べにーのDoc Hack

読んだら博めたり(読博)何かに毒を吐いたり(毒吐)する独白

『メタルギア ソリッド ガンズ オブ ザ パトリオット』伊藤計劃

 

 『メタルギアソリッド4』のストーリーが知りたい、でもゲームをするには私の腕前はショボすぎる、ということで小説を読むことにしました。

伊藤計劃氏が書いておられることは、何となく知っていました。

何しろゲームの方はほとんど知らないので(プレイしたのは『メタルギアソリッド3』だけです)、出てくる用語、人物背景その他が理解できるのかと思いましたが、シリーズ全てを網羅して過不足ない情報量で出力する伊藤氏の能力に脱帽です。

これだけ読めば『メタルギアソリッド』は理解できる(どれかひとつだけでもプレイしていると、なおよろしい)、という出来栄えです。

もともと小島秀夫氏のゲームは好きでした。

スナッチャー』はMSX版でプレイしていますし、『ポリスノーツ』は爆弾解除ゲームでしこたま死にましたし。

特に『スナッチャー』は、演出その他含めて、アドベンチャーゲーム史上に残るものだと思います(それほどやってませんけども)。

物語は、オタコンの視点で語られており、その三人称的一人称な語り口はソフトで、感受性にあふれ、『虐殺器官』の主人公とも相通ずるところがあるように思います。

かといって、感情的すぎるわけでもなく、どちらかといえば淡々と(オタコンの場合は三人称の視点を持っているから、ですが)進んでいきます。

このバランスがおそらく、伊藤計劃氏の持つ「小説」のイメージなんだと思います。

作(ゲーム)中で扱われている様々なガジェットは魅力的ですが、近未来SFとしては行き過ぎている感じもします。

小説のほうでは、それがもう少しリアリティを持って迫ってきます(中ボスとの戦闘を描かなかった、というのが大きいかもしれません)。

生身の男(ソリッド・スネーク)の重みが増しているのです。

ゲームと小説、それぞれ媒体が違いますし、ましてゲームはアクションゲームなのですから、その中でのストーリーテリングに甲乙を付けるのは詮無いことです。

『4』をプレイしていない私にはそれ以上はわかりませんし。

ただ、伊藤計劃という書き手がいたことは、とても幸運だったのでしょう。

日本人が持つ、ナイーブさを打ち払えない視点。

伊藤計劃氏が、それを見事に表現していると思います。

 

原作が膨大すぎて、伏線の回収がどうなっているのか私にはわかりませんが、サプライズを仕込むためには少々ご都合主義がすぎると思わないわけでもありません(ディーヴァーじゃあるまいし)。

それを置いておいても、面白いことは事実です。

 

これ以上の近未来SFというと、『アップルシード』になるんでしょうかね……あれはしろまさの手を離れるとメロドラマ化する、という偏見から『エクスマキナ』は見ていないんですが。

 

小島秀夫氏は「伊藤計劃氏は、次回作を書くという約束を守れなかった」と巻末で述べていますが、次の『メタルギアソリッド』を送り出すという約束を小島氏は守れなかったようです(『ピースウォーカー』は完成したようですが、『メタルギアソリッド5』が完成する前に、小島氏はコナミを切られたようですから/ゲームは完成しましたが、ストーリーとして完成していたのかどうか、という評判があるようです)。

ということは結局、『メタルギアソリッド』は『4』で、そして伊藤計劃氏のノベライズで終結していたのだ、ということなのでしょう。

それでいいじゃないですか。

 

 

「ぼくらは何をなくして、何を護ったんだろう。

 

実を言うと、それはこうして出来事を整理して物語っているいまも分からない。多分、戦いのあとというのはいつもそうなのだろう。

いつの時代の、どんな戦争も、ずっと昔から、そしてこれからも。」(p452)