べにーのDoc Hack

読んだら博めたり(読博)何かに毒を吐いたり(毒吐)する独白

『ゲルマニア』ハラルト・ギルバース

 

ゲルマニア (集英社文庫)

ゲルマニア (集英社文庫)

 

 

ごつい翻訳を体が欲していた時期があったらしく。

ドイツ発の大型ミステリです。

 

1944年のドイツ、ベルリン。

空襲が繰り返される中、女性の変死体が発見される。

ユダヤ人の元刑事オッペンハイマーは、その捜査を命じられることになった。

といっても、穏やかな出頭命令ではなく、ナチス親衛隊に突然連行され、死体の前に引き出され、何かわかるかと尋ねられ、返答すると家に戻され、そして再び連行されて捜査にあたることになったのだった。

主導するのはもちろんSS、ユダヤ人のオッペンハイマーにそれを断る術はない。

しかし、事件を解決したところで、何かの褒美があるわけでもない。

SSとしては、優秀な捜査官を必要としていただけで、優秀であろうとなかろうとユダヤ人には違いない。

そして、ユダヤ人であろうとなかろうと、オッペンハイマーは刑事だった。

 

こうして、絶望的な状況の中、絶望的な状況のユダヤ人捜査官は、その先に何が待ち受けているかが理解できているにも関わらず、一縷の活路を見出すべく捜査に乗り出すのでした。

もちろん、SSをある意味でだしぬくために、地下組織の協力者である旧知の女性を頼りつつ、有能な捜査官として真っ当な(そして真っ当ではない)方法での捜査を進めていきます。

事件が連続殺人の様相を呈してくると、被害者の共通点が洗い出されます。

その間も、連合軍による空襲は続き、防空壕へ逃げ込むことも何度もあります。

オッペンハイマーは住んでいたユダヤ人アパートに戻ることはできず、SSの準備した捜査本部に詰めることになりますが、地下組織の協力者と会うためにSSの尾行を振り切りながら、裏稼業の連中に準備させた秘密の部屋で変装します。

戦時下のこと、本物のコーヒーは手に入らず、タバコにも困る始末。

そもそも日々の食事も配給になっており、それがきちんと配られるかもわからない(それでも市民たちは、様々なものを隠し持ち、生き延びようと、サバイバルではなく文化的な意味でも生きようとしているのです)。

こんな状況で殺人事件を捜査することに何か意味があるのか。

どことなく、クイーンの『シャム双子ー』に通じるもののある、しかしより切実な極限状態での捜査。

この展開がまず重々しくしびれます。

登場人物は一人残らずナチスと、戦争の影響を色濃く受けていますし。

歴史学を学んだ作者による綿密な取材で、当時のベルリンの様子、あるいは周辺の様子、ヒトラーの政策、様々なものがそこにあるかのように浮かび上がってきます。

事件を追う、というよりはそういったもののほうが興味深いかもしれません。

読書量の少ない私は、日本でこれに似た話、というと山田正紀氏の『マヂック・オペラ』くらいしか思いつきませんが……本格ミステリとは言い難いですが、とにかく全編スリリングです。

ジョーカー・ゲーム』にも似たような雰囲気がありますが、あちらはコンゲームものですので、毛色が違います。

なんといいますか……圧巻、です。

 

この物語の結末は、読んでいるうちに2〜3くらいは想定できると思いますが、おそらくみなさんの考える通りになります。

私はこの結末を、どこかで読んだことがあるような気がするのですが、多分気のせいか、単なるデジャヴュでしょう。

あるいは、この手の話というのは、こういう結論になるものなのかもしれません。

 

「ナチ党が未婚の母たちに救いの手を差し伸べるのは、人種学が求めるものに合致し、よき血統を絶やさないためであって、人間愛とは無縁なのだ。一見牧歌的なこんな場所でも、戦争が遂行されているということだ。ここで日々繰り広げられているのは、独ソ戦などの今をめぐる戦闘とはまるでちがう、はるか遠い未来を見据えた闘いなのだ。」(p151)

 

オッペンハイマーはにやりとした。健全なドイツの民族感情の敵にも、できることがあるのだ。いい曲を作ることができる。」(p211)

 

「ドイツにはおびただしい数の外国人労働者がいる、と耳にしていた。彼らは「F」と刺繍された青色のワッペンをつけている。人数にして数百万、今般の戦争におけるトロイの木馬と呼ばれている。多くの民族同胞は社会が外国人だらけになることに不安を抱きつつ、我慢していた。あまりに多くの男が前線に行ってしまい、労働力を別のところから確保しなければ、大ドイツ帝国は立ちゆかなくなっていたのだ。」(p249)

 

日本においても事情は同じで、違うのは半島出身の労働力が用いられていたことでしょうか。

とはいえ、半島に対して徴用令が適用されるのは1944年のことです。

 

「「あの世代はもうおしまいよ」そう言って、ヒルデは酒を一気に飲み干した。「小さい頃から条件付けされてきたから。人種学、反ユダヤ主義といったゴミのような知識をさんざん植えつけられてきたんだもの」

「条件付けされてきたのなら、条件付けし直せばいいんじゃないか」

「まあね。でも世間は、実験室のような無菌状態ではないでしょう。完全に条件付けを外すことはできないわ。あの犯罪者どもが子どもたちに及ぼした損害は取り返しのつかないものだ、とわたしは思っている」」(p376)