがそこの生まれだ、というとクィンもまた「僕もだ!」と答えた。

同じ故郷の人間同士、懐かしい街の話や身の上話をする。

ブリッキーはどうしても都会から逃れられない自分の、そして都会の恐ろしさを語った。

クィンは、「昨日君に会っていたら」と言いながら、ある偶然から、大金を盗んできたことを打ち明けた。

クィンは警察に捕まるのを待っている、明日のない男だった。

ブリッキーは提案する、このお金を返して、一緒に故郷に帰ろう。

私は一人ではバスに乗れない、どうしても都会に囚われてしまうけれど、二人ならきっと。

クィンも同意し、バス乗り場へ向かう前に、金を戻しにいくことにした。

ところが、その屋敷では男が一人死んでいたのだ。

もちろん、クィンには身に覚えがない。

バスの発車まで3時間、それまでに事態を何とかして解決しなければならない。

 

 

という感じのタイムリミットサスペンスなのです。

そういえば、『幻の女』もそうだった……ような記憶しかないですけれど。

冒頭から、夜の都会とブリッキーの心情描写が続き、都会に夢破れた若い女性の内面が浮かび上がります。

同様にクィンもまた都会に敗北しており、さらには犯罪者にもなっています。

都会にはもう何もないとわかっていても、離れられないブリッキーが、クィンと一緒であれば故郷に帰れると思ったこと。

また、警察に追われる身になるかもしれないクィンのトラブルを一緒に解決できるかもしれないこと。

こうした、恋愛感情未満の関係性から生まれた、都会から逃げ出すという希望が、死体の発見で一気に崩壊する、という導入がまず素晴らしいです(いや、動機としてはあんまり納得できないんですけれどね……恋愛サスペンスだと考えれば、まあいいのかな、と)。

そしてこの後、二人は限られた3時間の中で、事件を解決するために走り回るのです。

ニューヨークとはいえ、深夜のこと。こんなことが本当に起こるのだろうか……と私なんかは考えてしまって、ちょっと入り込めなかったのですが、二人の切羽詰まった感じはよく伝わってきます。

しかし3時間で、どうやって真相(目的は、お金を戻して、事件そのものをなかったことにすることでしたが、今では殺人者の汚名を着せられないように真犯人を見つけることになっています)にたどり着けるのでしょう。

ま、そこは物語ですからいいとしまして。

現代の色眼鏡をかけてこの事件を眺めると、いろいろと無茶な部分があるのですが、二人に幸いするのは事件が起こった直後である、ということですね。

犯人も、それほど遠くまでは移動できないだろう、と。

しかしそれにしたってねぇ……手に入れた情報を検証して次の手を打つために、3時間しかない、というのは少々厳しすぎると思います。

この無茶な感じこそが、本書の魅力なのかもしれません。

久々にこういった本を読んで、やはり古典は大事だな、と。

本格ミステリは趣味に合わない方も、こちらは楽しめるのではないでしょうか。

 

 

「夜更けなど、ひくく声を殺して、そっと泣いたこともあった。しかし普段の夜はもっと始末がわるかった。涙も涸れて、なんの感情も、なんの関心もなく、ただ横になっていた。齢をとるには、大層ながくがかかるのだろうか、ーーああ、早く齢をとりたいものだ。

ようやく彼女は戸口をはなれ、のろのろと帽子をとり、コートを脱ぎすてて、灯りへ近づいていく。疲れてはいるけれども、青白い顔をしているけれども、答えは出ているのだ。そう、齢をとるにはまだなかなかだ。それが残念にも思われた。」(p36)

 

 

「二人は前後して汚い階段をおりた。彼は風雨にさらされたスーツケースを提げていた。たいして重くはなかった。ほとんどなにもはいっていなかったーー砕けた希望ぐらいのものだった。」(p93)

 

 

「後年、どうしてミステリを書くようになったのかと問われたとき、アイリッシュは人間が常にくり返している二つのこと、恋と死について書きつづけてきただけで、自分の執筆姿勢は一貫して同じだといった趣旨の答えを返している。」(p384)

 

 

↑これは解説からの引用ですが、「物語は須らくミステリである」「つまるところ、物語には恋愛と殺人しかない」と言った人がいたっけなぁ、と思い出しました。