『「神社」の美少女化に苦言相次ぐ「もはや何でもあり」』
(2017/3/18、R25)
神社仏閣ブログを書いている人間として、触れずにはいられなかったもので、小ネタ的に。
まず、『艦これ』ってのが流行ったときに、
「次はこういうことをやらかすだろうな」
と想像していたなぁ、というのを思い出しました(友人は、もっと前から思ったそうで)。
つまり、ネタとしては「その程度のもん」なのかな、と(素人のオタクおっさんが思いつくんですからねぇ……)。
記事をちらっと読んでみましたが、
「“純和風シミュレーションRPG”と銘打った本作は、日ノ本(ひのもと)の中心が「平安の京」と呼ばれたていたころ、穢れとともに妖化(あやかし)どもが溢れ出した世界が舞台となる。現代から平安へ召喚されたプレイヤー「咒師(じゅし)」は、神社の化身で少女の姿をした「社巫娘(しゃみこ)」と共に戦い、穢れたこの世と未来を救うという筋書きだ。」
とあって、なぜかその中に北海道や沖縄が入っていると……。
いや沖縄は神社ないからさその頃。
北海道もどうなんだろう……。
まあ、ゲームの世界観に突っ込んでも仕方ないのですが(ファンタジーですから)。
そういう違和感はほっときつつ、よ〜く考えてみてくださいね。
「神社の化身」
……あれ、御祭神は?
宗教学っぽくに簡単に書きますと、
「神とか超自然的な概念の存在を信じる」
→「必要なときにご降臨願うため、仮の住まいを作る」(祭り)
→「祭儀が常態化し、祭礼のための施設もまた常態化する」(社殿建築)
という流れで、神道の信仰は形成されてきたもの、と考えられています。
磐座、磐境、ご神木などの存在がそれを裏付けてもいるでしょう。
その前でお祭りをするときの、神様の仮の住まいが神社の原型で、なんなら未だに本殿がない神社もありますね。
ということは、「本殿」というのは、御祭神が止まるためのところであって、本質的な意味を持たなかった、と言えます(仮の住まいの場合、祭りが終わったら取り壊しますから……この辺り、ユダヤ教との関連を指摘する人もいますトンデモ)。
むしろ、祭りをするための、こっち(人間)側の都合で作られる「拝殿」こそが社殿の本質かもしれず、そうなると単なる「雨よけ」みたいなもんですな。
そこに、いろいろな思想やらなんやらが輸入されてくる過程で(特に仏教が大きいのです)、「やべえ、あいつらなんかでかい建物にでかい像を入れていやがる、あんな立派なもの建てられたら信者が奪われちまう、負けてられねぇ」、とべらんめえ口調で思ってはいないと思いますが、似たような心境で社殿を恒常化させていったのが、日本の神社建築です(仏教流入以前からあったのではないか、とも思いますが、建物自体が重要視されるようになったのは、そこまで古くないのではないでしょうか)。
このゲームに違和感を持たれた方は、「軍艦」や「刀剣」と、「神社」の意味合いの違いに戸惑っておられるのだと思うのですけれども、遡ればこういうことですから、個人的には、
「別に良んじゃね?」
と思います。
もう一度よく考えてくださいね、「神社の化身」って、
「社殿の付喪神」
でしかないですから。
今だからこそ、文化的価値や共同体的価値から、守っていこうと考えられていますが、本質は「容れ物」で、だからこそ「付喪神」になり得るのです。
それで聖地巡礼の人間が増えるのかもしれないし、静謐な祈りの空間がどうのこうのという危惧もわからないではないですが、「宗教的な施設というのは、基本的に観光地化するもの」だと思いますから。
我々、サン・ピエトロとかシスティナとかケルンとかノートルダムとかに行くじゃないですか。
変わらないでしょう?
そんなサン・ピエトロとかシスティナとかケルンだって、敬虔な思いで祈りを捧げにくる人はいるわけです。
そうなる前に止めなければ、というのなら、京都とか奈良とかどうするんです?
というわけで、御祭神でもない、単なる「社殿の付喪神」だと解釈すると、不思議と許せてしまう……そうでもないですかね……というお話でした。
だからですね、むしろ「社殿の付喪神」ということを前面に出して、これを機に「社殿の様式について勉強できる!」みたいなものにしてくれないだろうか……と思ったりもします。
あと、寺ではやらないの?
あ、むしろ、寺の場合は「擬人化(イケメン)」かな。
そんなイメージです(これも不敬でしょうか)。
個人的には、寺院は今も檀家さんとの繋がりが強いですし、葬礼・墓域がありますからね……神社よりはハードル高いと思います。
【元記事】
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