べにーのDoc Hack

読んだら博めたり(読博)何かに毒を吐いたり(毒吐)する独白

『オーディンの末裔』ハラルド・ギルバース

 

オーディンの末裔 (集英社文庫)

オーディンの末裔 (集英社文庫)

 

 

前作『ゲルマニア』では、第二次大戦も終盤、ユダヤ人刑事が敗戦に近づきつつあるドイツで、様々な葛藤に揺れ動きながら、自らと妻、友人たちが生き残るために殺人事件を捜査する、という姿が描かれ、歴史に基づいた骨太の文体と、「そんなことしている場合か?」というクィーンの『シャム双子』や有栖川有栖『月光ゲーム』にも似た緊迫感溢れる描写、複雑な思いを抱かざるをえない設定、といういくつかのマジックで分厚い文庫を一気読みさせる力を発揮したギルバース。

本作は、またしても大戦末期のドイツ……ていうか続編なんですけどね『ゲルマニア』の……ということは、『ゲルマニア』のオチにも触れざるをえないわけですわ……なので、ネタバレ困る、という方は、以下読まないでくださいね。

 

(※一応、「続きを読む」を設定しておきます※)

 

 

冒頭から、オッペンハイマーの友人ヒルデの夫で、ドイツの将校がビルケナウから逃亡する、というシーンから始まり、今回も重々しさを予感させます。

そのオッペンハイマーは、今は偽名を使って生活しているのですが、レジスタンスとつながりのあるヒルデのところに厄介なことが持ち込まれます。

ナチスに眼をつけられたドイツ人が心臓発作で死亡したのですが、何しろ時期が時期ですし、相手が相手なので、死体を秘密裏に処理しなければいけません(ナチスに眼をつけられたものと関係していることがわかれば、連行する理由になるからですね)。

というわけで、元刑事のオッペンハイマーは、死体を遺棄するという犯罪(戦時下において何が犯罪なのか……作品群のテーマのようなものがやはり顔を覗かせます)に手を染めます。

その企みは間一髪でうまくいった(?)のですが、その際のゲシュタポの動きが妙だったことから、オッペンハイマーとヒルデは、ヒルデの夫の逃亡(ということは当然、ゲシュタポに追われている)の事実を知ります。

ユダヤ人なのに、偽名を使っているのに、召集令状がやってくるオッペンハイマー、夫の陰に悩まされるヒルデ、もうすぐドイツが敗北するのではないか、と囁かれている中で、来るべき敗北に備えて身の振り方を考えはじめる市民たち……それぞれが、苦悩と生存のために知恵を絞っている中、ヒルデが夫の殺人容疑で逮捕されてしまいます。

ヒルデをいかにして救い出すか……オッペンハイマーは、かつての仇敵であるギャングの力を借り、殺人事件に迫っていくのですが、その過程で同じように事件を嗅ぎ回っている、謎の集団の存在を知ります……。

 

といった感じで、本格ミステリではなく、警察小説の部類に入るのですが、舞台設定、人物設定などがそれだけでサスペンスを煽り、いろいろと倒錯した感じがあって、重厚な歴史的事実と時代の雰囲気を背景にしているところが好みです(長いけど)。

インパクトでは『ゲルマニア』には勝てませんけれども、こちらはこちらで、終戦前夜のベルリンの雰囲気が感じられ、ナチス時代と関係する様々なガジェットも満載ですので、好きな方にはたまらないかもしれないです(私、そこまで近現代史、ドイツ史、第二次大戦に詳しくないもので……)。

 

「民族同胞の中には、怪しい者を警察や秘密国家警察に密告するのに熱心な連中がいる。戦況は芳しくないし、空襲が日夜つづき、銃後の戦意は地に墜ちているというのに、そういうところにはまったく変化がない。それどころか、ヒトラー信奉者でさえナチの天下の終焉を考えざるをえないというのに、この先、なにが起きるかわからない。というか、背水の陣だからこそ、ナチ信奉者はいっそう危険だ。最終的勝利を疑うような言葉をひと言でも吐けば敗北主義のレッテルを張られ、死刑の憂き目に遭う。失敗に終わったヒトラー暗殺のあと、「残念」とこぼしただけで、逮捕された人もいる。」(p28)

 

「修道士の中には、ヒトラーが待望の救世主だと言う者もいる。確かに総統は彼らが考えていたことの多くを実行に移した。しかし戦争の失敗は、総統が救世主でないことの確かな証だ。ロキも当時は、ヒトラーを救世主と見る愚を犯したが、当時はまだナチのイデオロギーを徹底して検討していなかった。修道院長は、ヒトラーを仲介者と見なし、真の救世主が到来するための地ならしをする存在だと考えていた。

だがロキは幻想を抱いてはいなかった。ドイツが本来の偉大さと優位性を取りもどし、<神々の電子>(略※ブログ筆者による)が頂点に立つまで、まだ長い年月かかるだろう。オーディンの鴉はまだ眠っているが、いつか目覚めて黒い羽を羽ばたかせ、聖杯の鳩に変身するのだ。」(p203)

 

 

「もちろん最近は仕事を再開している御者が大勢いる。公共交通機関が発達したにもかかわらず、ベルリンでは一九二〇年代初頭、タクシーに取って代わられるまで馬車業が盛んだった。」(p382)