(THE PAGE大阪 2015/11/1)
以下一部引用。
「古代東アジアの国際交流を雅やかに再現した祭り「四天王寺ワッソ」が1日、大阪市中央区の難波宮(なにわのみや)史跡公園で開かれ、華やかな衣装に身を包んだ人たちによる巡行などが行われるなどし、多くの人でにぎわいをみせた。
この祭りの名物でもあるパレードでは、約1000人の人が古代衣装を身にまとい、ゆっくりと園内を練り歩き来場者の拍手を誘っていた。華やかな踊りや演奏と、時折出る「ワッソ」の声に笑顔を見せる人も多い。その中で四天王寺ワッソ広報大使を務めるアンミカさんらも衣装をまとって登場すると、さらに大歓声があがっていた。
また、「王仁(ワニ)博士物語」と題したミニ歴史劇には、浜村淳、妹尾和夫、佐々木りつ子らが登場したり、プレステージでは奈良県の室生神楽保存会による獅子舞が披露されるなど、終始にぎやかな祭りとなった。」
「ワッショイ」というのが、古代朝鮮語の「ワッソ」からきている、ということから「四天王寺ワッソ」という祭りを作り上げたということですが。
「難波宮跡公園」は、確かにかつて「四天王寺」があった辺りにあります。
でも、だからって祭りの名前に持ってくるのはなんか変ではないですか?
「四天王寺」を開いたのは聖徳太子と考えられていますが、聖徳太子がいた頃の都は、すでに奈良ですし。
そもそも、古代朝鮮語がよくわからないのに、語源説を出してこられてもなぁ……という感じがします(妄想であればいくらでも)。
「そういう説もある」くらいにしておくのがいいんじゃないでしょうか(教科書に載せるなら、きちんと「異説あり」として載せるべきです)。
古代に半島と頻繁な往来があった、というのは間違いないと思います。
日本列島に人間が湧いて出たのでない限り、アフリカからの大移動の途中で居ついたわけですから、その中には大陸や半島から渡ってきた人もいたことでしょう。
「古代東アジアの国際交流を雅やかに再現した祭り「四天王寺ワッソ」」
……再現?
いやいや無理でしょう。
「古代衣装」
これも再現ですかね?
文献資料もあるかないか。
大陸の影響として考えられるのは、たとえば高松塚古墳などの壁画ですが、あれが異国間の交流と断定できる根拠はありませんし。
とても再現とは言えないと思います。
それに、難波に宮があった頃って、「神功皇后の三韓征伐」とか書かれている時代ですけれど、大丈夫なんですかね。
それ以降、白村江の戦いで百済が滅亡するまで、大陸とのやりとりって、そんな呑気な交流じゃなかったはずですけれども。
それから、「王仁」という人が、日本に初めて漢字を伝えた、というよくわからない伝承がありますが、これももうちょっと正確なことを書いたほうがいいんじゃないでしょうか。
何らかの文献を持ち込んだ、とか、書(いわゆる書道)の技法を伝えた、とかならまだわかるんですけれどねぇ(『古事記』では「千字文」を持ってきたことになっていましたっけ)……漢字はだめでしょう。
『日本書紀』だけで考えてもですね、いわゆる「魏志倭人伝」の卑弥呼のことを、神功皇后に比定して書いているんです。
で、『後漢書』に出てくる例の金印はそれより前のことだと考えられます(三国時代は、漢より後です……歴史書の成立年代としては少々前後するんでしたっけね)。
その頃に漢字が知られていなかったって、そんなわけあるかいって話です。
神代文字を認めないのであれば、日本ではある時期からは漢字を使って文章を構築していたはずですし(便利だから)、それは半島も同様でしょう(古代朝鮮文字、というのは聞いたことがありませんが、もしあったらごめんなさい)。
外交文書のやりとりが成立していたとしたら、少なくとも大陸から半島、日本列島の西側では、漢字が流通していたと考えるのが妥当です。
こちらも、まさかそのまま教科書に載っているとは思えませんが、疑問点もきちんと載せるべきだと思います。
交流を否定するわけではありませんが、ネタならネタとしてきちんと作り込んでほしいですね。
ネタだとわかれば、目くじら立てて突っ込まれることもないでしょうに。
「なごや祭」の「郷土三英傑行列」なんて完全に捏造ですが、あれはネタなのです。
(元記事)