あれ、Kindle版しか出ない……。
本格ミステリ界において<第四の奇書>を書いた竹本健治氏の、最新単行本……だと思います(そこまで熱心に追いかけているわけではないので)。
『ウロボロスー』は読んでいませんが、<ゲーム三部作>は読んでいるはず……なんですけれど、いまひとつ内容を覚えていません(『将棋ー』だったかな、えらいホラーなシーンがあったことは憶えています)。
他にもいくつかシリーズがありますが、天才少年囲碁棋士・牧場智久が活躍するものが一番わかりやすいんではないかと思います(マンガ『入神』は異色作ですが、竹本ホラーのテイストが味わえます)。
牧場智久シリーズの異色作といえば、『風刃迷宮』で、二回は読んでいるはずなのですが、「……なんか怖い」ということしか覚えていません。
で、また「迷宮」とついた本が出たので、「お、ひょっとして……」と異色作かと思い、ハードカバーでしたが買ってしまいました。
異色作は異色作でしたが……かなり恐ろしい異色作でした。
ストーリーとしては、
湯河原の旅館で発生した殺人事件の現場では、囲碁が打たれていた形跡があった。被害者は対局の最中に、アイスピックで刺し殺されたものと思われる。しかし、被害者の身元はわからず、その部屋を予約していたと思われる人物の正体も不明だった。たまたま担当する刑事と一緒にいた牧場智久は、現場の状況の不審を告げるが、それだけで何がわかるわけでもなかった。
智久の恋人の武藤類子は、後輩と<ミステリ・ナイト>というイベントに参加していた。そこで出会ったミステリー評論家が、「黒岩涙香の隠れ家を発見した」という話に興味を惹かれる。なんでも、涙香が遺した暗号があり、それを解読したのが牧場智久だったという。
囲碁の連戦を終えた智久を慰労しよう、ということで茨城県にある「涙香の隠れ家」に、類子や評論家たち数名で向かうことになる。そこは12の部屋がある奇妙な建物で、すべての部屋の壁には四行の詩(七五調なので、都々逸×2という感じ)が書かれていた。なんとそのすべてが、<いろは四十八文字>を頭として始まる<いろは歌>だというのだ。そしてそれもまた、涙香の残した暗号かもしれない。
48の<いろは歌>の解読に取り掛かる智久達だったが、そこに湯河原の旅館での殺人事件が関係してくるとは思ってもいなかったのだった……。
といった感じです。
え〜……言葉に執着をするタイプの人間であれば、<回文>と<いろは歌>に興味を惹かれない人間はいないでしょう。
実際、頭をひねって<回文>を考えたことがありましたが、森博嗣氏の小説を読んで、「こりゃかなり特殊な脳みそが必要だな」と打ち捨てたことがあります。
それに比べれば、<いろは歌>はまだしも案出しやすいものです。
ただ、いくつか厳密な部分があり、とくに<いろは>に拘泥する以上は、旧仮名遣いを用いなければいけないという部分は、相当脳みそを絞らなければならないでしょう。
で、本書を読んで、「こりゃかなり特殊な脳みそが必要だな」と思わされました。
いろは四十八文字のすべてを先頭にして、48の<いろは歌>を作る、というだけで、脳みそのシワが擦り切れるくらいの所業ですが、さらにそこに暗号を仕込むわけですから……薄ら寒い。
そういった意味で、『風刃迷宮』とは別の異色作、かつ暗号をもちいた本格ミステリとしては直球勝負でもあります。
まあなんというか、圧倒されます……それだけ。
本書でも出てきますが、いわゆる<逆文>というものも考えたことがあります。
ある文章を逆から読むと、別の文章になる、というやつですね。
短ければなんとかなりますが、長くなると手に負えません。
いっとき、これで400字詰め4〜5枚の短編小説が書けないか、悩んでいたことがあります。
あ、もちろんできませんでしたよ。
でも、中にはやれる人がいると思うんですよね……平野啓一郎氏だったかな、こういった実験的なものを書いていたような気がします。
そういったことをするには、私の脳みそでは耐え切れないのですよね(書くだけなら可能かもしれませんが、それでいて面白いものを、となるともう絶望です)。
脱線脱線。
本書の序盤は、黒岩涙香や戦前の日本の探偵小説の教科書的なところがありますので、そういった興味で読んでみても面白いと思います。
作中には、日本語の専門家たちも出てきますが、それぞれをそれぞれのジャンルでトップであると設定しているわけで、そうなると日本語のあらゆる形態に通じていなければならず、正気かと思うくらいの知識量です。
もちろん、暗号解読も凄まじいです(ついていけませんもの)。
日本探偵小説全集〈1〉黒岩涙香 小酒井不木 甲賀三郎集 (創元推理文庫)
- 作者: 黒岩涙香,小酒井不木,甲賀三郎
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 1984/12
- メディア: 文庫
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↑一番手軽に読める涙香の小説といえばこちらだと思います(小酒井不木、甲賀三郎も入っていてお得です)。
涙香といえば、海外小説を翻案して、しかも文語調で書く、という人ですから、なかなか手が伸びません(私も、結局これも読んでないのかな……)。
一番有名なのは『幽霊塔』で、これを原案にした漫画も最近までやっていましたね。
最近でもないか……。
日本の古い探偵小説は、東京創元社や論創社が発掘してくれています。
読み継がれていくべき名作もあると思うのです。
ただ、なかなか手が伸びない……久生十蘭、海野十三辺りは読んでいるんですけれどねぇ……ちょっと心を入れ替えましょうか。
「ええ、そうね。<花>の音読みの表記は<くわ>だわ。厳密にいうと、一般的に《旧仮名》と称ばれる《歴史的仮名遣い》は和語に関する規則で、漢語は原則として漢字で書かれていたため、多くの漢字に関して古い時代にどう書かれていたかは明らかではないの。そこで江戸時代にすべての漢字に関して、昔の日本人はこう聞き、こう発音していたはずだという推定の研究がされて、漢字音に関する《字音仮名遣い》が定められたのよ。」(p65)
「完全情報ゲーム?」と首をひねる類子に、
「砕いていえば、着手を決めるために必要な情報がプレイヤーに完全に公開されているゲームのことです。囲碁や将棋、チェス、オセロ、連珠などは完全情報ゲームです。それに対して、麻雀やポーカー、コントラクト・ブリッジなどは隠されて見えない情報があったりするので、不完全情報ゲームというんですよ。完全情報ゲームは、原則的に運の要素がはいりこまないゲームとされていますね」(p93)
囲碁も今では、コンピュータープログラムが人間を破っていますね(竹本先生的に、どんな心境なのでしょうね)。
もちろん、衒学で圧倒することだけが小説の面白さではないのですが、竹本健治氏を味わうのですから、目眩く魔術の世界に引きづり込んで欲しい、というのが読者としての素直な要望ですよね(竹本氏の恐怖の描写は、まぁ恐ろしいですので、表現することができないわけではないです)。
それに応えるだけのもの、だと思います。
ちと高いですが、ノベルスや文庫になるには時間がかかると思いますし、装丁も美しいので、今年の一冊にいかがでしょうか。