『銅鐸:ひも残存 「つるして鳴らす」裏付け 兵庫で発見』
(毎日新聞 2015/8/12)
以下一部引用。
「兵庫県南あわじ市(淡路島)の石材加工業者の砂山で4月に発見された松帆銅鐸(まつほどうたく)について、県教委と市教委、奈良文化財研究所(奈良市)は12日、銅鐸の取っ手と、内部で音を鳴らす棒状の舌(ぜつ)に、植物性のひもが付着し、痕跡も見つかったと発表した。いずれも国内初の発見で、奈文研は「銅鐸を、ひもでつり下げて鳴らしていたことを示す極めて重要な発見」としている。
(略)
奈文研は今後、ひもや葉を放射性炭素年代測定で分析し、銅鐸を使用、埋納した時期の特定を進める。埋納の時期については弥生時代中〜後期に2段階で埋めたとする説と、多段階にわたって埋めたとする説があるが、論争が決着する可能性がある。
(略)
奈良文化財研究所の難波洋三・埋蔵文化財センター長の話 ひもが残っていたのは奇跡的で、非常に驚いた。銅鐸の使用法については、両手で持って鳴らす説もあったが、今回の発見でつり下げて鳴らすことが明白になり、謎が一つ解明された。100年に1度と言ってもいい大発見だ。長く論争のある埋納時期についても、解決の手がかりを与えてくれる非常に重要な資料になるだろう。」
日本の古代史の不思議、「銅鐸」。
ものが見つかっているのに、『日本書紀』『古事記』といった文献には書かれていません。
出雲荒神谷で発見された大量の「銅剣」と同じく、<記紀神話>を担った一族によって打ち捨てられた、と考えられます。
あるいは、流行遅れになったか。
呪いの効き目がなくなったのか。
「銅剣」が、廃棄されたのではなく、整然と埋められていたのは、「埋葬」したのではないか、と思っています。
それが、ものを大切にする民族性の発露なのか、祟りを恐れたからなのかはわかりませんが。
人間の手にした芸術に順番をつけるとすると、どうなるでしょう。
まずは、(1)踊り、でしょうか。
身体表現がプリミティブなのは世界共通です。
お芝居は、踊りの派生ではないか、と思います。
多分最初は、自然現象や動物を真似た踊りがあり、そこから芝居が発生したのではないか。
次が(2)音楽、かと。
歌が最初ではありますが、それ以外にも、自然の奏でる音を真似ることで、その力を取り込んだり支配したり、という目論見があったのではないでしょうか。
(3)絵画、は多分その次くらいですね。
ここで、「記録する」という営みが生まれたのです。
人間とは古くから馴染みのある音楽、ですが、「楽譜」が発明されるまでは伝承されづらい芸術でした。
しかし、重要なんです。
でも、忘れられがちです。
自然の音を真似るくらいのものですから、本来は「神器」とされてもいいはずなんですが。
日本の場合、それが「剣」「鏡」「玉」に集約されてしまっています。
『日本書紀』をよく読めば、あちこちに楽器が登場しています。
どうして重要視されなかったんでしょう……これは汎世界的な法則なんでしょうか。
ともかく、今後の研究に注目です。
歴史は面白い。
(元記事)