べにーのDoc Hack

読んだら博めたり(読博)何かに毒を吐いたり(毒吐)する独白

『韓民族こそ歴史の加害者である』石平

 

韓民族こそ歴史の加害者である

韓民族こそ歴史の加害者である

 

 

最近やかましい半島の国ですが、古代史を探っているとどうしてもいろいろと情報を仕入れなければならないので、古代に限らずいろいろと漁っております。

とはいえ、ネットの世界には長年のコリアウォッチャーのみなさまがいらっしゃるので、私なぞ口を挟む必要もなく、特に現代に関しては様々な情報が手に入れられるのでありがたいです。

あまり偏った立場にあるのは望ましいことではありませんが、隣国は仮想敵国ですので、知っておくに損はないでしょう。

古代史以外では、ずっと私は関心がなく、ソウル五輪も、ヨン様ブームも、なんの興味もなかったわけですが、W杯共同開催辺りで「ん?」と思ったような……(当時も今も、右か左か微妙な立ち位置ですので)。

ここ何年かで、お隣さんとして非常にめんどくさい、ということがわかってきたのでした。

石平先生は、大陸生まれのかたで、今は帰化しているのかな、ときどきテレビでもお見かけします。

大上段に振りかぶった感じのタイトルですが、様々な文献を下地に、丁寧に論を張るというのは非常に学者然としていながら、まあ読みやすいことわかりやすいこと。

ざっと読むと、半島の歴史のことがなんとなくわかってしまうあたり、よく書かれていると思います。

他の知韓本、嫌韓本との違いは、強力な「半島の国家は、国外勢力を自ら内部に呼び込んで、状況を泥沼化させる」という主張でしょう。

これが結構面白い。

古代の三国(新羅百済高句麗)の統一戦争のときから、大陸勢力を引きずりこんでいる(結果、新羅が統一)。

元寇にもそういった臭いがする。

そして、絶賛継戦中(あ、休戦中か)の朝鮮戦争

提示された切り口で状況を見ていくと、「なるほど」と目からウロコが落ちる思いです。

地政学的な宿命として、事大主義や八方美人的外交を行うことで生き延びてきた、その点に関しては私はすごいことだと思っています。

ただ、何が残っているのかがよくわかりませんけれど。

石平先生の切り口に、華夷秩序小中華主義)、易姓革命とかを盛り込んで考察すると、今のかの国のことがもっとわかるのかもしれません。

 

「もちろん、それであきらめるような金春秋ではない。復讐に燃える彼はついに、唐帝国を説得して百済攻撃に誘い出す「論理」を編み出したのである。

前述のように、唐の太宗は当時、何としても高句麗を打ち破りたかったが、なかなか妙案が見つけられずにいた。そこで金春秋は太宗をこう口説くことにした。高句麗が、北からの唐王朝の攻撃に全力を挙げて反撃し対抗できたのは、半島南部の百済と連携して、南からの支援を受けているからだ。ならば、唐王朝はまず、百済を攻撃すればよい。百済を滅ぼすことができれば、後方からの高句麗への支援を断つことができるだけでなく、南と北の両方から高句麗を挟み撃ちすることもできる。そうすれば、高句麗征伐は必ず成功するだろう、と。」(p40)

 

「それ以降、日本からの軍勢は百済復興勢力からの協力をほとんど得ることができなくなり、異国の地で強大な唐王朝新羅連合軍と、ほぼ単独で戦うことになった。その結果がすなわち、「白村江の戦い」における大和朝廷軍の完敗と全滅であるが、日本からの軍を半島に誘い込んだ百済復興勢力が分裂した時点で、この敗北はすでに決まっていたといえる。日本兵の血が白村江を赤く染めていた時、肝心の豊璋王子はどうしていたか。数名の腹心と共に戦場から離脱して、高句麗へと逃げていたのである。」(p64)

 

「しかし忘れてはいけないのは、まさに本章で繰り返し指摘してきたように、唐帝国の侵略軍を半島に誘い込み、その侵略戦争に最初から最後まで協力し続けたのは、同じ半島国家で同じ韓民族新羅に他ならない、ということだ。」(p65)

 

「韓国の現役大統領である朴槿恵氏は、二〇一三年三月に、日本との「歴史問題」について、「被害者と加害者の立場は千年経っても変わらない」という主旨の発言をしたが、ならばわれわれは、彼女に一つの質問をしておかなければならない。「高麗王朝と元帝国の共同作戦である日本侵略・弘安の役から、どれくらいの年数が経ったのか」という問いである。

その時点で、日本侵略から千年どころか、七三二年しか経っていなかった。となると、朴大統領自身の論理に忠実であるなら、日本侵略の加害者としての高麗王朝の立場は、今でも何ら変わっていないことになる。つまり、現在の韓国人全員が歴史を直視して、かつて自分たちの祖先が行った、この立派な戦争犯罪を深く反省し、祖先の卑怯と卑劣を多いに羞じ、謝罪するべきということになる。歴史認識問題を強調すればするほど、ブーメランのように韓国人にもはね返ってしまうのである。」(p120)

 

「日本と清国が戦争した結果、第三国の朝鮮が独立を獲得した。実は、この興味深い出来事の背後には、近代になってから、日本、清国、朝鮮それぞれが歩んだ道の違いに起因する、朝鮮という国の「近代化」の特異な性格が隠されているのである。」(p125)

 

「にもかかわらず、朝鮮王朝の内乱を政変につなげて利用しようとする、かつての最高権力者の指示によって、無残にも殺害されてしまった。この軍乱において殺された日本人は、堀本だけではない。上智大学教授の長田彰文氏が著書『世界史の中の近代日韓関係』(二〇一三年、慶應義塾大学出版会)で記したところによると、殺された日本人は、堀本礼造を含め十三人にも上ったという。まさに「日本人虐殺」ともいうべき事件である。」(p136)

 

「……考えてみれば、世界のクーデター史の中でも、これほど奇妙なものはないだろう。政変を起こす側が外国軍を頼りにしていた一方で、鎮圧する側も終始、外国軍の力を借りているのである。まさしく韓民族ならではのおかしな政変劇であるが、朝鮮人同士の戦いはいつも、こうやって外国勢力を巻き込まずにはいられないのであろう。」(p147)

 

「露館播遷から一年後の一八九七年二月、高宗はようやくロシア公使館から出て、慶運宮という朝鮮王朝の宮殿に移った。むろん公使館を出ても、高宗の政府はロシアの強い影響下にある「属国政権」であることに変わりはない。実際、慶運宮に移った高宗の安全を守っていたのは、依然としてロシア軍であった。

そしてこの年の十月、高宗は自ら皇帝の座について「大韓帝国」の成立を宣言した。有史以来、朝鮮民族国家元首が初めて、かつての宗主国である中華帝国の皇帝と同じ称号を用いることになったのだ。高宗によるこの政治行動の意味は、要するに清国からの自主独立をアピールすることにあるが、実態は、虚勢を張った以外の何ものでもなかった。二年前の下関条約で、清国は朝鮮への宗主権をとっくに失っていたから、今さら清国からの「独立自主」もなかったはずである。」(p164)

 

華夷秩序」の中では、中原の国、大陸の統一国家が序列第1位で、そこから遠くなる程洗練されていない、という認識です。

大陸の統一国家は、何しろ文明4000年以上ですから、こうしたものをうまく使うことに長けています(実をとることも厭わない)。

ところが、「小中華思想」と揶揄される半島の国家は、自分たちが大陸に一番近いものだから序列第2位だと考え、遠くの日本のことを下に見ているのですね。

現代の半島の人も、根っこの部分でそう考えているのだと思います。

遣唐使を廃止して以来、華夷秩序から逃れた日本にとって、理解しがたい発想です。

同時に、日本のあり方も、あちらのみなさんには理解できないでしょう。

易姓革命」というのは、大陸の支配者は天が示す、国が乱れたときには支配者の徳が失われているので、天が「命を革める」ことを誰かに任じているのだ、という詭弁です。

この論理自体は別にいいのです、古代以来多かれ少なかれ、どこの地域でも似たようなことはあったでしょう。

それを未だに引きずっているらしき国もあるんですね。

あ、中華人民共和国じゃないですよ。

ろうそくデモとかで、大統領を引き摺り下ろした国のことです。

日本では、天皇家というのは、かなり古い時代に「祭祀」のための存在となり、精神的な支配力を及ぼしていたのです。

この辺りは、ローマ皇帝神聖ローマ帝国含む)とローマ教皇バチカン)の関係性に似ているのかもしれません。

あちらは、西洋世界というかなり広い範囲でそれが行われたので、結果ぼろぼろになりましたが。

日本は一国の中でやっていたので、「易姓革命」は起こり得ない(超克した)わけです。

政権が変わっても、国としては存続している、という奇妙な国が日本です。

これがですね、恐らく半島の人々には理解できないところではないかと思います。

まあ、あの国も、何か知りませんが、建国100年にも満たないのに、半万年の歴史が云々とか、三国時代から国体が継続されていると思っているようですが、前王朝のことごとくを滅することさえ厭わないのが半島の「易姓革命」です。

ですので、石平先生の指摘(朴槿恵大統領の「千年被害者」発言)を回避する論理は簡単で、「我が国は政権が革っているが、日本は続いている。よって、加害者であり続けられるのは日本だけで、我が国ではあり得ない」とでも抜かすのでしょう、その気になれば。

だから、約束できないんですよね、かの国とは。

 

◯こちら===>>>

「韓日国民の不信感解消がカギ、日本政府は韓国市民団体と対話を」(1) (中央日報日本語版) - Yahoo!ニュース

 

↑何を言っているのかと思ったら、元朝日新聞の例の人でした。

このタイトルがいいですね。

これ、内容はあまり読んでいませんが、要するに「国内の市民団体の暴れっぷりに手を焼いている政府が、日本に対してその市民団体をいさめてくれよと言ってきている」わけです(実際に、かの国の政府与党がそんなことを言っている、というわけではないでしょうが、そうしたらどうだと勧める輩もいる、と)。

 

知るかそんなもの。

 

内政干渉だろう。

 

統治能力ないのか。

 

といった疑問の湧き出る中、石平先生の本著を読んだあとでなら、断言できることがあります。

 

乗せられるな、ろくなことにならない。

 

こうやって、対外勢力を引きずり込もうとするのかぁ……なんか、歴史の目撃者になった気分です。