読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

べにーのDoc Hack

読んだら博めたり(読博)何かに毒を吐いたり(毒吐)する独白

『ゾロアスター教』メアリー・ボイス

 

ゾロアスター教 三五〇〇年の歴史 (講談社学術文庫)

ゾロアスター教 三五〇〇年の歴史 (講談社学術文庫)

 

 ゾロアスター教が世界の宗教に与えた影響は大きいものです。

ということは知りながら、よく考えたら、どんな宗教なのか知らないな、と思って、手に取ってみました。

ごりごりの歴史系学術書でびっくり(講談社学術文庫だからわかってはいたのですが、もうちょっとサブカル興味のものかと思ったら……)。

 

預言者ザラスシュトラの功績といえば、アフラ・マズダーという、ヴェーダ信仰ではアフラ(アスラ)の一柱と考えられていた神格を、唯一神だと幻視したことでしょうか。

ゾロアスター教自体は(他の一神教と同様に)多神教的側面をもっているのですが、そこにアニミズムとは異なる、「世界の行き着く先」を提示したことが新しかったともいえます。ゾロアスター教の世界観では、アフラ・マズダーとアングラ・マンユは、それぞれ最初から存在しましたが、善と悪を選んだそれぞれの世界霊は、自らの選択に基づいて争い、善と悪が混交した世界となります(人間の世界)。そして、いつかアフラ・マズダーが勝利し、再び善と悪が分離する世界の顕現が、ゾロアスター教の示す「世界の行き着く先」です(超・大雑把)。

本書では、網羅的にゾロアスター教の思想が取り上げられています。「拝火教」と言われる所以である「清浄な火」をいかに保つかが非常に重要だったと語られると同時に、本来は「清らかな水」もまた重要だったと書かれており、「拝火」から得られる一面的な理解がいかに誤解を生むかがわかります(ゾロアスター教が火葬ではなく風葬(あるいは鳥葬)を選ぶのは、遺体を燃やすことで「火」が汚れる、と考えたからです)。

イランを中心とした中東に勃興した幾多の国々で、長い間ゾロアスター教は信仰されてきました。ユダヤ教キリスト教イスラム教に与えた影響は、一神教最後の審判の原型を見るだけでも明らかです(ギリシアにまで伝わっていました)。他方、東方へ展開しなかったのは、インド地方にヴェーダ信仰から発展したバラモン教、仏教などが興ったからでしょうか。ご存知のように、アフラはヴェーダ神話ではアスラで、「非天」と訳されて天に背く存在だと語られていますし、ゾロアスター教でいうダエーワという邪悪な存在は、ヴェーダ神話ではディーヴァという神になっています。背景を同じくした(おそらく、ヴェーダ信仰の方が古い)信仰が、決定的な対立を生んだのが果たしていつの頃なのかは残念ながらわかりません。イラン地方からザラスシュトラが現れ、インド地方からブッダが現れたのは、ともに優れた信仰だった、ということなのかもしれません。

宗教としてゾロアスター教を見たとき、当たり前なのですが、他の宗教と同様に異端信仰が現れてきます。特に我々が学校で習う場合は、ひとくくりにされたゾロアスター教しか覚えませんから、このことは不思議と新鮮でした。そして、中東では強力な国教であり、ということは当然、後世のキリスト教のように、世俗権力との関係から腐敗が起こり、という宗教史の典型のような状況もあったのだと初めて知りました。何しろキリスト教のこともイスラム教のことも仏教のこともろくに知りませんから、ゾロアスター教を学ぶなんて当然後回しになります。

そのことが、我々にとってのゾロアスター教が、特別エキゾチックに映る所以かもしれません。「サオシュヤント」「アトルシャン」「ホスロー」といった、我々世代であればニヤリとする用語が出てきます。

アケメネス朝、サーサーン朝、カリフによる支配、サファヴィー朝、カージャール朝、近代におけるイギリスによる支配、と中東地域の歴史は一通り授業で習うのではないかと思いますが、そこにどの程度ゾロアスター教が関わり、そして衰退し、それでも生き残ってきたのか、ということはほとんど学びません。本書では、概説的ながら、現代にいたるまでのゾロアスター教の姿が、中立的に、また概ね好意的に書かれています。衰退していったことが、ザラスシュトラの見た未来に近づいているのかどうかはともかく、そこに宗教的純粋さを見るキリスト教者、あるいは現代的無神論者の郷愁が、本書には溢れているような気がします。宗教となかなか向き合わない日本人にとっても、本書を読むときに同じような感覚を覚えるのではないでしょうか(日本神話につながるような要素も見られるので、やはり日本は文明の漂着地だったのか、汎人類的なものが存在するのか……)。

 

「……マケドニアアレクサンドロス大王が小アジアに侵入して、前三三一年の戦いでダリウス三世を破り、五年間に及ぶ遠征でアケメネス帝国のほとんど全領土を征服したのである。彼の侵略は、富と栄光を求めてのもので、宗教的な衝動に駆られてのものではなかった。

したがってゾロアスター教団は、その後の異民族支配の時代よりはむしろ、実際の戦闘において大損害をこうむった。それゆえにゾロアスター教徒の伝承で忌み嫌われたのは、後継者のセレウコス朝ではなく、アレクサンドロス自身であって、彼はアフリマン以外にはつけられない「呪われた=グザスタグ(guzastag)」という形容詞を伴って記憶されている。……」(p159)

 

織田信長が世俗宗教から「魔王」と呼ばれたのと似ているのでしょうか。

 

 

「……さらに法律家は、ムスリムだけが完全に道徳的であり得るのだから、非ムスリムは、支配者をわずらわさない限り、勝手に邪悪なままでいるがよかろうと言った。……」(p277)

 

寛容さと無関心の紙一重の中で、生き残れるか滅びるかを決めたのはなんだったのでしょう。