あまり追いかけていなかったカー/カーター・ディクスンを追いかけています。
といっても、東京創元社さんが復刊やら新訳やらしてくれているから、追いかけられるのですけれども(ありがたや)。
で、原題を見たら「プレーグ・コートの殺人」……こっちの題名で出ているものもありましたよね、確か。
語り手であるケン・ブレークの友人、ディーン・ハリディが所有する古い館は、「黒死荘」と呼ばれていました。
というのも、黒死病が蔓延した時期、ハリディの先祖である当主が、どうやら疫病に罹患したらしい腹違いの弟を殺して埋めたという伝説があるからで、その人物は短剣で兄たちを襲おうとしたのですが、結局無駄な抵抗に終わり、呪いの言葉を残して死んでいったのです。
ディーンが言うには、その館で降霊術が行われる、ということで、一家の人間はその家に取り憑いているらしき悪霊のため、非業の死を遂げているため、それを祓ってしまおう、という目論見があるようです。
ディーンには、悪霊が実在するかのように語る家族が我慢ならないらしく、ケン・ブレークに付き添いを依頼し、超自然現象など起こらないことを証明してほしい、と言います。
さらに、スコットランドヤードの首席警部で、ケンの友人でもある(幽霊狩人と呼ばれる)マスターズを呼び寄せ、ともに「黒死荘」に乗り込んだのでした。
実は、黒死荘で殺された男が持っていた短剣(というにはふさわしくない、千枚通しのようなもの)が、保管されていたロンドン博物館から盗み出されていたことがわかり、マスターズ以外にも警官が警戒している中、かつて疫病患者を隔離していたという石室の中で、降霊術に呼ばれた心霊学者が殺害されます。
もちろん、密室状況で。
どうも私には、その密室状況の説明がうまくできないのですが(ということは、単一の条件から成立しているものではない)、不可解です。
といったところで、ヘンリ・メルヴェル卿の御出馬と相成るわけです。
というか、「H・M卿初登場」というテロップが流れてもいいほどの、記念作品だったのですね、これ。
導入からして先読みをさせないような発端(巻き込まれ型主人公には最適)、冒頭から警察関係者を同伴させることで不可解性を増し(後から効いてくるフック)、おどろおどろしい手紙で舞台演出、そして密室状況で(インチキ)心霊学者が殺害され、名探偵の登場……お手本のような本格ミステリですな。
黄金期翻訳物の中でも、クリスティは別格として、カーの作品は読みやすく、その第一の理由はH・M卿にしろフェル博士にしろ、ユーモア(なのか諧謔なのか)を忘れない、というところにあるのかと思います。
今で言えば、非常にキャラが立っている。
犯人や怪しげな登場人物では、彼のキャラを凌駕することが難しいわけです。
もちろん、エラリィだってキャラは十分立っていると思いますけども、何というか、種類が違う……カーが意図的に、戯画的に描いている、というところも、本格ミステリの純度を高めるための仕掛け、と捉えられるのかもしれません。
まあ、全然読んでないですけどね、カー……。
「いいかな、カボチャ頭諸君。密室状況の根源的な問題は、ほとんどの場合、密室状況そのものが非合理的だということなんだ。密室を構成できないと言ってるんじゃない。フーディニの箱抜け奇術を不可能だと言えないのと同じようにな。そんなつもりは毛頭ないさ。わしが言いたいのは、現実の殺人者はたいていの場合、推理小説の結末で読者が信じ込まされる、凝りに凝った仕掛けにうつつを抜かそうなんて、これっぽっちも思わないってことなんだ……ところがあおいにくさま、この事件は正反対。」(P245)
密室事件の起こる小説で、登場人物にここまで現実を語らせておいて、それでもなお密室が現出しうることを解く、まさに密室の帝王・カーここにあり、という感じです。
で、改めて、二階堂黎人さんは、本当にカーが好きなんだなぁ……と思いました(そういえば、本書も、トリックというよりはプロット、伏線の妙技、の方が際立っています……)。
あと、「幽霊狩人」ってカーナッキーとかいう人でしたっけ……一冊持っているはずなんですけど、どこいったかな……。