おっと、9年前か……いえ、眠らせておいたもので。
日本ミステリ小説界で、「大乱歩」「大横溝」、と「大」をつけていいのはこのお二人と、それから「大島田荘司」なんじゃないかな、と最近思います。
一般的な評価はともかくとしまして、島田荘司氏の功績(功罪)は非常に大きいと思います。
本格ミステリ、という言葉にこめられている一種の揶揄、その対義語としての「社会派ミステリ」の存在、という認識が、島田氏の作品をいくつか読むと崩れ落ちるのではないかと思いまして。
島田ミステリというのは、本格であり、「とんでも物理トリック」であり、そして隠れ社会派なのです(その意味で、なんといいますか……叙述トリックというものがあまりお得意でないというか、そんなもの使うまでもなく「とんでも物理トリック」でねじ伏せるといいますか)。
隠れ社会派……いや、全然隠れてないですけれども(都市論、自動車論、死刑廃止論などなど、社会派然とした活動も行っていらっしゃいます)。
私はなぜか、『水晶のピラミッド』から島田荘司に入った変人なもので(いえ、当時から『アトポス』とか『龍臥亭事件』とか、京極夏彦氏デビュー前でしかたら、人が殺せる厚さの本を書く人がいるもんだなぁ……と感心していたんです)。
『水晶のピラミッド』、とにかく面白かったです。
何がって表現するのもなかなか難しいのですが、「ああ、こういう小説世界があってもいいのか」と目からウロコが落ちる感じ。
(今でいう)ライトノベルや伝奇ものばかり読んでいた私には衝撃的でした。
さて本作は、『龍臥亭事件』『龍臥亭幻想』で舞台となった岡山県で、二つの事件の登場人物でもあった犬坊里美が主人公として(探偵として)、事件解決に挑むもので、『女性自身』に連載されていたそうです。
島田氏が女性誌に連載かぁ……というだけで何か感慨深いです。
いえ、島田氏の女性観は、どうしても御手洗潔というフィルターを通過させてしまうので、偏って受け取ってしまって……。
そんな彼女が担当することになったのは、衆人環視の神社の建物に突然腐乱死体が現れ、目撃者たちが騒いでいる間に消えてしまった、という事件。
逮捕されたのは、神社で世話になっていたホームレスの男性。
この男性の弁護を引き受けることになった里美たち(他にも修習生がいます)ですが、容疑者はまったく協力的ではなく、里美に対してはセクハラ発言連発。
また、死体が出現した建物に集まっていたのは女性ばかりで、それぞれが親戚関係、見つかった腐乱死体の身元もどうやらその女性たちと関わりのある男性のようです(現場からは死体が消えますが、髪の毛など遺留品の一部が残っていました)。
死体はいかにして消えたのか?
ホームレスの男性は、本当に犯人なのか?
そういった謎を追いながら、恋の駆け引き、人間社会の裏側、司法の世界の本音と建前とも戦いながら、里美は自分が望む法律家とはどんな姿なのかも探し求めます。
島田ミステリなのですが、ちょっと違和感があるのは、主人公の犬坊里美が、石岡くん(御手洗シリーズのワトソン役から探偵っぽい役に進化した、この上なく自分を卑下する名人)よりもさらに卑屈で、コンプレックスの塊で、しかも年相応の女性だ、というところかもしれません。
吉敷刑事は、時代の要請もあったのか、陰はありながらもスタイリッシュに描かれていますし、御手洗潔はあれですし、主人公としての資格は十分ですが、犬坊里美にはそういった何かが足りません。
非常にもどかしい。
なんだかひさびさな感じです。
『異邦の騎士』をはじめて読んだときの、あの青臭さに似た何か。
そんなものが全編に漂っています。
そしてもちろん、「とんでも物理トリック」は健在で(島田謹製「とんでも物理トリック」は、不思議な話ですが、大抵失敗するんですね。で、失敗しているがために、よくわからん状況になってしまう、という)、伏線はきちんと張ってあります。
いえ、私、トリックそのものの構造にはすぐに気づいたんですが、さすがにそれはないだろう……と思っていての「あれ」だったので、がつんとやられました。
実際に成功するかどうか、はさして問題ではなく、擬似○○○○○○(トリック丸わかりなので伏字)をああやって表現するのかぁ……そりゃすげぇや島田先生、と脱帽でした。
場合によっては「バカミス」なんですが、まぁ島田作品は大抵が「一歩踏み外せばバカミス」ばっかりですし。
いいんじゃないでしょうか。
島田作品は、『エデンの命題』とか『ハリウッド・サーティフィスケイト』とか、まだまだ残っているんですが……なかなか手が伸びません。
うーん、どうしてだろうか……でも、何しろ御手洗潔を映画化するってんですから(そういえばドラマになってましたね、見事に見逃しましたが)、もうちょっと世の中島田荘司祭りになってもいいんじゃないかと思います。
とりあえず『奇想、天を動かす』を読んでみましょう(なんで?)。
「悲しみは涙に変わる。それは待ってれば起こる。誰にでもすぐできる」
「はい」
「でもね、それで終えちゃ駄目なんだ、先に進みたければ、その涙を、今度は力に変えるんだよ」(p150)
さすが石岡くん、この辺りが関口くん(京極堂シリーズ)と違うところですね。